melt

 きっかけは些細なことだった。でもそれは背後に長い軌跡を残した先端の一点で、ダムの決壊みたいなものだったのかもしれない。コップの水はたったのひとしずくで溢れ出すほどに目一杯だった。
 律は言った。
「どうしたい……?」

 夏の熱気が二人をベッドに横たえていて、てんでに雑誌やら漫画を眺めていた。寝返りを打った気配に澪が目を向けると、さかさまになった律の額が眼前にあり、その上の目と視線が絡んだ。
 恥ずかしがり屋の澪だったが、相手が律ならどれだけ接近しても落ち着いていられる。むしろ見慣れた風景には律の姿があって当然であって、近くにいない方がかえって違和感があるくらいだ。顔を上げると鼻先が汗ばんだ額に当たり、律の匂いがした。
 何気なく手を伸ばして律の頬に触れる。律の目がいたずらっぽく細められ、澪も微笑を返した。
 友達とか幼なじみなんていうラインは、たぶんもう越えていた。優しく交わる目と目の色は友情のそれではなく、言葉には出さなくてもお互いの気持ちは理解しているような気がしていた。
 ただ、今まではきっかけがなかっただけだ。何かが背中を軽く押しさえすれば、友達とその先への緩衝地帯など、ひと跨ぎで越えてゆけたのだった。
 視線は意味ありげに絡み合って離れない。こんなに見つめあったのは初めてかもしれない。暑さ以外の要素が澪の頬を紅潮させている。顔が熱くなるのを感じる。同時に締めつけられるように胸が苦しくなり、鼓動が増し、頬を撫でる手が震える。苦しくなるほど胸を圧迫する膨れ上がった感情が、偶然みたいに背中を押した。首を伸ばしてそっと律の額に口づける。律はくすぐったそうに身体をすくめた。
「どした、急に」
 溢れかえりそうなこの気持ちにつける名前を澪はもう知っていた。口にするのは照れくさいし、一抹の不安もあるのだった。そこへ踏み出したいと思っているのが自分だけだったら。それを考えるとどうしようもなく足が竦むのだ。まだ冗談で済むかも。臆病な自分が囁きかけ、それに耳を傾けたくなる。
「律……私……さ」
 息が詰まる。胸が軋む。舌が痺れて唇が震える。
 律の目はあくまで優しい。澪の言いたいことが分かっていて、それを言うのを待っているかのようにも見える。どんなことだって律なら受け止めてくれるのだろう。今までもそうで、これからもきっとそう。だからいつも澪は甘えてしまうのだ。
「律が、好き」
 もどかしく発した言葉はごく小さな呟きだったが、やけに尾を引いて頭の中を巡った。
 そんなことは知っているだろうけど、その「すき」がどんな重みを持っているのか、律には分かるだろうか。好きで好きで仕方がない。焦がれて、求めて、いつだって目が離せないでいることに、律は気づいているのだろうか。
 期待と不安を捏ねあわせた塊が胃袋にのしかかっている。その目を見つめているのは恥ずかしいが、目を逸らすことはできなかった。向かい合っていない瞬間に、律が苦笑していたら。ため息でも漏らしていたら。
 そんな風にされたらきっと立ち直れない。かといって、どんな反応を見るのも怖かった。律が口を開くまでの耐えがたい数秒は同時に永遠に終わってほしくない時間だった。口を滑らせてしまったのだろうか、胸にしまっておくべきことを。言ってはいけないことを。
「……澪?」
 律が手を伸ばしたとき澪の頬は濡れていた。澪の涙で歪んだ視界に律の笑顔が映っている。
「しょうがないな、澪は」
 額に温かいものがそっと触れた。
「なんも言わないうちに泣いちゃうんだから。困ったもんだ」
 今度は鼻先に、柔らかく。
「でもなー、そんなとこも……なんつーか、好きだよ」
 両手がそっと澪の頬を包み込み、音もなく涙の溢れだした瞼を唇が触れた。
「しょっぱい」
「律……」
 涙が止まらなかった。何か言おうとするが嗚咽に邪魔されて言葉にならない。たぶん、ひどい顔をしているだろう。こんなに嬉しいのに、みっともなくて、余計に涙が出てくる。嬉しい。嬉しい。でも出てくるのは涙ばかり。
 律の背中にしがみつくように腕を伸ばす。引き寄せられて顔が近づく。吐息が触れるほど。
「好きだよ、澪。大好き」
 唇の感触。嗚咽をこらえて引き結んだ唇に柔らかく触れて、もう一度触れて、優しくなぞる。やっと力の抜けた唇に重なって、溶け合うように形を変える。二人の唇はまるで初めからそのためにあったかのようにぴったり合わさって、離れては舞い戻る。
