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「あーあ、背え伸びないかなあ」 だらしなく畳に寝そべった大河がファッション誌をめくりながらひと言。べったり伸びていてもなおコンパクトな手乗りタイガーを眺め、無理だろ、と言いかけたのを呑みこむ。 「か、可能性はあるんじゃないか……成長期なんだし」 竜児の精一杯の慰めに大河は険悪な表情で応えた。 「でも女子の身長って一次性徴で止まっちゃうんでしょ? テキトーなこと言って期待させるんじゃない愚犬が」 「ぐっ……いや、確かに女子の方が先に伸びるが、そこでストップってわけじゃないだろ。たぶん。だからきっとお前も……もしかしたら、たぶん」 ぶつぶつと言いわけがましい竜児に大河は冷ややかな視線を浴びせる。 「ったく……はあ……せめてあと、十、いや二十センチもあれば……」 せめてってレベルじゃねえだろ、と竜児は心の中で野次を飛ばす。大河はもはや竜児は眼中にないらしく完全に妄想の世界。 「それでね……それで胸は、そう、贅沢は言わない。B……ううん、Cくらいあったら!」 乙女っぽく手を組んで目をキラキラさせる大河の姿に、竜児は憐憫さえ覚えた。手を組んでも寄せたり上がったりする部分がないのはさておいても、ツッコミどころ満載なのに余りにも哀れでつっこめない。優しい竜児くんとしては。 長身で胸もちゃんとある、そして美人。人はそれを川島亜美と呼ぶのではなかろうか。とは口に出さない竜児。代わりに一六五センチCカップの大河を想像してみるのだった。大河が気づかないのをいいことに、手で首から下を隠す。差し当たって亜美をモデルに、何となく気が引けるがその首を大河にすげ替えて。思春期の男児たるもの脳内コラージュは完璧だ。 そして(竜児の脳内に)生まれたるは一六五センチの虎である。パーフェクトボディーを得た虎に一切の身体的コンプレックスは存在しない。 (むしろ近づきがたいぞ……) ただし、中身は大河のままである。 (……つまり、横暴でドジ) 身長一六五センチから振り下ろされる拳は体重が乗ってさぞかし威力を増すことだろう。全身のバネを使った下方からの一撃とどちらが強力だろうか? 考えたくもない。でも一応考えてみると、大河の身長が伸びた分だけ竜児の寿命が縮まることは確実だろう。 だってもうそれは手乗りタイガーではない。虎である。美しき猛獣である。 そして大体、そんなに上背があったら、その分長い手足からから繰り出されるドジは、一体どれだけの被害を竜児にもたらすのだろう。階段の上から落ちてきたらコブどころでは済むまい。大河自身だって転びでもしたら今以上のダメージを受けるに違いなく、危なっかしさはさすがプラス二十センチと言ったところだ。 暴力もプラス二十センチ、ドジもプラス二十センチ。ああきっと食欲だって一六五センチ相応に増えるのだろう。それも加算ではなく乗算で。米は俵で買ってくる必要が発生するのだろう。想像するだに恐ろしい。 「……悪夢だ」 「は? 何がよ。……ん〜、せめて胸だけでもあったら、恥らうことなくTシャツを着られるのに!」 竜児は再び逃避の世界に入り込んだ大河ににじり寄り、よもや押し倒しでもするのではないかと思えるほどのマジ顔でその両肩を掴んだ。 「大河」 「……ッ! ななな何!? やめなさいよ鼻息荒いわよ!」 我に帰って慌てる大河だが咄嗟のことに胸の前で手をぱたぱたさせることしかできない。 「現実を直視するんだ。お前は、一六五センチには、なれない」 美貌が歪む。というか半べそであった。 「……分かってる! そんなの! 何はっきり宣告してくれちゃってるわけ!」 「いや違うんだ大河、よく聞け。背は伸びるかもしれない。けど二十センチは幾らなんでも絶望的だ。おそらく一生『小柄』からは抜け出せないんだ……胸は……どうか分からねえが……でもな大河、逆に考えてみるんだ」 「なによぅ」 「お前は一四三、六……ゲフッ! もとい一四五センチだからお前なんだぞ」 「何よそのト、ト、トトロジジーは」 「同語反復のことを言いたいならトートロジーな。