保留2

 なぜ自分がこんな目に遭わねばならないのか。あらゆる時代の憂き目な人々が発する深遠な問いには、ただ「神のみぞ知る」という陳腐な言葉を返すことしかできない。同様に俺が今なぜかよく分からずに苦労している理由は、一説にはこの世界を創世したのかもしれないという他称神様の御心の中のみに――限った話ではどうやらないらしく、こうして今コタツ越しに向かい合っている透かした野郎が何やらそれについて一枚噛んでいるという事実が、俺の平常心を微かに揺さぶり、ちょっとした苛立ちのようなものを生じさせるのである。
 いや、訂正しよう。甚だ遺憾だ。
「と、いうわけなんですよ、朝比奈さん」
「ふぇっ!? どどどどういうわけですか?」
 所在なさげに湯呑み茶碗を口元に運んだり、飲みかけて止めたりという一切無駄な動作を繰り返していた朝比奈さんは、俺の言葉に危うく熱い緑茶をぶちまけるところだった。
 ちなみに現在、団長ハルヒと名誉顧問鶴屋さんを除くSOS団四人は、この不届きな団体の書類上の家主である長門の部屋に揃っており、めいめいコタツ机の四辺に陣取っている。
 いや、訂正しよう。初めはそのつもりだった。
「いえ、何と言ったらいいか。見てのとおりなんですよ」
 一年前に比べれば物は増えてきたとはいえ、今ひとつ生活感に欠けるマンションの一室に最も長く設置されている家具の一つであるコタツ机の、その三辺が現在使用中である。内訳でいうと、一つを古泉、一つを朝比奈さん、一つを俺、と、長門が使っている。
 いかにも不自然である。本来そういう目的を意図していない、即ち一辺に一人分のスペースしか想定していないテーブルに、幾ら小柄で華奢とはいえ、想定する年齢相応の域を出ない体格の長門と、まあどう言いつくろっても標準体型な俺とが収まると、いかんせん密着せざるをえないのが現状なのであって、そのべったり具合を見ればさすがの朝比奈さんもこの不可逆に進行してしまった状況を察してくれるのではないかと、俺は期待したのだったが。
「えっと……?」
 朝比奈さんは男なら軽く五六人は瞬殺できそうな可愛らしい仕草で可憐に小首を傾げた。
「……えっと、ですね」
 俺がふらっと目を泳がせると、中々いいお茶ですね、などと浮薄な台詞を吐いて湯呑みを置いた古泉は、相変わらず迂遠な言葉で助け舟を出してくれた。いっそ代わりに説明してくれたっていいんだがな。
「見てのとおり、と仰いましても、最近のあなたがたは大抵こんな様子ではないですか?」
 ごもっともだよ。だからこそこのあいだは何か隠しごとをされていると勘違いをしたハルヒが爆発しかけ、そこから思いもよらぬ……というほどでもないが結構意外な方向へ進んだ話を何とか穏便に通すために、二人にここに来てもらったんだからな。
 俺は長門を見た。愛すべき文学少女はまるで創世の一日目からそこに座っていたとでも言わんばかりの体で俺の隣に正座し、比較的どうでもよさそうな顔で湯飲みを小さな口へ運んだ。長門の無関心無感動は今に始まったことではなく、一般人が普通にうろたえるような事態は言わずもがな、この世の存亡の鍵を知っているという二人でさえ動揺するような事態でも滅多なことでは興味を示さないが、どうしてこいつは自分にも浅からず関係のある懸案事項を目前にしても、そういう態度を取っていられるのだろうか。

「……無関心なわけではない」
「そうなのか?」
「……問題にしていないだけ」
 ということらしい。実際俺もその問題がどこをどうして問題になったのかはっきりと分からないでいるのだが。