「あ……」
 求めた唇が虚しくかわされ、澪は不平の声を上げた。律は一旦起き上がって、澪の隣に上下同じ向きで寝そべった。顔を近づき鼻先がくっついた。正面から目を覗き込まれて、恥じらいがこみ上げる。その熱い頬に指先が触れ、再び唇が重なる。
「もっとしたいんだ?」
 律はからかうような調子で言い、空いた手で自分の唇をなぞった。普段のおどけた態度からは想像もつかないような振る舞いに心をかき乱され、澪は肌が粟立つのを感じた。感じたことのない欲求が身体の芯から首をもたげ、罪悪感を刺激する。でもそれはもう許されたのだ。大事な、大好きな律に対して、いけないと思いつつ抱いていた感情が。胸の裡にしまっておくつもりだったそれが受け入れられると知って、浮き立つ心に操られるように、陶然と頷く。
「結構……現金だよな、澪は。さっきまで半泣きだったくせに」
 わざとらしい呆れ顔を作る律に、口の中で「だって」と言葉を濁す。律は「でも」とにんまり笑った。
「そういうとこ、好き。かわいい」
「……そ、そういうこと、平気で言うんだからな」
 ずるいよ、律は。呟いて身体を丸めるが、伏せた顔はすぐに追いつかれる。
「私だって、恥ずかしい、けど澪も頑張ったから、おかえしだ」
 はにかんだ頬の紅潮は間違いようもなく現実だった。情けなく滲みだす視界を諦めて、委ねるように目を閉じる。間もなく期待に違わず顎がそっと包み込まれ、上唇についばむような感触がやってきた。それに応えて相手の下唇をはんで、腕を回し胴を引き寄せる。自分の身体に律の熱がしみこむように、強く。
 一つになってしまったかのような感覚に澪の胸は幸福感で溢れていたが、やがて汗の雫が滑り落ちて、雰囲気に水をさした。
「……暑いな」
「……ん」
 世界に蝉のざわめきが戻ってきた。二人が世界に戻ってきたというべきか。気づけばじっとり汗ばんで、ただでさえ暑い部屋の中でくっつきあって熱の塊になっている。
「あは」
「ぷっ……ふふ」
 顔を見合わせて、どちらともなく笑い出す。お互い暑い暑いと言いつつ、背中に回した腕を放そうとはしない。泣きたいような笑いたいような奇妙な感情がいっとき澪の頭を占拠して、結局それは嗚咽みたいな笑いに落ち着いた。
 どのくらいの時間が経ったのか、肩に顔をうずめて、相手をしっかりかき抱いたまま続いた笑いの発作はようやっと収まり、改めて見つめあう。
「あーあ……笑ったら余計暑くなった」
 律は息をついて腕の力を緩めた。
「暑くてもいいよ」
 その分だけぎゅっと律を引き寄せて、澪は律の頬を滑る汗を舐めとった。
「ぅえっ……な、なに?」
 器用にベッドを落ちない程度に転げまわった結果、いつの間にやら澪は律に覆いかぶさる姿勢。こみ上げてくる笑いを堪えきれないかのように口をもごもごさせて、指で指を縫いとめる。
「……律の言うとおり、私、現金かもな」
「え……っと……?」
 絡ませた指をもう一生放したくなかった。このまま溶け合って律と一つになってしまいたい。それが叶わないのなら、せめて、もっと、欲しいのだ。抱きしめてキスするだけでは満たされない。まだ足りない。律の目が、唇が、膚が、全部欲しくてたまらないのだ。
「澪……んむむ」
 手始めに唇から。重ねると背筋を痺れの波が駆け抜ける。澪の唇は、神経は、脊髄は、まさにこのときのためにあったのだろう。全身が律を感じるために用意されていたのだ。少なくとも澪は今、自分の髪の毛からつまさきまで、全てが律とこうするためにあるのだと感じていた。
 長い長いキスを終えると、律はぼうっとした表情で呟いた。
「……なるほど、確かに現金なやつだ……」
 絡ませた指を握り返し、照れくさそうに視線を澪に戻す。
「あの……でもさ、付き合いはじめていきなり、そゆことすんのも、どうなのかなーって……」
 今度は澪がぽかんとする番だった。
「つきあい、はじめて?」
 鼻同士が触れ合うような距離で暫し見つめあい、まばたき。
「あ、そっか。私、律と付き合うんだ……」
