インターフェースは白雪姫に憧れるIV

 二日連続で、しかもそれぞれ違う女の子が家まで迎えに来る。健康でかつヘテロセクシャルの高校男児ならば誰しもが羨むであろうこの状況に立たされて、俺は一体どんな顔をしたらいいのかさっぱり分からなかった。物事を疑ってかかる癖のついた俺のことだから、これがまともな状況で起きたことだったとしても、「これなんてドッキリ?」と怪訝な顔で辺りを見回すくらいはしたに違いあるまいが、今のような管理された異常事態において、その楽屋裏をちょっぴり覗いてしまった俺としては、尚更リアクションが取りづらいのであった。
「何よ、学内で一二を争う美少女がわざわざ迎えにきてあげたのよ。ちょっとは嬉しそうにしなさいよ!」
「自分でそういうことをいうんじゃない」
 朝から我が家の前で元気な声を上げているのは、何を隠そう涼宮ハルヒその人である。こいつのいうとおり古泉みたいな嘘臭い笑顔で挨拶でもした方がよかったのだろうか。だがこの世界での俺の役割はなんだ? 何も変わってないじゃないか。だったらこいつに対する態度を変えてしまうのは、自分にも相手にも誠実ではないのではなかろうか。
 そういうわけで俺の顔は例のやれやれ顔になってしまうのである。
「昨日は長門で今日はお前か。一体どうなってるんだ?」
「昨日が有希だったから今日はあたしなの! つべこべいってないで行くわよ!」
 そういうとハルヒは俺の手を掴んでずんずん歩き出した。二人で仲良く登校というより、嫌がる子供を歯医者に連れていく母親のようである。
 昨日はとんでもない一日だった。とんでもない一日というのは悲しいかなこれまでに幾度となく経験してきたのだが、その中でも無類のとんでもなさを誇るとんでもない日だったといえよう。
 あの後、長門の顔をまともに見られなくなった俺は、何をいったか余り覚えていないがとにかくもう遅いからと適当な理由をつけて、そそくさと長門の部屋から退散した。意気地なしといってくれるな。俺だって夜道を歩き出してすぐに強烈な自己嫌悪に襲われて、マンションに引き返しかけたりまた戻ったりと不審にうろうろしたのだ。結局悶々としたまま帰ったわけだが、あれは正直、なかったと思う。それこそ一体どんな顔をして会えばいいのか。
「……ったのよ。ねえキョン? 聞いてんの?」
 ハルヒが不満げに俺を見上げている。
「え? ああ、すまん、考えごとをしていてな」
 考えすぎない方がいいのかもしれない。今回の異常事態に関しては誰かの身が危ないとか未来が変わってしまうとか、さしあたって危険はないはずなのだから、何も知らない上ハルヒをこいつとは関係のない、しかも杞憂かもしれない俺の考えごとのせいで無視してやるのはとばっちりもいいところだろう。今回は珍しいことに、ハルヒが直接的な原因ではないのだから。条件が変わっても中心にいながら蚊帳の外とは、ある意味ではハルヒ自身が自分の力の一番の被害者なのかもしれない。
「考えごとって何よ?」
「んー、いや、別に。ぼーっとしてただけだ」
 元よりこいつに冷たくする謂れはないんだし、ずっとこんな調子でいてくれるんだったらもう少し優しくしてやってもいいか。
 俺がじっと見つめ返すと、ハルヒは「何よ」とかもごもご呟き、耳まで真っ赤になって目を逸らした。もしかしてこの世界、疑いの目さえ捨てれば天国なのではなかろうか?

