虎飛び出し注意

6

 輾転反側、まんじりともせず朝を迎えた大河は竜児が起こしに来る前に高須家のドアをくぐった。平素なら包丁かフライ返しか菜箸を片手に己の独壇場に陣取っているはずの竜児の姿はなく、シンクに水滴一つない、歪みなき整然たる、きっちり片づけられた無人の台所が大河を迎えるのみだった。
「大河ちゃんおはよ〜う」
 代わりに出迎えたのは泰子だった。
「やっちゃんおはよう。竜児は?」
 出迎えた、とは言っても寝室の襖の隙間に、はみ出した犬の舌のように挟まる弛緩しきった姿である。寝癖で爆発した頭ですっぴんの童顔だけを大河の方に向け、そのくせ目は閉じられたままだったが。
「りゅうちゃんはね〜、なんか急に教室を掃除したくなったってゆってねえ、早起きして出かけちゃったの〜」
 見るとテーブルの上にはラップをかけた丼飯が一つ、茶碗一杯のご飯とおかず類が二人分並べられ、几帳面な小さな字で書かれたメモ書きと弁当の入った巾着袋が用意されている。大河のご飯が丼なのは(確認するまでもなく大河のだ)、炊飯器に残ったご飯を二人に始末させることに不安を覚え、片づけの手間を減らすためにあらかじめ分けて冷凍してしまったからだろう。
 なおメモには、
『先に行く。洗いものはたらいに漬けておけ。泰子の昼飯はレンジの中。インコちゃんの水とごはんは替えた』
 と素っ気なく記されているのみだった。
 泰子はナメクジ並の速度で上体を起こすと寝ぼけ眼をこすった。
「りゅうちゃんね、やっちゃんが帰ってきたときまだ起きてて、換気扇の掃除してたの…… なんだか眠れなかったみたい。今朝もそわそわしててぇ……なにかあったのかなあ、大河ちゃん知らない?」
「……ううん、知らない。あとで聞いてみるね」
 珍しい泰子と二人での朝食を済ませると、大河は勝手知ったる高須家の押入れから踏み台を出してきた。ジャケットを脱いで腕まくり、意を決して皿洗いを始める。びっくりしてやってきた泰子に洗った食器を拭いてもらい、多少時間はかかったが何とか一枚の皿も割ることなく皿洗いを済ませた。
「大河ちゃんすごいね〜、ちゃんとお皿洗えたねえ」

 にこにこ顔で大河の頭を撫でる泰子に、にひ、と笑い返す。人によってはとんでもない嫌味に聞こえるかもしれないが、泰子が言うなら本当に感心しているのだろう。当然よ、などと薄い胸を張ったりする。
 早起きしたお陰でまだ始業までたっぷり時間がある。いつもは竜児に起こしてもらってもぎりぎりなんてこともザラなのだ。その大河より早く起きて弁当と朝食までこしらえていったのだから、竜児はどれだけ早起きしたのだろう。ひょっとしたら寝ていないのかもしれない。大河ですら眠れなかったのだから、竜児は尚更眠れなかったはずだ。
 それにしてもまさかあそこで帰ってしまうとは。予想通りの長い夜には違いなかったが、一人きりでなんてぞっとしない一夜だった。でも竜児の気持ちは分からなくはなかったし、帰ってしまった理由さえ何通りか推測できる。若干希望的観測の感はあるが、あのまま居たら自分を抑え切れなかったから、とか取り敢えず一人になって考えをまとめたかったから、とかそんなところだろう。一方で、そこで帰ってしまうのが竜児と言う人間なのだとも思える。竜児は要領よく立ち回ったりできないし、降って湧いたチャンスを抜け目なくモノにするなんて芸当はとてもできないはずだ。器用なのは手先ばかりだから。
 しかし大河には余裕があった。別に急がなくても平気なのだ。既に言質はとったようなもの。竜児に会うのも楽しみだが、その前に、一つやらなければならないことがあった。昨夜の出来事はコース外から走者に空き缶を投げつけたようなものだった。気は軽くないが、その義務を果たして初めて大河はスタートラインに立てるのだ。
 眠れない夜に大河はそのことばかり考えていた。
「おっす大河ー! あ違った。めっす大河ー!」
「おはようみのりん! んー、二点!」
 虎の突進を迎え撃つべく前のめりになった実乃梨は透かされて軽くつんのめり、恒例朝の一発ギャグもばっさりいかれて、OH! モーレツ! すげないわ大河さん! などと小指をくわえながらよろめいて三回転。