 二人の人間がお互いに対する恋愛感情を披瀝したとして、大概の例ではおそらく、そういう結果になるだろう。律も例外ではなかったようだが、澪にとっては告白までが精一杯で、それ以降の展開に関しては全く想定すらしていなかった。そもそもこの感情は心の奥底に仕舞いこんでおくつもりのもので、そうする以上報われる予定のないものだったのだ。ところが何かの偶然が重なって、告白はなされ、成就してしまった。
「……お前って」
 おおらかな呆れ顔の律をよそに、澪は、うん、そっか、などと一人で頷いて、
「あーあー澪ちゃんはもー……」
「だって」
 ぽろぽろと大粒の涙を零すのだった。
「嬉しくて」
「んん」
 顔に降ってくる水滴をまあ汗みたいなもんだとひとまず放っておき、自由になった手で澪の頭を撫でる。
「ほーら泣かない泣かない。泣きやんだら、お姉さんがいいことしてあげよう」
「……いいことって?」
「さあて……なんだろねえ」
 長い睫毛についた水滴を拭ってやると、その目の奥に燠火のような期待を発見する。
「……どうしたい……? 言ってみ」
 澪の顔に差した鮮やかな朱が一層色づく。泣いたせいかほんのり赤みを帯びた下まぶたが切れ長の目を引き立てている。
「言わなきゃだめ……?」
「だーめ」
 哀願めいた甘え口調のあまりのかわいらしさにぐらつく心を何とか抑え込んで、あくまで焦らす。組みしかれた方が主導権を握っているのも妙な話だが、からかい甲斐があるのはやはり澪の方だし、律はそんな澪も堪らなく好きなのだ。
 下唇を噛んでの葛藤も束の間、咽喉を鳴らして唾を呑んだ澪は律の耳元に口を寄せた。
「…………」
 今度は律が鳥肌を立てる番だった。耳にかかる吐息のくすぐったさもあったが、何よりあの恥ずかしがり屋の澪にそんなことまで言わせるほどの情熱を自分は抱かせることができるのだという事実が、律の胸を踊らせるのだ。
 緩む口元をごまかすために、至近にある澪の唇を強引に捉える。どこか嬉しそうな声が形ばかりの抗議を発するが、二人はぴったりとくっついて離れない。鼻をこすりあわせて斜めに交わり、触れるだけの口づけが徐々に湿り気を帯びていく。
 より柔らかく湿った感触の侵入に驚いて目を開けたのは律だった。遠慮がちな侵入者は歯列を一つ一つ確かめるようにたどって、降伏を要求している。顎の力を緩めると、いそいそと舌が割り込んでくる。悩ましげに閉じられていた澪の目が開き、律の舌から歓迎の意を感じて恥ずかしげに細められる。
 口の中にこんなに沢山の神経が用意されているとは二人とも全く予期していなかった。唾液を潤滑油に舌同士が絡み合い吸い合うことで、文字通り味わったことのない快さが下腹部を疼かせる。
 羞恥を誘う大きな水音が身体を火照らせた。澪は愛おしげに律の舌を吸い、髪を梳きながら実にさりげなくカチューシャを外した。髪の毛がつむじの向きに従って跳ね上がって、律は何だかもう最後の一枚をはぎ取られたかのような気分になった。左手が枕元にカチューシャを置いてくる間、右手は優しく律の髪を撫でつづけ、戻ってきた左手はおずおずと首筋を下りだす。
 鎖骨付近を撫でられた律の反応に澪は顔を上げた。
「くすぐったい?」
「……ちょっときもちい……かも」
 触れるか触れないかというその触り方のせいもあるのだろうが、首筋などがそんなに敏感な場所だとは意外だった。くすぐったさ混じりのそれは、恐らく人に触られなければ気づかなかったであろう未経験の感覚だった。もちろん触る人によっても感じ方は異なるだろう。こんなにも気持ちいいのはそれが澪だからだ。
 一度離した唇は今度は頬に触れて湿った感触を残し、次に耳たぶの前あたりに落とされた。耳に移動して律の背筋を撫でたあと、首筋にキスして、寸刻みで下に向かい、やがて鎖骨に到達する。
「……噛んでもいい?」
「え!? ……うん……いいけ、ど、あッ」
 鎖骨を甘噛みされ思わず大きな声を出してしまい、赤面する。よく考えてみると「してあげる」なんて言いつつされているのはすっかり律の方だった。反撃しようにも両手は万歳状態で押さえつけられていて、この状況では降参のポーズに見えないこともない。絡まった指は優しいが力強く、とても逃げ出せそうにはなかった。自分より大きなその手を握り返し、好きにさせてやるかと腹を括る。そんな冷静な意識もどこかにありつつ、それでいてたとえ両手が自由でもろくな抵抗もできないかもしれない。というのも実際、ポロシャツに引っかかってそれ以上進めなくなった澪がもどかしげに襟を引っ張るために手を離したときも、何のことはなくなすがままだったからだ。
