Никто, ничего

 部室棟に足を踏み入れたところで、俺は向こうからやってくる小柄な人影に遭遇する。小さな頭がこちらに気づいて静止し、ところどころ跳ねた毛先がそれに合わせて揺れた。
「よう。どうした?」
 近づきながら訊ねると、長門は片手に持った本を差しだした。知らない外国人作家の長いタイトルの本だった。
「図書室か?」
 小さな首肯。図書室に本を返しに行くんだろう。上がったときと寸分変わらぬ動作で腕が下げられる。
 俺はちらっと見えない部室の方向を見た。
「ハルヒ達はもう来てるのか?」
 長門は一拍置いたタイミングで首を振った。振る、なんて勢いのある動作ではなかったが。ともかく、居ないらしい。
「そうか。じゃあ俺も一緒に行っていいか?」
 長門は迷っているような、考えているような、どこか曖昧な瞬きをしてから、ぽつりと、「いい」と言った。答えが返ってくるまでの二三秒の間俺を見つめていた長門の目は、揺るぎない知性の輝きさえそこになければ人形めいた無感動なガラス玉にしか見えないのだったが、長門の微細な表情の変化を読むことに長けた俺にはその液体ヘリウムの奥に隠されたその深遠な思考が手に取るように、分かるかと言えばそういうわけでもなかった。
 歩き出した長門は俺の横を通りすぎ、渡り廊下を校舎へ向かって歩いていった。すれ違いざまに首を回すと胸に抱えた本の背表紙に貼られたラベルが見えた。もし同じ本を抱えたのでも朝比奈さんだったらきっと背表紙は見えなかったのだろうなあと無意味に不埒なことを考える。
「…………」
 立ち止まってこちらを振り返った長門も同じようにこっちの考えを読んでいるわけではないのだろうが、俺はちょっとドキッとして視線をずらし、長門について歩き出した。長門の首は近づいていく俺の身体と完璧に連動して動き、二人の位置が重なると再び歩き出した。
 気配なんてものは所詮本人の自意識なのだろうが、何か言いたげな気配というものはあると思う。少なくとも長門はそれを感じているのではないだろうか。なぜなら歩いている間俺は口を開きかけたり息を吸ってただ吐いたり、ちらちらと斜め右下へ視線を送ったりしていたからなのだが、俺も別段言うことはなかったのだった。寒くなってきたなあとか曇ってるなあとか口にしてみてもろくなリアクションは期待できないし、その本は面白かったか、などと訊いてみても「割と」とかそういった一往復で終わってしまいそうだ。長門と話したい気持ちはあるのだが何を話したらいいかは思い浮かばない。無理に喋ることもないか、などと考えているうちに図書室である。
 図書室ともなるとまた話しかけるのが躊躇われる空間である。昼休みならまだしも放課後ともなると居残る人影はまばらで、わけても真面目に勉強をしている者か、静かに読書を楽しみたい者しかおそらくいまい。取り立てて用があるわけでもないのに話をするのは小声でも迷惑だろうから、俺は大人しく目についた本を一冊手に取り、隅っこの方の席に腰を下ろした。
 長門はといえば、持ってきた本を窓口に返却し、次に読む本を探しに本棚に吸い込まれていくところだ。あいつの扱える情報量を鑑みれば、我が校の蔵書目録どころか蔵書の内容全てを記憶していても全然不思議ではないのだが、そこはそれ、読書が長門にとって趣味なのだか暇つぶしなのだか分からないが、いずれにせよ長門が自ら進んでやる数少ない行為の一つなのだから、そんな無味乾燥な真似はしないだろう。目的は情報の獲得ではなく読書という体験なのだ。たとえるなら美味しい料理を食べるようなものなのだと思う。
 というようなことを長門が考えているかどうかは定かではないが、ともかく我らが文芸部員殿は俺など一顧だにせず、本を手にとってはぺらりぺらりと手繰って元に戻している。蔵書目録くらいは暗記しているのかもしれないな。行きつけの定食屋のメニューを覚えているような感覚で。それはそれで読書の楽しみを妨げることはないだろうから。