「おいキョン、お前一体涼宮と長門有希、どっちと付き合ってるんだ?」
 前言は撤回しよう。よく考えてみると俺は修羅場にいたのだ。
「別に誰とも付き合ってないぞ」
「ッてめえ何をいいやがる!」
 なぜか泣きそうな顔をしながら俺に食って掛かるのは谷口である。
「毎日毎日見せつけるようにイチャついておきながら! ……はっ! まさかてめえ! 二股か!? 二股なのか!? 女の敵か!? ああ、嘆かわしいぞキョン! お前がそんな奴だとは思わなかった! お前なんか人類の敵だぁ!!」
 一人でまくし立てて教室を飛び出す谷口。元気なのはいいがもうすぐ授業だぞ。
「確かに僕も気になるなあ」
 暫く谷口を見送っていた国木田だったが、何ともいえない顔で俺に向き直った。
「キョンは否定するけど他の人たちにはそうは見えないと思うよ。毎日必ずどっちかと登校してくるし、長門さんもよく昼休みにやってくるし……涼宮さんは見てのとおりだしねえ」
 どうもこの世界では誰しもが普段見せない顔を見せてくれるらしい。国木田もその例に漏れず、どこか可笑しそうなそれでいて困ったような笑顔を浮かべている。それが何か、家族での団欒中にテレビで動物の交尾シーンが流されたときの母親のリアクションのように見えて、俺もまた何ともいえない気分になった。というか凄かったんだな俺の日常。石でも投げられそうだ。
「そういわれてもだな、俺の記憶が正しければ一回たりとも告白した覚えも告白され……た覚えもないんだが」
 長門の微笑みが蘇る。まああれを勘定に入れたら余計ややこしくなるから黙っておいていいだろう。
「キョンは『付き合う』ってことはどう定義してるわけ?」
「そりゃあお前……なんだろうね。正直分からんが、『付き合う』という工程に入るまでに何かしらお互いに確認というか、まあそれこそ告白したりとかがあるもんなんじゃないか?」
「うーんキョンらしいね。するとキョンにとっては毎日二人乗りで塾に行ったり、一緒に登下校したり、お弁当を作ってきたり、手をつないだりするのは付き合ってるうちには入らないんだ?」
 二三俺の知らない情報も入ってるんだが。手はつなぐっていうより掴んで引っ張られるの方が正しいと思うぞ。
「キョンの認識はともかく、一般的に見てそういうのは恋人同士がするものだと思うけどなあ。大体、佐々木さんのときだったら向こうも一応は否定してたけど、あの二人の気持ちはかなりあからさまじゃないか。まさかキョン、気づいてないわけじゃないんだろ?」
「そうよね、あんなに激しいアプローチなのに」
 どこから聞いていたのか、朝倉が会話に加わる。机の上に手を置きながらちらっと俺に意味深長な視線を送ってよこす。こいつは分かってて訊いてくる分タチが悪い。
「気づいていながら曖昧な態度を取りつづけてるんだとしたら……それはちょっと誠実とはいえないんじゃない?」
 実際には俺は昨日初めてそんな素敵な状況になっていることを知らされたのであって、前々から曖昧な態度を取りつづけていると思われるのは理不尽な気もするのだが、俺とインターフェース二人(三人か?)を除いた人々にはそれが真実なのだから仕方がない。
 しかし俺に猶予が与えられたとして、つまりここで起こってきたとされていることの体験を本当にしてきたとしたら、俺は一体どういう態度を取っていただろうか。長門の部屋を後にしてからこっち、それを考えていなかったわけではない。実質二人同時に告白されたようなもので、その上俺はその二人のことを同じくらい大事な友達だと思っていたのだ。果たして俺がハルヒか長門のどちらかに恋愛感情を抱いているなどということがあるのか? 好きか嫌いかと訊かれたら当然前者を選ぶのだが――優柔不断もいいとこだ。
 授業の始まりを知らせるチャイムが鳴った。俺が余程深刻な顔をしていたのか、朝倉はふっと笑った。
「いいよ、ここで結論を出さなくたって。キョンくんがいい加減に考えてるわけじゃないっていうのは伝わったから。
 ……でも、覚えておいて。言葉でなく態度で表すってことは、言葉の方は相手から欲しがってるってことだと思うわよ?」
「どういう意味だ?」
「分からない? あなたからの告白を待ってるってことよ」