「っといけねえ、いつもより余計に回っちまったぜ! ……ややっ、同志タイガー! 同志高須の姿が見えませぬが!?」
「竜児は今ごろ教室をピカピカにしてるよ……」
「ピカピカとな?」
「うん、ピカピカに」
 大河はふと遠い目をする。実乃梨はおや、と思う。大河の様子、というか印象が、昨日とは違って見えたのだ。形容しがたい変化だったが、眉毛の角度が大きくなったような、そう、余裕的なものが窺えた。実乃梨は、竜児とつるむようになってからの大河が、片手で足りるくらいだが一人で登校するところを見ていた。そういうときの大河は例外なくどこか落ち着かず、そわそわと目を泳がせて居心地が悪そうにしていたものだ。それは竜児と出会う前の、周りに一枚壁を張った寂しげな大河そっくりで、実乃梨は気を揉んだものである。ところがどうだ。今朝の大河は、竜児が側に居ないにもかかわらず余裕たっぷり、それどころか朝から最高にハイ! な実乃梨に、『あらやだ実乃梨さん、はしたなくってよ?』なんて言い出しかねない落ち着きっぷりであった。
「それはそうと大河、なんかイメージが違うねえ……なんつーか、渋みが出たというか……あ、貫禄?」
「やだみのりん! 私そんなオッサン臭い?」
「いやーそーゆー意味じゃねーのさ。ただ……なんだろね。まいっか。そんなオマエも悪くないZE!」
 そっちが来ないならこっちから! と実乃梨は大河に飛びつき、抱きしめたままその場をぐるぐる回りだす。道行く人々の不審げな眼差しもどこ吹く風である。
「うおお! 大河ーっ! おめえ軽いよお! チョー軽いよお! 朝飯食ったかあ!?」
「食べたよみのりん! 丼で!」
「ぬぁにをおおおう!? ……え、ちょっと待って、丼で食べてコレなの? 炭水化物抜きダイエットしてるあたいって一体……!
 チキチョー! 不公平だあ!!」
 叫び疲れ、息を切らした実乃梨は大河を下ろした。二人して前後にふらつく。
「みのりん目が回ったよ……」
「はあ、朝から、はしゃぎすぎやしたね旦那、へっ! へっ!」
 かいてもいない汗をひと拭い。ずり落ちた鞄を肩にかけなおす。
 歩き出した実乃梨の横に並ぶと、一度口を開いて、噤み、躊躇ってからまた開いた。
「……あ、あのね、みのりん……ちょっと、話があるの」
「おっ、なんだいなんだい、改まっちゃってさ」
 斜め下に笑いかけて大河の思いのほか真剣な顔とぶつかった実乃梨は、面食らって息を呑んだ。
「みのりんさ、今……好きな人、いるでしょ?」
 続けざまに一撃を食らい、やっ、とか、フハーッ、とか。意味もなくキョロキョロする。何という不意打ち。しまいにわざとらしく鼻歌まで始め、大河に少々強めに袖を引かれる。
「みのりん」
「……へ、うぇへ、何のごどだんべか、オラ、よっぐわがらね……」
 実乃梨はあさってを向こうとして、バンジージャンプよろしく引き戻された。
「こっち向いてよ」
 無理やり顔を向けられた方向には大河の少し困ったような顔があって、言葉を失う。
「ごまかすってことは、いるんだよね、好きな人」
「……う……な、どうちしゃったのさ、急にさ……!」
「急かな」
「急さ!」
 そっか急か、と大河は顎を撫でた。やや思案のあと、両頬の内側を噛んで変な顔をしている実乃梨に再び向き直る。
「みのりんにも言ってなかったけどね」
「ふむ」
「私ずっと北村くんのことが好きだったの」
「なんと!」
「でも春に告白して振られてるの」
「ふおっ!?」
 不意打ちで浮かせたところに追加で二連撃。実乃梨は目を白黒させた。
「それも急だよ大河、急! 救急救命室ERだよ! そんなに飛ばすとあたし追いつけねえって! マジで大河が北村くんを……あのジャングルの王者を……ワカメ……黒々とした……」
「いいからいいから、とにかくそういう前提があるって思って」
「一、二、三、五……オーケーオーケー、素数を数えたら落ち着いてきたぜ。お次はなんだい?」
「それでね……ああ、その前に私は北村くんを振ってるんだけどね、去年の春に」