 一応格好つけに本を取ってきたのだが、何というかこう、図書室というのは静かで暖かくて、むしろ絶好の居眠り空間だ。俺とて読書が嫌いなわけではないが、適当に選んできた本が面白くないのか、単なる責任転嫁かどうかはさておき、本の内容が一切頭に入ってこない。思えば春に長門を図書館に連れていったときもこんな調子だったか。長門がそれでいいのだったら俺は別に何も言うことはないのだが。
 俺は活字を追うのを諦めて机に肘をついた。長門の代わり映えしないカーディガン姿に目をやるだけで、それなりに楽しくなくはない。漠然とした思考が、あいつ髪伸びんのかなあ、とか、ほっそいなあ体重いくつあんのかな、とかぼんやりした考えを垂れ流しはじめる。
 見ていて気づいたのだが、長門の動作は無駄がない。違和を感じるほどではないが、よくできた3D動画を見ているかのように滑らかでブレのない動きなのだ。ノイズがないというべきか、動と静の境界が明確というか。3Dに限らず絵とか、模型なんかであれば汚しという形でリアリティを出すためにノイズを入れるくらいだから、それが綺麗過ぎるといっそ目立つのである。
 憶測ではあるが長門はおそらく、基本的な身体構造は普通の人間と変わらず、骨の上に筋肉がついているのだろうから、普通に行動していればどうしてもノイズは発生するはずだ。人間じっとしているようでどこかしら微妙に動いているもの、そんな些細なノイズさえ感じさせないのは、長門が意識して無駄のない動きを心がけているからではないだろうか。
 ちょっと面白いなと思った。あってしかるべきノイズを消すことがかえって長門のノイズになっている。
 以前から思っていたのだが、同じヒューマノイドインターフェースでも長門と朝倉ではどうしてこうも違うのだろうか。クラスの委員長になるほど周囲に溶け込んでいた朝倉と比べて長門は明らかに異質の存在だ。常識の偏りやら徹底した無表情やら挙げていけばキリがないが、バックアップである朝倉にできることが長門にできないはずがないのだから、長門有希というキャラクタは敢えて形成されているとしか考えられない。
 正直なところそんな長門も俺は嫌いじゃあないのだが、時々不思議に思うのだ。
 長門たちの親玉である情報ナントカ体とやらは、長門をただの寡黙な目立たないいち生徒として作ることもできたのに、敢えてそうはしなかった。
 それはなぜか。
 などと言われても考えてもさっぱり分かりゃしないのだが。
 ふと気づくと、顔の高さのすぐ近くに制服の赤いリボンが揺れた。長門を眺めていたようでぼうっとしていたらしく、見上げると本を一冊携えた長門が立っていた。
「ああ、悪い。借りる本は決まったのか?」
「決まった」
「そっか。じゃあ行くか」
 肯定らしい動作。
 もとより特に理由もなかったが、これじゃ何でついてきたんだか分からないな。
「べつに」
 その言葉のあとには、おそらく「いい」とか「構わない」とかまた淡白な表現が続くのだろう。長門がいいのなら、こっちだって全然構わない。
 俺としてもまあ、居眠りをしなかっただけマシというべきか、別に眠っても構わないのだが、長門と二人だと無駄話をするでもなく、馬鹿げた遊びをするでもないから、どうにも空気が緩むというか、何というか。とりたてて感想も何も浮かんでこない、限りなく無目的なひとときになりがちなわけだが。
 つまるところ長門がいつもどおり本を読んでいれば、世界は平和なのだと、そういうおぼろげな実感を噛みしめてぼうっとしていれば、俺は満足できるのかもしれない。退屈してきたら、そのときはそのときだ。

どうでもいい考えごと。何気に書き始めてから一年経ってるぜ!

08/12/20-09/12/15