適応

「おっしゃ!」
 つい声が出る。素晴らしい。誰も居ない。
 今日は土曜日だ。恒例の不思議探索ツアーが、結果への期待など微塵も持たせずに開催される日である。翌々考えてみると、これだけ何度も行っているのにも係わらず不思議のふの字すら見つからないということは、ハルヒ自身、別に見つからなくてもいいと思ってるのではなかろうか。
 ただ皆と遊びたいだけなのだろうか。だったら素直にいえばいいものを。俺だって毎度のように遅刻の罰金を集合時間には遅れていないのに払わされるのを除けば、決して楽しんでいないとはいえないわけで、皆と遊ぶのはやぶさかではないのだが。
 時計を確認すると、まだ八時を回ったばかりである。集合時間は九時だが、他の面子が、もとい団長閣下がどれだけ早く来ているのか分かったものではないので、これくらいで丁度いいのだ。
 ハルヒのびっくりした顔を期待できるとはいえ、早起きをしたせいで眠い。そもそも理不尽な罰金を回避するためにこんなことをするハメになっているのだから、つくづく俺も苦労人である。誰か褒めてくれ。
「えらい」
「うわあっ!」
 素ッ頓狂な声を上げて振り返ると、横に長門が立っていた。相変わらずの制服姿だ。
「おはよう……お前も早いな」
 長門はこくんと頷いた。
「確かにあなたは不要な苦労まで抱えこむ癖を持っている。それが『お人よし』と呼称される性格の由来するものだとしても、あなたの努力は賞賛されるべき」
 分かってくれるのはお前だけだよ。ありがとよ。
「それだけではない。あなたは大多数の人間と同じという意味で普通の人間であるが、ある一点においては普通とは断言できない。それはあなたの適応力が、その他の大多数の人間に比べてかなり高度であるということ」
 そうかな。確かに不測の事態というか、非日常的な突拍子もない事件に巻き込まれても余り驚かなくなったようだが。
「そのとおり。あなたのように立て続けに非日常的な体験をし、自身の確信していた常識を繰り返し否定された人間は多くの場合、恐慌状態に陥り自己同一性の崩壊すら起こしてしまう可能性がある。そういう点においてあなたの高度な適応力もまた、賞賛されるべきと思われる」
「そんなもんだろうかね」
「そう。この惑星に棲息する生物に例えると、ゴキブリと呼称される昆虫に匹敵」
 ……ひょっとしてそれは褒め言葉なのか?
「問題が?」
 長門は何の疑問も抱いていないようであった。
「わたしには有機生命体の抱く恐怖という概念がよく理解できない」
 嫌われてることは知ってるのか。まあ別に咬んだり刺したりするような昆虫じゃないしな。「不快害虫(形状)」にカテゴライズされているのをどこかで読んだことがある。何事にも動じないお前だったら、あの昆虫界きってのスプリンターがカサカサ走ってきても、恐くもなんともないんだろう。そもそも長門の部屋には出なさそうだし。
 俺は長門の足もとを指差した。
「あ、ゴキブリ」
「きゃっ!」
「…………」
「…………」
 その日長門は俺と一度も口を利いてくれなかった。

(2007/12/01-10)