「……ヘヴィーだぜ大河、いいパンチしてるじゃねえか……」
 腹を押さえてふらつくのはさすがに冗談だが、正直なところ実乃梨のショックは結構大きかった。何がショックかといって、その事実そのものではなく、大河の親友をもって任ずる自分が、それに全く気づかなかったことだ。しかしそれも無理からぬことだった。何しろ実例が少ないのだ。大河がまともにコミュニケーションがとれる男子は、ほとんど竜児と北村くらいのもので、他の男子とはせいぜい、殴る蹴る怒鳴るくらいの交流しかなかったのだから、実乃梨は例外二人に対して大河の見せる両極端な態度しか知りえなかったのだ。それぞれ、竜児に対する無遠慮は理由こそ分からなかったが、心許せる相手ができてよかったと思っていたし、北村に対しては、単に男友達のいた経験がないために、どうやって「普通に」接していいか分からないだけなのだろうと思っていた。
 信じがたい。けれど、親友が真面目な顔で言うのだからそうなのだろう。
「ん、でも、今『だった』って言ったよね」
「うん」
 大河はことさらに実乃梨を見つめた。そうすることで相手の頭が透けて見えるとでも言うように。
「じゃあ、今は違うんだね」
「うん」
 実乃梨の考えは、実際よく見えた。まず間違いなく、実乃梨は北村を過去にした理由を、竜児だと思っているのだろう。大河が竜児を好きだという考えは、ちょっと今年度の冒頭部分を校正しただけで結局変わっていないのだ。事実、そうなのだが。けれども、まだ明かしていない事実も、その頭の中には眠っている。太陽の明るさで眩しすぎて見えない部分がたぶんある。 大河はややいびつに微笑んだ。実乃梨の質問に答えれば、世界は一変する。大河が必要としているのは誰か、それが自分の中だけの秘密だけではなくなるのだ。このステップが必要な理由の一つがそれだ。その秘密を知るのは第一に、実乃梨でなければならない。もちろんそれは櫛枝実乃梨が大河の親友であるからだけではない。
「今はね、違うから。北村くんのことは、ほんとに好きだったけど、その好きは、たぶん、憧れと、尊敬と……あと……なんだろ、自分でもよく分かんないや。嘘じゃないけど、でも、違うんだなって、北村くんは私の隣にいる人じゃないんだって気づいた……というか、私ね、分かったの。
 自分が誰に、一番隣に居てほしいか」
「……おう」
 実乃梨ははかりかねているようだった。普通なら何のことはない、不器用な親友がやっと本当に大切な人の存在を認めたのだ。諸手を上げてよろこんでもいいはずだった。
 しかし、そう簡単にはいかない理由は、
「……それが私と、なんか、関係あんのかい?」
 その衝撃的な告白が、実乃梨を前提と必要するところだった。何となく大河が、触れられたくない部分に手を伸ばしているような気がして、胸がざわつく。
「みのりん、竜児のこと、好きでしょ?」
 ああ、そうだ。妙に回りくどく始めるから、すっかり忘れていた。大河は常にストレート全力投球しかできない女だった。つまり、そうと決めたら、自ら傷つくことも厭わず茨の茂みを突進できるのだ。
 そして今、実乃梨の胸の中の鉄条網で囲った部分を、大河は素手で鷲掴みにしたのだった。
「……なーに、言ってんだか、この子は。高須きゅんと俺っちは、マブだぜ? 心の友だぜ? ちっともそんなこと」
 茶化して煙に巻こうとする実乃梨。大河はきっとこうなるだろうと思っていた。二人の間に隠しごとはない。基本的に。それでも、ときどき実乃梨が何か大河に敢えて言わないでいることがあると、大河自身気づいていた。それが上手いやり方なんだろうと、実乃梨がそうあってほしいと願っているのだろうと思って、追求したことはなかった。
 まだ二人は本気でぶつかり合ったことがない。
 でも今、大河は真剣に実乃梨と向き合いたいと思っている。向き合わなければならなかった。あくまで黙秘するつもりなら、できるだけ言いたくはなかった、本来大河の口から言うべきではないことを告げるしか、コースアウトした実乃梨をレースに連れ戻す方法はないのだ。
「竜児はみのりんが好きなんだよ」