「襟伸びちゃうって」
 普通のシャツならボタンを外せるところだが、あいにくとプルオーバーのため順路は迂回したずっと先にある。澪もそれ以上先に進めないことが分かったのか、顔を上げた。悪さが見つかった子供みたいな顔。
「……脱がせていい?」
 言いつつ既に裾に手をかけている。
「やだっつったらやめんの?」
「いや?」
「……いや、じゃあ、ない、けどー」
 ずるいのは澪の方じゃないか。律は脱がしやすいよう腕を上げた。とはいえ、お互いがお互いに甘いのは昔から変わっていない。そんな顔をされたらとても断れないのはたぶん澪だって同じだろう。
 ポロシャツがめくり上げられ、腋の下で止まる。
「あ」
 しまった。ぬかった。しくじった。ああ、でももう遅いのだ。律は両手で顔を覆った。
「律……これ……」
 見えなくてもニヤニヤと緩んだ澪の顔がありありと思い描ける。
「色気、ねー」
「楽なんだよ!」
 ポロシャツの下に着ていたのはタンスの奥に眠っている唯一かつ極秘の勝負下着ではなく、最近はCMですら流れていて大らかな時代になったなあなどと思っていたカップ入りキャミソール(Sサイズ)だったのだ。しかもCMしているメーカーのカラーヴァリエーション豊富な商品ではなく、それより前から売っていた別のメーカー。色は生成りである。
「まあ律らしいといえば……」
「安かったんだよ!」
「一緒に買ったもんな……」
 遺憾なことだが、幾ら好きでも友達が家に遊びに来るからといって勝負下着をつけているはずがないのだ。そしてまさかしょっちゅう来ているのに、今、このときこんな事態になるとは誰が想像できるだろうか。
「澪こそ、どうなんだよ!」
「ん? 私?」
 指の隙間から窺うと澪は先ほどとは打って変わって余裕たっぷりの表情。
「見たい?」
「見せりゃ!」
 地味に噛みつつ起き上がって、澪の服を脱がしにかかる。しかしこちらはこちらで手順が逆だった。上に着ているのはフレンチスリーブのシンプルなカットソーだが、下はショート丈のサロペットで、一旦肩紐を落としてからカットソーに取りかからなければならない。要するに上から着るものと下から着るものが互い違い。
「重ね着ってかわいいけど実利的じゃないよな」
「え?」
「ほら、映画の濡れ場とかで、スリップ一枚とか、肩が紐のワンピとかで、肩から脱いですとーん、と、んで下は全裸ー! みたいな? ってゆうの、エロくね?」
「スリップてお前……なんかそれおっさん臭いぞ律……つかどんな映画観てんだ?」
「う……うっさいなもう! 脱げよ早く! バンザーイ!」
 勢いよく脱がせるとやや遅れて長い髪が落ちてくる。
「お、おお……」
 自信に満ちた態度はそれに裏打ちされたものだった。黒に濃い青の組み合わせのちょっと大人っぽいブラ。白い肌に
やっぱり濃い色が映える。
「ってこれあんとき買ったやつじゃん」
「あ、覚えてたんだ」
 それも実のところ一緒に買いに行ったもので、それどころか澪が散々迷って律に助言を求めてきたものだった。そのときも澪は色白だから濃い色の方が似合う、などと言った覚えがある。
「……まさか私に見せる勝負下着とは思わなかったけどな……」
「えへへ……」
 ほんのり頬を染めた澪は再び律の服に手をかける。
「中途半端」
 脱がしかけのポロシャツは起き上がった勢いで半ば元に戻っていた。
「え、ちょっと」
 澪が掴んだのはポロシャツだけではなく、その下のキャミソールまで一緒にまくっていた。諸手を上げたポーズは今度こそ降参だった。一気に全部脱がされてひどく無防備な気分になる。既にカチューシャが外されていて、前髪が表情を隠してくれるのがせめてもの救いか。
「そんな……じろじろ見んなよ」
 両手で胸を隠した律は、肩を掴まれて押し倒された。今度はゆっくり。
「かわいいよ」
 律の顔がみるみる赤くなる。さっきと体勢は同じなのに主導権はもはや完全に逆転していた。
「……見事な反撃だと言わざるをえないぜ……」
 耳たぶまで真赤にしてそう言い返すのが精一杯だった。
「ほんとだし」
 何だか久しぶりに思えるキスと同時に澪の髪の毛が肩に落ちかかってきて、律はビクッと身体を震わせた。舌の侵入に抗えるはずもなく、口の中はたちまち澪の味でいっぱいになる。
