長門有希の食欲

 昼休みになり鞄を開けてようやく、弁当を忘れたことに気づいた。ちくしょう、今日の晩飯は弁当だ。いやそういう問題ではないな。昼飯をどうすべきか。たまには食堂に行ってみろという天の啓示だろうか。つまりハルヒが呼んでいるのか? それは流石に穿ちすぎだろうよ、俺。
 そういうわけで国木田と谷口にひらひら手を振ってから、財布を持って教室を出たのだが、六組の前まで来て立ち止まった。さてあの半ば万能インターフェースは、もう部室へ行ってしまったのだろうか。どれだけ急いでいっても先に居るのだが。
 ドアから覗いてみると、果たして長門の小柄な姿があった。
「あ、ちょっといいかな」
 近くの女子生徒に長門を呼んでもらおうと声をかけると、俺の顔を見たその子は訳知り顔で、
「ああ、長門さんね。待ってて」
 といって小走りに長門の方へいってしまった。なぜ分かった。エスパーか。もしや『機関』の手のものなのだろうか。古泉は他にも『機関』関係者が潜入しているようなことを匂わせていたが、あるいは彼女も生徒会長のような外部協力者かもしれない。
 いややっぱり穿ちすぎだろうよ。どうも疑り深くなってしまったようだ。
 声をかけられた長門は俺を見つけると、女生徒に小さく頷きかけてから、普段の冬眠から覚めた爬虫類のような速度に比すれば急ぎ足のカメ(意外と速いんだ)くらいには急いでこっちへやってきた。一応クラスメートとのコミュニケーションは取れているようだ。
 長門は測量器みたいにまっすぐな目で俺を見つめて、僅かに首を傾げた。用件の前にまず俺たちを見守る六組生徒諸君の生温かい眼差しについて質問してみたいのだが。
「いやなに、お前がいつも誰より早く部室に居るから、気になってちょっと覗いてみただけなんだが。昼飯はもう……食べたみたいだな」
 机の上に黄色い空箱が乗っている。またあれかい。食べてなかったら食堂へ誘おうかと思ったんだが。
「行く」
 待ってて、と長門はくるり踵を返し、鞄から財布を取り出して戻ってきた。今にも腹を鳴らしそうな雰囲気である。やっぱりあんなお菓子みたいなものじゃ足りないよな。

 食堂は中々混んでいた。ハルヒが昼休みになった途端教室を飛び出していく理由が分かった気がする。姿は見えないが、どこかで大迷惑エネルギーを充填しているのだろう。
 二人して列に並んでいると、流石に昼飯時の回転は早く、二三分で前に並んだ長門の順番が回ってきた。注意し忘れてしまったが、注文は先に決めてあるだろうか。今からメニューを見はじめたら、俺は別に構わないが後ろの飢えた獣たちが大いに構うと思うぞ。
 しかし長門は躊躇いもなく。
「カツカレー。特盛りで」
「特盛りは結構多いけど、大丈夫なの?」
 カウンターの向こうでオバちゃんが確認する。長門のブラックホールのような胃袋の実体を知らなければ、かなり多めに見積もっても細っこい長門の身体に特盛りカツカレーが収まるようには見えないだろうから、疑念も当然のことだろう。
「大丈夫ですよ、こいつ信じられないくらい食べますから」
 俺のフォローにもまだ疑わしげなオバちゃんに、残ったら責任持って俺が食べますから、と約束してようやく納得させることに成功する。
 ところが長門さん、更に。
「それと、カレーうどんも。特盛りで」
 長門、そんなにカレー好きか。オバちゃんは釈然としない顔だったが諦めたようで、残さないでねと念を押してカツカレー(特盛り)とカレーうどん(特盛り)を用意してくれた。俺は自分で頼んだきつねうどん(並盛り)と長門のカレーうどんを持って、席はないかと辺りを見渡した。この混み具合ではそうそうあるまい、と思ったら都合よく隣り合った席が二つ空いている。
 無用な疑いは呑みこんで、席を確保する。いただきます。
「……いただきます」
 いいながら既にカレーを切り崩しにかかっている長門である。ちらちらと様子を窺っていたが、食器の立てるカチャカチャ音だけが響く中、俺がうどんを三分の一くらい食べたところでカツカレーはあらかた終わり、慎重に食べなければ汁が跳ねてしまうカレーうどんも、カレーとほぼ同じ約二分で長門の胃袋へ収まった。勿論汁は一滴も跳ねていない。ハラショー。拍手でも起こりそうなくらい天晴れな食べっぷりであった。何だか俺もおなかいっぱいって感じだよ。
 長門は箸を置いた俺を見て、三分の一くらい残ったきつねうどんを見た。
 それはもうじっと見た。
「食べない?」
 残ったうどんは汁を含め約三十秒で綺麗に消え去った。

 それから俺は諸般の事情で弁当のない日には、長門を誘って食堂へ行くようになった。不思議と週に二回は必ず母親が炊飯器のタイマーを設定し忘れたり、弁当に入れるおかずが何も残っていなかったり、弁当箱が見つからなかったり、または俺が弁当を忘れたりという日があり、そして幾ら混んでいても絶対に席が二つ空いているのである。偶然というものは恐ろしいね。いやあ偶然偶然。本当に凄い偶然だ。最早奇跡だな。
 ちなみに長門は一人でも食堂へ行くようになったらしく、オバちゃんとすっかり顔なじみになり、何もいわなくても見たこともないような大きさの食器に見たこともないような量の料理が出されるようになった。
 更につけ加えておくと、レッツゴー食堂ウィズ長門が開催五回目を迎えたところで、先に食堂に居たハルヒに見つかり、以来は三人で食べることになった。まあまあ許容範囲内なのだが若干居心地の悪さを覚えるのは、俺に向けられる男子生徒諸氏の鋭角的な視線のせいではなく、特盛りメニューを競うようにかっ喰らう美少女二人の間で一人並顔の男が並盛りメニューを食べるという無意味な情けなさが原因だと思いたい。そう思わせてくれ。

おしまい

2007/12/02