 朝倉はまるでその道の達人であるかのような口ぶりだった。
「まあ、自覚しはじめたんなら第一歩さ。ところで谷口はどこ行ったんだろう?」
 谷口には悪いが正直どうでもいい。今は自分のことで手一杯だ。俺は結論を出さなければならないのか? ならないんだろうな。
 自分の席でうなだれているとハルヒが帰ってきて、俺の背中をちょんちょんつついた。
「ねえキョン、トイレから出てきたら谷口のアホに『同情するぜ』ってキモイ顔でいわれたから殴っといたんだけど、なんかあったの?」
 そうか。次の時間はサボりだな。ノートを取る余裕があったら見せてやってもいいんだが、恐らく残りの二日間は一つたりとも授業に集中できる自信がない。普段から真面目に受けているとはいいがたいとはいえ。
「さあな。あいつも俺と一緒でバカなんだろ。ちょっとは優しくしてやれ」
「何よ、珍しいじゃないあんたが自虐的なこというなんて」
「そんな気分なんだよ」
 振り返ると、きょとんとしていたハルヒの頬にさっと朱が差した。ちょっとおどおどした感じで斜め下の方を見ている。お前は恋する乙女か。恋する乙女なのか。そうか。参ったな。幾ら俺でも分かった。困ったことにこりゃホンモノだ。
 俺はバカだ。こいつと一年も顔を突き合わせておいて何にも分かっちゃいなかった。長門だってそうだ。俺は一体こいつらの何を見てたんだ。
 次第に吐き気のようにせり上がってくる罪悪感が俺の頭をどんどん机に引っ張っていく。認識を改めて二人との関係を思い返してみると、自分の鈍感っぷりが浮き彫りになってくる。二月に朝比奈さんが長門に謝るようにいってきたのはそういうことだったのか。最悪じゃねえか俺。
「ねえどうしたのよさっきから」
 ハルヒの方が背後からダウナーなオーラを浴びせかけてくることはあっても、俺が落ち込んでいたことは今までなかったかもしれない。そんな雰囲気を察したのか、ハルヒはシャミセンがご飯をねだるときみたいに背中を指先でちょいちょい掻いてきた。
「……いや、なんか……すまん」
「何のこと?」
「…………なんでもない」
 許しを請えるような立場じゃないな。今はまだ。
「ねえ、ほんとに大丈夫? どっか具合悪いんじゃないの?」
 悪いのは心の具合さ。しかも自業自得だから始末に負えん。その上お前に心配されたんじゃ立つ瀬がないね。
「ただの寝不足だ。気にすんな」
「ほんと? あんた今朝からなんか変よ? 悩みごとがあるんだったらいいなさいよ。団員の健康管理も団長の役目なんだから。遠慮なく相談していいわよ」
 ある人に好かれてるみたいなんだがそれまで自分はそいつを友達だと思っていて、その想いにどう応えたらいいか自分の気持ちが分からないんだ、なんて本人に訊けるか。実際昨日の夜は輾転反側して眠れなかったんだ。
「何でもないさ。心配してくれてありがとな」
 ハルヒは目を見開いた。
「な、何よ……急にお礼なんか……やっぱりあんた変だわ」
 肩越しに見えるハルヒは本当に心配そうな顔だった。眉毛が普段とは反対に八の字を描いている。俺はどうしたらいいんだろう。見た限りハルヒの気持ちは明らかだ。しかし言葉でそれを確認したのはあくまで人づてだから俺の方からアクションを起こすのは不自然じゃなかろうか。一方長門からは直接聞いてしまっているわけで……。
 何だ、もしかして俺の気持ち次第なんじゃないか? いずれはっきりすべきなんだろうし知ってしまった以上待たせるのも悪いとは思うが、今まで意識していなかったのにいきなりどちらかを決めろといわれても、にわかには決められない。設定的にはどうあれ俺は今スタート地点に立ったばかりなんだから、今しばらく猶予期間を与えられたっていいんじゃないか?
 いや、まずこの三日間のことはその後どうなるのだろうか。この三日間に起きたことは今後に反映されるのか、それとも、それこそ夢のごとくなかったことにされてしまうのだろうか。長門に訊くことがまた増えたな。
 長門か。はにかんだ笑顔が脳裏に浮かぶ。三日間だけのいつもと違う長門。俺をずっと好きだったという長門。あいつの顔を、俺はまともに顔を見られるんだろうか。

2008/01/05