 実乃梨のふざけた歩みが止まる。
「ずっと好きなのよ。だから、私たち、北村くんが好きな私と、みのりんが好きな竜児。お互いに協力しようってなって、それで一緒に居たの」
 大河も立ち止まって向き直る。実乃梨の顔はもうふざけてはいなかった。ただ、砂の城を少しずつ崩し始めた大河を、不安そうな目で、食い入るように見つめていた。
「でもね、それももうお終い。私が気づいちゃったから。もうこんなのはやめる」
「たいが……」
 実乃梨の目が揺れる。大きくて開けっぴろげな太陽がためらいに翳る。
 大河は反対に、いつもの実乃梨に負けないくらいの笑顔を輝かせた。この接頭辞はDEではなくRE。破壊ではなく再構築なのだ。目の前の道は崩れてなくなったわけではない。むしろ枝分かれして増えたのだから。
「私がこんなこと言うのはね、みのりんに手加減してほしくないからだよ」
「……手加減?」
 鸚鵡返しの実乃梨に、そうだよ、と大河。
「私ね、みのりんが大好き。一緒にいるといつも楽しくて、嫌なことなんて忘れちゃうの。それに一年のとき、クラスで孤立してた私に、普通に接してくれて、それだけでも感謝しきれないくらい……でも、私ね、みのりんに守ってもらわなくても平気だよ」
 実乃梨は何も言わない。ただ、噛みしめた歯が唇を震わせるのみだった。
「私は、みのりんに手を引っ張ってほしいわけじゃなくて、一緒にみのりんの横を歩きたい。だから、みのりんが私のために何か遠慮するなんて嫌なのよ。絶対だめなの。でもみのりんは私に竜児を譲ろうとしてるでしょ? それって、公平じゃないよ。だってそれって、誰が決めたの? 竜児の気持ちはどうなるの? 私の気持ちは? 私は自分の意見も言えないほど弱いの? みのりんがそんな風に思ってやってるなんて思わないけど、でもやっぱりそれじゃ、私たちは対等じゃない」
「……大河」
 不機嫌に張りつめた顔でも、甘えた笑顔でもない、剥き出しの素の貌をした親友の名を呟いて、実乃梨は唇を噛んだ。
 親友は対等な存在だ。お互いのために何を投げ出しても惜しくない。実乃梨も大河のためなら何を差し出してもいいと思っている。大河が必要としているなら、自分の欲しいものでも躊躇いなく譲れる。でもそれは果たして、「親友だから」だろうか。相手を尊重することはいい、しかし自分を卑下することは自分を想ってくれる相手に対する侮辱だろう。この遠慮は、生まれて初めてどうしても欲しくて堪らなくなったものでも、大河が必要とするなら譲ろうという遠慮は、たぶん、誠実なものではなかったのだ。大事な人を尊重するのは自分を殺すこととは違う。だって何より、大切な誰かが自分のために想いを押し殺すようなことがあったら、一体どんな気分になるだろう。
 大河は鉄条網をぶち破って、実乃梨にも触ることができなかった真実を曝け出したのだった。そのまま放っておいたら、腐って、いずれ他のものまで巻き込んで崩れ落ちたに違いない、本当の気持ちを。
 大河、でっかくなったな。目線を上げて微笑み返す。明け透けには笑えないけれど、嬉しさと、胸の痛みと、色んな感情が渾然としてやはり結論は、悪くねえな、と思う気持ちを伝えるために。
「大河……ごめんな」
 じわっと視界が滲むのは、大河が余りに眩しいからだ。
「そうだよ、きっと。そうなんだ。私、あんたを舐めてたよ。親友だなんていって、心のどっかで、守ってやらなきゃなんて思ってた。大河は不器用だから、道を譲ってやらなきゃなんて……そんな傲慢なこと、きっと考えてたんだ。そうだね、自分勝手なばっかで、あんたのこと、ちっとも考えてなかったよ。それを大河に気づかれるなんて、全然思わなかった。ごめん、大河……ありがとう。このままじゃ、大河が気づいてくれなかったら、きっと大河のこともっと傷つけてた。親友失格だよな……」
「……そんなこと、ないよ。みのりん」
「……あは……大河、いつの間にこんなでっかくなったんだろうね!」
 溢れ出した涙を見せるのはやっぱり恥ずかしくて、一瞬きょとんとした大河を思い切り抱きしめた。額をつむじに押しつけて、両腕に力を込める。