つまりだ。お前はその、ちっこいところも哀れち……胸が控えめなところも、ドジなところもわがままなところも、全部ひっくるめてお前なんだ。それがありのままのお前じゃねえか」 「なに当たり前の事実をご大層にご丁寧にくどくどとこの駄犬は……いい? そんなことはね、あんたにいちいち説明されなくたって……まあ確かにドジは最近自覚したけど……とにかく、そんなこたちゃあんと分かってるわよ! どうせ私は、チビで、貧乳で、わがままです!」 「ああ、忘れてた。そのガキくせえところもな」 「なあ!!」 虎の瞳に殺意が燃え上がり、爪は短いが凶悪なまでの握力を誇る猛虎の前肢が竜児を引き裂かんとした。が、寸でのところで攻撃は急制動をかけられる。 「でもな大河、俺はお前のそういうところも、全部好きだからな」 いともあっさりと、しかも無自覚に、虎は仕留められた。竜児の言わんとするところは大体こうである。 何だかんだいって(竜児を含む)みんなはありのままのお前が好きなんだぜ。 以上。 大河の顔が耳まで熟れたトマトみたいに赤くなる。ちなみに肩を掴まれたままで更に飛び掛りかけたため、彼我の距離は約二十センチ。竜児は涙目で赤面の大河としばし見つめあった。 そして、やっとのことで気づいた。 「……ああああんた今す、す、すすすす……」 「おうっ! ち、ちがっ、今のはそのっ!」 「私のこと……竜児は……」 「お、落ち着け、いいか、あのな!」 「竜児、私のこと……好き、なの?」 それがいじけた涙目だろうが熱っぽく潤んだ瞳だろうがそんなことは関係なく、事実はただ一つ、竜児の目の前には、ものすごく大切に思っている女の子がいて、どこかのチワワみたいなウルウルした目で竜児を見つめていることだけだ。しかもその細い肩をがっちりホールドしているのは他ならぬ竜児の手である。はたから見れば要するに、マジでキスする五秒前。 『あれ、ほんとにしちゃってもいいんじゃね?』 とどこかでアホの声がする。アホは春田の姿をしている。 『いいわけないだろう。まずは落ち着け。服を脱ぐんだ』 反対側からもアホの声がする。言うまでもなく北村の姿だった。 だめだこいつら、早く何とかしないと。焦る竜児の脳は、無口ではないが決しておしゃべりでもない竜児に、ほとんど意味もなく多弁を強いる。言葉の量が増えればその前の発言を薄めることができる、とでも言うように。実際は逆で、喋れば喋るほど、根っから正直者の竜児は、自覚があったりなかったりする心の内をぽろぽろ撒き散らしてしまうのだ。 「その、な。今のはどういう意味かっていうと、その、つまり、別に今のままだって充分魅力的だと、思うぞ。もっと自信を持っていい。考えてもみろ、ありのままを曝け出したって、お前が貧乳でも横暴でも、俺はずっと側に居るだろ? 別に仕方なく側に居るってわけじゃないんだからな。確かにドジだから放っておけないのもあるけど……それはつまり、お前が大事で、 だからずっと側に居たくて、それに一緒だとすごく居心地がいいし、素直じゃないところもちょっと可愛いとか思ってたり……、時々、屈託なく笑ってくれるのが好きで……あれ、ああ、うん、そうか。 えっと……好きです」 「……っていうのがきっかけだったわけ」 語り終えて、大河はやれやれとばかりにかぶりを振る。 「ほんとアホくさ……告られたと勘違いさせてからやっと自分の気持ちに気づくなんて。私も間抜けだけどこいつはもっと間抜けだわ。っつーか失礼しちゃうわよ。 ね、ばかちー」 「知らねーし」 亜美はゴキブリの交尾でも目撃したみたいに心底嫌そうな顔で言った。 「珍しく真剣に『どうやったら背が伸びるの?』なんて来るから、こっちも真面目に聞いてやったのに……結局ノロケかよ」 「まあまああーみん、よいではないかよいではないか。素直になれない大河に一緒にやきもきした仲じゃない」 「してねーっつうの」 つうかさ、と亜美。 「その話は高須くんの膝に乗ってなきゃ話せないわけ?」 |
09/05/12