パーソナル・スペースI

 週や曜日の概念というのは結構古く、古代バビロニアで誕生し、紀元前一世紀ごろエジプトなどで完成したと考えられているらしい。また意外なことに平安時代初頭にはわが国にも伝わっていたそうだ。
 ところで旧約聖書において神が六日で天地を創造し、七日目に休んだから日曜日が休み、というのはよく聞く話だが、日曜日というのは元々太陽神が広く信仰されていた時代の礼拝日であったらしく、キリスト教を国教にしたローマ皇帝が異教徒を帰依させるために礼拝日を統一したため、現在も世界的に日曜日が休日となっているそうな。
 さて今日は日曜日であって、昨日は全国的に週休二日制が採用されて以来休日となっている土曜日である。ちなみに土曜日の語源は地域によっては「安息日」なのだそうだが、絶対的な権力をもって君臨する我らが団長様のお陰で、いつもどおり俺はちっとも安息しなかった。
 そして日曜日はまたキリストが復活した日でもあり――前日と同様日曜日の語源がそのまま「復活」である言語圏もあるわけであって、俺も六日間搾り取られた分たっぷりと英気を養い復活すべく、正午近くまでのんびり惰眠をむさぼる算段であったのだが、無邪気かつ元気いっぱいな妹の手によってあえなくベッドから引きずり出された次第だ。
 かといって別にやることも予定もないのだが。一度起きてしまった以上休日をただぼーっと過ごすのも何となく勿体ない気がする。窓の外を見ると、中々の日和だった。たまには散歩でもするか。
 ぶらぶら歩いていると、特に意識していたわけでもないのだがいつの間にかもうすぐ長門のマンション、というところまで来てしまっていた。そういえば俺はSOS団の中では長門の家しか知らない。他の三人は元々任務でハルヒを監視しているのだから、ハルヒの家は勿論別の勢力からの監視員であるお互いの住所も調査済みだろう。俺だけが知らないというのは何だか疎外感があるな。まあ、そもそも何も知らされていないハルヒには比べるべくもないが。
 皆は普段日曜は何をしているのだろうか。どうにも想像がつかない。ただ長門はきっと読書に没頭していることだろう。そうだ、本でも借りに行ってみようか。
 突然手ぶらでお邪魔するのも気が引けるので、少し引き返してコンビニでカップアイスを買った。普段自分の金では絶対に買わない例のドイツ語っぽい名前のアレである。財布には痛いが、いつも世話になっている長門にせめてもの感謝の気持ちだ。ハルヒにだったらガリガリ君でも買っていくんだが。あいつならアタリを引くだろ。
 コンビニ袋をぶら下げてインターフォンを鳴らしたところで、そういえば憶測だけで在宅を判断していたことに気づく。居なかったらどうしようか。一人でまだ肌寒い公園で食うか。それは寂しすぎるぞ。妹への高い土産にすべきか。
 幸い、プチッと受話器を取る音がして、
「…………」
 心地よい沈黙が流れた。もし他の客だったらどうするんだろうね。
「よう、俺だ。近くまで来たもんだから寄ってみたんだが、上がってもいいか?」
「……どうぞ」
 自動ドアが開いた。エレベータで七階に昇り、七〇八号室の前まで行くと、見計らったように中からドアが開けられた。見慣れた制服姿が覗く。日曜でもそれか。四年間殆どずっと同じで飽きないか?