「大河、ごめん、でも……私も、あんたと対等がいいよ。前でも後ろでもない、あんたの横を歩きたい。まだ、いいかい? 遅くない? 私まだ、大河の親友でいられる?」
 大河は実乃梨の腕をするりと抜け出して、まっすぐ実乃梨を見上げた。ぐちゃぐちゃの顔をした親友に、力強く頷いてみせる。
「今までも、これからも、ずっと!」
「大……うおう!」
 涙を拭おうとする実乃梨に改めて飛びつく。それはもういつもどおり、身体ごと力いっぱい。
「みーのりん!」
「たー、いー、ぐぁー!! ……うぐ」
 ソフトボール少女と手乗りタイガーの全力の抱擁は、感極まって持て余した力でお互いの骨を軋ませたようだった。呼気を速めて身体を離す。
「……失敬、興奮して力が入ったぜ……へへ」
「今なんかミシッて……ぷっ……あはは」
 息を整えていると目が合い、どちらともなく笑い出す。
「大河! 私は……高須くんが、好きだ!」
「私も! 竜児が好き!」
 負けないからね。大河はそう付け加え、手を差し出す。実乃梨は頷いて握り返す。
 二人の頬が染まるのは大声で恋を叫んだ羞恥か、あるいは心をぶつけ合った感動か。同じ人を好きになって、これから競い合おうというのに、どうしてこんなに嬉しいのだろう。それは、二人が親友だからに他ならない。分かち合う時間が、それだけでこの上なく幸せなのだ。
「これでやっとおんなじ。みのりんの、隣に立てた……!」
「あとはフラフラしてる誰かさんを引っ張り出すだけだ」
「あんまりにも鈍感犬だったらケツを蹴っ飛ばしてやるわ」
「おおう、実力行使? じゃあ俺っちが守ってやらなきゃだね〜」
 二人はまた歩き出した。少し道草が過ぎたのか、同じ道を行く生徒は数を増している。
 溜まっていたものを吐き出して、しばらく言葉が出てこない。何よりその沈黙は心地よかったが、それだけではなく、頭の中が色んなことで溢れかえっていて、言いたいことは沢山あるのに、何を言ったらいいのか分からないのだ。何種類ものジグソーパズルが同じ場所にばら撒かれたみたいだった。その全てがきっと、完成したら素敵な絵柄になるのだろう。
「……私ね、竜児とみのりんはお似合いだと思う」
「いやだねこの人は、今日は不意打ちばっか」
 先に切り出したのは大河だった。遠足前夜のような漠然とした期待で緩んだ頬は、既に影を潜めて、真顔。
「いつかね、ばかちーが言ってたんだって。みのりんは太陽で、竜児は月。幾ら憧れても側にいたら燃えちゃうって。でも、ちょっと違うと思う。月が光るのは太陽があるからだもの。手はもう、届いてるんだわ。それでも、焼けつくされたりしてない。
 ……だからね、私は」
 竜児が月、実乃梨が太陽とすれば、月の傍らにいる大河は地球だろうかと、実乃梨は想像したが、思いもよらず大河は、
「私、彗星になる。何度もすれ違うかもしれないけど、いつか月にぶつかって燃やしてやるのよ。でっかいクレーターを作って、ばっちり私の痕を残してやるの」
「ぶつかったら、壊れちゃうぜ」
 いいわよ。大河は不敵に笑った。
「一度ぶつかって、粉々になるくらいじゃなきゃ、あいつ目覚まさないもん」
 こりゃ勝ち目薄いな、と実乃梨はこっそり苦笑した。全力で衝突してくる大河を受け止めきれるのは、竜児くらいのものだ。あの日屋上で言った言葉はやはり的を射ていたと、今でも思う。竜児はきっと大河の運命の人だ。そこに実乃梨が入る余地があるのだろうか。竜児が実乃梨を好きだと言うのはたぶん、本当だろう。でも大河に対する気持ちも、必ずあるはずなのだ。竜児はそれをまだ自覚していないだけかもしれないが。何といっても二人は長い時間を共有している。あの大河がそこまで心を許せる相手は、決して飼い犬なんかじゃない。並び立った二人の間に、何かかみ合う歯車があって、気づかないうちに惹かれ合ってしまったのではないだろうか。
 相反する二つの気持ちを自覚したら、竜児は苦しむだろうが、いずれそのうち一つを選ぶのだろう。それは、結局竜児次第で、譲ろうなんて傲慢な考えは介在する余地などなかったのだ。
 だったら、あとは、私らしく。