 ただ、まあ思い切り完全否定した舌の根も乾かぬうちに前言撤回せざるをえない状況になってしまったのは、どうにも弁解しづらい問題なのだろうとは思うが、実際そのときはそれが真実だったのだから、異時間同位体と同期するなんていう過去から未来までまるっとお見通しな反則技を封印した長門はもちろん、十六年後どころか十六分後の自分だってどうなっているか断言できない一般人代表の俺にもそのときはありもしないことを認めるわけにはいかなかったのだから、客観的な事実としては不可抗力であるはずだ。
 とはいえ俺の超絶はた迷惑なレヴェルにまで達するらしい鈍感さがその原因の一端を握っているらしいのも、否定しようがない事実なのであって、やはりこれは問題で、自分自身で解決するしかないのだとは思う。
「……っとですね」
 俺は同じ言葉を繰り返した。察してほしいこの気持ちを。真横でぴったりくっついている当人にさえまだ告げていないことを、まず他の人間に言わねばならないなんて、どうかすると本人一人に告白するより恥ずかしい。何と言ってもそういった経験値の乏しい俺のことである。昔の淡い初恋なんかに比べるとリアリティが段違いである分照れくささも何割り増しか、顔から火が出るような思いなのに。
 そして今更思い出したが、結局俺はまだ本人――長門有希に対してそれを言っていないのだった。既成事実が先行するという面映い事態になってしまった以上、早いところ済ませてしまいたいのだが、その前に公開告白しなければならないなんて何とも理不尽な話だ。長門には後ほど改めて言わねばならない、義務でなくても言うつもりではあるが。
 そうだ、さっきだってそうするつもりだったのに、誰かさんがベストタイミングで邪魔してくれやがったのだった。悪気はないのだろうが、というかこいつなりに一生懸命やっているのだろうが、何と忌々しく迷惑な話であることか。
 だがまあ、言うしかないのだろうなあ。
「実は……というかあの、否定したあとからなんですが、俺と長門は付き合ってるんです」
「……へ?」
 朝比奈さんはぽこんと疑問符を浮かべ、
「ええええっ!?」
 叫び、立ち上がりかけて膝をコタツ机にぶつけ、挙句足が痺れていたようで後方に思いっきり転倒した。スラップスティックなお人である。
「大丈夫ですか……?」
 咄嗟に助け起こそうと立ち上がるが、古泉に先を越されて仕方なく座りなおす。ちょっと長門の視線を感じた。仮にも長門の支配領域で朝比奈さんが頭を打ったりするはずもないか。
「どどどどど、つつつつつつつ、つき、つき、つき」
「どつき?」
 復帰したとは言いがたい朝比奈さんは古泉に勧められて冷めかけのお茶を飲み下した。
「つ、つ、付き合うって……その、いわゆる、広い意味で言うやつじゃ、なくって、その、いわゆる、せせ、狭い意味で言う、前に『に』じゃなくて『と』がつく方の、あにょ……」
「まあ……所謂そういう方ですが」
 息つく間もなく朝比奈さんは沸騰した。ぽやっとした童顔が夕陽色に染まり、くりっとした大きな目は涙に潤み、細い顎はがくがく震え、小さな手はわなわなと宙を掴んだ。
「落ち着いて」
 打って変わって顔色一切変化なしの長門は、朝比奈さんの空の湯呑みにお茶を注いだ。
「飲んで」
 いつか聞いたようなことをいつかと寸分違わぬ調子で言い、湯呑みを朝比奈さんに差し出す。こんな風に言われたら毒杯だと分かっていても呷らざるをえないだろう。長門のことだから鎮静成分くらい入っていても全く不思議ではないが。
「ふぇ、ふぁいっ」
 朝比奈さんはやや温いお茶を勢いよくズズッと啜り、予想に違わずむせた。
「ご、ごめんなさい、あたしったら……だってその」
 ふわぁ、と何ともいえない声を出して、上目遣いに俺を見たものである。もとい、俺たちをだが。
「差し支えなければ、その辺りの事情をお聞かせ願いたいものですね」
 差し支えあったってお前は聞くだろうが。
「おや、そう思いますか? 幾ら僕でも、あなたのプライヴェートにまで口に出す権利はありませんよ」
 そうかい。そりゃ嬉しいね。だったら聞かずに済ませてくれ。
