条件反射

 人は何かにつけ同じことを繰り返していると、その行動を始めただけで無意識のうちに同様の所作を反復してしまうものだ。例えば、何度も唄って覚えている歌だったら特に思い出そうとしなくても勝手に歌詞が口から出てきたり、風呂で身体を洗う順番が毎日完全に同じだったり、という風に。
 習慣として身についてしまっているせいで、間に別の行動を挟もうとしてもつい普段と同じパターンを進めてしまって失敗することがあるが、今回の失敗もまた身体に染みついたルーチンワークのなせる業である。
 今日は土曜日であり、お決まりの市街探索の行われる日で、または俺の財布が重量を失っていく日だ。何という悲しき反復。
 そして今日とて、例のごとく班分けのくじ引きをするためだけに入ったいつもの喫茶店で、古泉と朝比奈さんは俺に遠慮してかブレンドコーヒーを注文したのに対し、どういうわけかハルヒと長門は二人して巨大なスペシャルフルーツパフェを突っついている次第である。さらば英世。
「お前ら少しは遠慮ってもんを知らんのか」
 俺の悲痛な抗議に対し、
「何よ、遠慮したからこそ二人で一つにしたんじゃない」
 というのが唯一絶対なる団長様のにべもないいらえであり、
「……とても甘い」
 というのが頼れる宇宙人の話の繋がらない応答だった。いや、お前には大変な恩義があるからパフェを奢るくらい屁でもないんだがな。金さえあれば高級マンションだって買ってやってもいいとすら思っているくらいだ。金さえあればな。
 ところで長門、俺の財布の情報を改竄してくれないか。
「貨幣の偽造は犯罪」
 まったくだ。法律違反はよくないよな。
「ない」
 とほほ、なる三音節が今以上に効果的に用いられた験しは、取り敢えずこの市内では精々二三件にとどまることだろう。というのは余りにいつものこと過ぎて段々と感慨も薄れてきたからだ。危険な兆候だ。ちなみにこの「いつものこと」は経済的な問題からあと一二回しか続行不可能だから、各自留意しておいてほしい。
 冷めかけたコーヒーを啜っていると、規則正しくスプーンを往復運動させている長門の口元にちょこっと生クリームがついているのを見つけた。
「ついてるぞ」
 と一言。指で拭ってやり、そのまま自分の口に運ぶ。なるほど、確かに甘いな。
 反復運動といえば向かいの席に座った三人は、それまでほぼ同じようなペースでカップを運ぶなりスプーンを動かすなりしていたのだが、視界に動くものがなくなったので顔を上げてみると、揃いも揃って中途半端な状態で動作を中断させていた。ハルヒのスプーンからひとすくいのアイスクリームが落下する。勿体ない。
 もう少し視線を上げると、青くなった古泉を挟んで女性陣が顔を真っ赤にしている。信号にしては妙な配色だ。
「あ……っ、あんた何やってんの!?」
「え」
 どうやら気づかないうちに何かミスを犯していたらしい。ハルヒ監視員二人の顔色を観察していれば大体予想はつく。そういう意味では古泉はやはり信号のようなものだ。色と危険度が逆になっているのが、交通信号とは異なるところだが。
 長門が巨大なパフェを切り崩していく音だけがカチャカチャ聞こえてくる。俺何か変なことしたか?
「しっ、しらばっくれるんじゃないわよ! 今のが変なことじゃなかったらマイ●ルの鼻だって全然変じゃないわ! セクハラよセクハラ! 今のは有希に対する許されざるセクハラだわ!」
 何やら激昂したハルヒはテーブルに手をついて大音声にてのたもうた(その中に余計なノイズが含まれていた気もしたが、聞かなかったことにしておこう)。長門に対して? 口を拭ってやったのがいけなかったのか?
 ちらっと古泉を窺うと、迷解説者は、
「少なくとも妙齢の女性に対してするものではありませんね」
 と今にも「あなたって人は」とでもいい出しそうな顔で答えた。
「あー、いや、いつも妹にやってるからつい癖でやっちまったんだ。長門、すまん。嫌だったか?」
「別に」
 長門はちらっとこちらを見たが、全くスプーンを休める素振りを見せない。確かに少々デリカシーに欠けてたかもしれないが、本人がこういってるんだ、許してくれ。
 それでもまだなお何かいいたげだったハルヒも、当人に被害者意識がないのだから流石に追求しようがないらしく、暫く俺と長門を見比べたあと、不機嫌そうに腰を下した。やれやれ、団員を大事に思う気持ちは嬉しいが、こいつも相変わらず反応が極端だ。俺が意図的に誰かに各種ハラスメントをやらかす人間に見えるのだろうか。これまでの反応から鑑みるに、そう見えるらしい。俺の信用も地に落ちたってもんだ。
「…………」
 さっきまでしていた雑談も途切れ、なぜだか重苦しい雰囲気の中で二人がガチャガチャとパフェを突っつく音だけが響いていたが、居心地悪く冷め切ったコーヒーを口へ運ぶと、カップ越しにハルヒと視線がぶつかった。向こうは慌てて視線を逸らした。
 見ると口元には生クリーム。
 見ると気まずそうに俺を見る古泉と朝比奈さん。
 ひょっとして俺は試されているのか? いやいや見くびらないでいただきたい。さっきの今だ、もう失敗はすまい。俺はテーブルの上の紙ナプキンを一枚差し出して、古泉ばりの爽やかスマイルでいってやった。
「ハルヒ、口にクリームがついてるぞ」
 次の瞬間、脛に鋭い衝撃が走り、古泉の電話が鳴った。

おしまい。

キョンはいいお兄ちゃんだと思う。
2007/12/18