「べつに」
「そうかい。ああ、これ。手ぶらじゃナンだと思ってな」
 靴を脱ぎながらコンビニ袋を渡すと、長門は袋の中を覗きこんで、アイス、とそのまんまなことを呟いた。
 部屋に上げてもらうと、いつもどおり殺風景な部屋だったが、コタツ机に蒲団が設置されているではないか。床がフローリングのままなのは気になるところだが、ちゃんと蒲団があってこそのコタツといった気がするので、何だか嬉しくなる。
「コタツ蒲団用意したんだな」
「以前、涼宮ハルヒに、冬なのにコタツに蒲団がついてないのはおかしいといわれた」
 そうかそうか。あいつもたまにはイイことをいうじゃないか。
「これ電源点いてるのか?」
「点いてる。座って」
 そういいながらも長門の視線は袋の中に釘づけだった。アイスが溶けてしまいそうなほど熱い眼差しを注いでいる。
「長門、悪いがスプーン持ってきてくれるか。店で貰ってこなかったんだ」
 長門はこちらを見もせずに無言でキッチンへ消えた。手にした袋から一瞬たりとも目を離したくないらしい。見つめてなくても逃げないぞ。
「どっちがいい?」
「……こっち」
 カレーのときと同じスプーンを持ってきた長門は、キャラメルフレーバーの方を選んで蓋を開けた。スプーンを突きたてようとして、やっとアイスの量と食器の大きさとの不釣合いに気づいたらしく、思案の末スプーンの先に控えめにすくった。
 俺はといえばつい癖で外した蓋を舐めてしまい(貧乏臭いとかいうなよ)、赤面して長門を窺うものの、幸い向かいに座った少女はアイスに夢中で気づかぬ様子。胸を撫で下ろす。別にこいつの前で見栄を張ることはないが、見られていたら流石にちょっと恥ずかしいところだった。
「美味いか?」
「非常に」
 気に入ってもらえたなら何よりだ。奮発した甲斐があったってもんだね。こっちのバニラも中々いけるぞ。
「…………」
 と長門は手を休めて俺の手元に目を向けた。そのまま硬直する。
「……味見してみるか?」
 小さな首肯。自分のカップからひとすくいしてテーブル越しに差し出すと、長門は身を乗り出してスプーンを口にした。銜えたまま静止して、俺とスプーンを見比べる。口からスプーンが抜けない。どうかしたか。放してくれないとアイスが溶けるぞ。
「…………」
 力が緩んでスプーンが帰ってきた。ピカピカである。綺麗に食べたもんだ。
「どうだ?」
「……美味しかった。あなたも?」
 長門は自分のカップを示した。
「ん? くれるのか?」
 頷き、気前よくすくって同じようにスプーンを差し出す。
「うん。美味いな」
「……そう」
 ただキャラメルの方が味が濃いから、先にバニラを食べた方が味がよく分かったかもな。前もって気づけばよかったんだが。
「いい。とても美味しかった」
 長門は今度は戻ってきたスプーンを長いこと見つめていたが、やがて氷菓との真剣勝負を再開した。
 ちまちまと食べていたように見えたが、量が量だけあってあっという間にカップは空になった。まあ時間をかけて食べてたら溶けてしまうしな。
 食べ終わった長門はスプーンを銜えたままこっちをぼんやり見ている。すまん、もっと食いたかったか。お前にはあの量じゃ足りるまい。俺の財布が移り変わる季節と一緒に温まる気配を見せてくれればよかったのだが、残念ながら暫く氷河期は終わりそうもない。氷といえば、寒い時期にコタツでアイスというのも中々オツなものだ。ロシア人もアイス好きだというし、別に暑いから食べるってものでもないみたいだな。
 俺は片づけるべく立ち上がり、空のカップを持って長門の口からスプーンを抜き取った。キッチンの蓋つきゴミ箱に空き容器を捨て、スプーンを洗っていると長門がステンレス製のそれを妙に見つめていたことを思い出した。やはり大き過ぎたと感じたのだろうか。それとも同じスプーンを使うのが嫌だったか。俺としたことが配慮を欠いていたかもしれん。気をつけねば。
 コタツに戻ると、長門が何か問いたげに俺を見た。ああ、本当に何か用があって来たわけじゃないんだ。迷惑だったか?
「そんなことはない。来てくれて嬉しく思っている」
 それならいいんだが。ところで今日は何してたんだ? というか長門は休みの日は何をして過ごしてる?
「本を読んで」
 そうか。予想どおりだが、長門らしい。そもそもこいつが読書と食事以外のことをしているのを見たことがないし、想像もつかない。高校生という設定上長門も授業を受けたりノートを取ったりしているのだろうが。一度くらい見てみたいな。
 数学の授業で当てられて黒板に習ってもいない解法をずらずら書きつける長門の姿なぞを妄想しているうちに、暫くぼんやりしてしまっていたらしく、当の長門がその間ずっと俺を見ていたことに気がつかなかった。人の家に上がりこんでしかも本人の目の前で何を考えているのか俺は。
「あー、そうだ、何かオススメの本とかないか? ちょっと暇を持て余していてな」
 長門は一回だけ瞬きをしてから立ち上がった。
「……待ってて」
 足音も立てずに奥の部屋に消え、携帯電話で確認したところ五分ばかり経ってから、表紙に油絵が印刷されたソフトカバーの本を一冊持って戻ってきた。作者名が平仮名だが、帯のあおりなどから見るに児童文学というわけでもなさそうだ。
「面白いか?」
「……文体が興味深い」
 どれどれ、と読んでみると結構面白かったのだが、コタツの温かさか、はたまた麦ふみのリズムかのどちらかに負けたらしく、用務員さんが作曲している辺りまで読んでそれ以降の記憶がない。

2007/12/18