「いて」
 澪の手が胸の上を通過するとき、意図せずその先端をこすったせいで、律の身体が跳ねて額同士がぶつかった。
「あ、ごめん……」
「い……いいけど」
 澪は少し身体を浮かせて、うっかり触れた部分を見た。濃い肌色が赤らんだような色に興味をそそられた様子で、ちらりと律の目を見る。澪の目に浮かんだ窺うような色を見て、律は次に何をされるか悟った。目をつぶるか見開くかわずかに逡巡したのち、結局大きく見開いた目で下がっていく澪の頭を追う。
「……ッ……は……」
 そっと舐められただけで背中がぞくぞくした。それだけでとんでもなく恥ずかしく、頭の芯が白熱する。これ以上のことをされたら、恥ずかしさの余り死んでしまうかもしれない。でもきっと、いや絶対澪はこの先を最後までしとおすつもりだろう。やられっぱなしも癪だ。
「私だけじゃ、不公平……」
 背中に手をかけ、ホックを探り当てる。澪は意に介した風でもなくいわゆる蕾などに例えられるそれを口に含んでいる。実に挑発的である。ホックが外されてやっと澪はこちらを見たが、舌は間断なく動き蕾を転がしている。口を離さないまま肩にぶら下がったブラを取り、その辺に放り投げる。初めて見るわけではないが、澪の胸は形がよく、律のそれよりよほど豊かだった。ワイヤーから解放されてやわらかく腹部に密着する部分を手探りすると、肌にストラップの痕を発見する。
「くすぐったいだろ」
 澪は笑って口を離した。
「おかえし」
 その隙に指で今までされていたことを再現する。
「ちょっと、律……」
 澪の身体がのけぞる。口は一つしかないが手は二つあるのだ。してやったり、と思うも束の間、それは敵に武器を与えるようなものだった。同じことを片方は口を使ってされ、律は悲鳴を上げる羽目になる。律の上げた声が思ったより大きく、澪は満足そうに笑っている。調子が狂う。恥ずかしがるのはいつも澪の役だったのに。
「……んんッ……や、やられてるだけじゃねーからな!」
 律は指を口に含んで湿してから再度報復に打って出た。効果のほどは澪の反撃が激しくなったことからも明らかだが、不毛な紛争のようにまるで終息の兆しを見せない。
「ちょっと……律、ちょっと、待って……」
 やっと音を上げたのは澪の方だったが、それは白旗ではなく新たな宣戦布告だった。
「脱がすから」
「え」
 言うが早いか澪の手は律のパンツのボタンを外していた。ジッパーを下ろして脱がされるのはあっという間で、律にできることははベッドの上に立って自らも脱ぐ澪を呆然と眺めることだけだった。
 しかしこれでやっと公平である。これでお互い――上下揃いのショーツと色気のないドット柄のボクサーという差はあったが――最後の砦を残すのみとなった。その均衡状態も一分足らずの間しか持たなかった。澪が早速律のショーツに手をかけたからだ。慌ててその手を押さえる。
「……脱がすの?」
「ん」
「あ、の、心の準備っていうか……」
「じゃあ、私先に脱ぐから」
「おい」
 澪はだいぶ吹っ切れているようだったが、膝立ちでショーツを下ろしたとき、布地と身体の間にひとすじ糸が引いたのを見て硬直した。すごい失敗をしでかしたような顔で赤面し律と顔を見合わせる。
「……あ、たぶん、私も一緒だから」
「……うん」
 もじもじと脱ぎ終え、丸まったショーツを手に動きを止める。
「……洗濯したげるから」
「……うん」
 澪は『勝負下着』を小さく折りたたむとベッドの隅に置いた。すっかり恥ずかしがり屋に戻った澪は膝立ちのまま一転して俯いてしまう。それでいて全裸なのだから羞恥心のハードルは随分複雑なものだ。仕方なく律は自分で脱ぎ、予想通り同じような有様のそれを見てぎょっとした。
 急に恥ずかしくなったのか、澪は両腕で胸を隠しさえした。今更というか何というか。
「……澪」
「……なに」
「お前やっぱかわいいな」
 澪は眉毛を八の字にして起き上がった律を見た。俯いているので自然と上目遣いになる。
 これで狙ってないんだから大したもんだ。表面上はにやけるにとどまっているが内心律はモエモエキュンの快哉を叫んでいる。
「好きだよ」
 両手で顔を挟んで額にキスすると、澪は小さな声で「私も」と呟いた。

(2009/09/01)