「そういうわけにもいかないのはあなたもご存じでしょう?」
 まったくな。
「やれやれだよ」
 俺は仕方なくここひと月くらいの俺と長門のアレやソレをかいつまんで差し支えない範囲で説明した。つまり、主に俺が鈍感なことや俺が鈍感なことや俺が鈍感なことを、である。恥の開陳だ。マグロ解体ショーだ。
 そのほかにもまあ、長門に対する感情の密やかな蓄積やら、何やら、チョメチョメと伏せたくなる小っ恥ずかしいことも二三口走ったが、要するに、長門に好意はあった俺だが、長門からのアピールには一向に気づかず、というか誤解(長門曰くほとんど曲解だったそうだが)しつづけたため、長門が更に接近を試みて物理的距離感がおかしなことになったせいでハルヒにどやされたあと、やっとこさ情報の伝達に発生していた齟齬が解消された、というような経緯である。
「祝福したい気持ちは山々なんですが」
「そいつは意外だね」
「そうですか? 当然抱くべき感情ですよ」
 古泉は苦笑した。その苦笑がなければ素直に喜べるのだが。
「キョンくんと長門さんが……」
 はわ、と溜息、夢見る少女状態の朝比奈さんは置いといて。
「僕の一方的な勘違いでなければ、僕はあなたがたを友人と思っていますからね。友人が誰かと想い合って、結ばれる……それが二人とも友人であれば尚更とても喜ばしいことじゃないですか」
 聞いててこっちが恥ずかしくなってきた。
「……ってことは、お前はこの問題の解決に協力してくれるんだな?」
 古泉は唇を歪める微妙な笑い方をした。
「解決なさりたいということはつまり、このことを涼宮さんに教えるということですか?」
「そりゃ、そうだろうよ。まああんな正面切って否定しちまった手前言い出しづらくはあるが、俺としてはできる限り誠意は見せるつもりだ」
 色よい返事の期待できなさそうな古泉の顔を見て、俺は一抹の不安を覚える。
「……おいおい、まさか隠し事にしとけってわけじゃないだろうな? 折角俺が珍しくやる気を出してるんだからな、頼むから止めてくれるなよ……ね、言った方がいいですよね、朝比奈さん!」
 朝比奈さんは自分に話が振られるとは思っていなかったらしく、一拍置いて左見右見(その方向には誰も居ない)し、それから「えっ」と言った。普段からおっとりした方だが、やはり彼女にとってもこの事態は予想外で、そして少しながら、けだし、心ときめかすというか、何かしら琴線に触れるものがあったのか、動揺というだけでは説明しかねる反応を見せている。
「あ……そ、そう……ですね。だって、隠し事するなんて、こんなことだと余計に涼宮さんがかわいそう……」
 先ほどまで頬を染めふわふわと何かを仰いでいた朝比奈さんは、一転して急降下。
「キョンくんたちだってきっと辛いです……それに、後になってずっと隠していたなんて分かるよりは、やっぱり、早い方が……」
 そのあとに続けた言葉はほとんど口の中に消え、俺には聞こえなかったが、朝比奈さんは窺うように古泉を見た。詰まるところ、この非一般人のうち二人は基本的にはただの観測員なのであって、実質観測対象の精神安定を責務として日々努力しているのは古泉だけなのだ。表向きはともかく、ハルヒに何かあって直近で風当たりが強いのは古泉なのだ。その古泉が、無意味に長い睫毛を伏せて躊躇うような素振りを見せている。
「ほれ、朝比奈さんもこう言ってることだし。当の長門が認めるんだから、あいつだってよもや一方的に俺が悪さをしてるなんて思わないだろうさ」
 長門を心配する気持ちはよく分かるんだがなあ。そう呟いた俺を見て、視線を合わせる二人の愁い顔はひどく絵になる光景で、俺はこの世界の不公平さと造物主の理不尽さに嘆息を漏らした。まあ、だからどうだって話だな。今は。
 俺が見ると、それに合わせて長門もこちらに顔を向けた。