フォロー・ミー
「間抜けヅラ!」 歓迎できないことだが、どうやらハルヒのトンデモパワーに新たな特殊能力が加わったようだ。なぜならパソコンでゲームをしていた(聞き覚えのあるBGMから察するに、某大手フラッシュゲームサイトで「精神錯乱」の訳語を当てられるタイトルのシューティングをやっていたのだろう。まさにぴったりだ)はずの我らが団長が、体感時間にしてコンマ五秒くらいの間に俺の至近十センチにまで迫っていたからだ。瞬間移動まで会得するとは、向かうところ無敵だな。 一体なんなんだと問うに、ハルヒ様、俺を睨みつけて曰く。 「みくるちゃんのこといやらしい目で見てたでしょ!」 「そりゃ言いがかりだ。確かに今俺は朝比奈さんを見たかもしれないがそれは甲斐甲斐しくお茶を淹れてくださる麗しいお姿に心奪われていたのであって、その視線はアルプスの処女雪のごとくピュアなものだ」 などと珍しく長尺で喋ってしまったのは、心のどこかに疚しさがあったのかもしれない。無理があったというか、みるみる内にハルヒの機嫌が大暴落していくのが分かった。丁度月曜日か。今日という日をSOS団のブラックマンデーとし、毎年この日にはハルヒ以外の面子を集めてヤケ酒を喰らおう。 「聞く耳持たないわ! 私はこの目でにやけ面のあんたがみくるちゃんの胸を舐めまわすように凝視していたのをはっきり見てたんだから! この痴漢。変態。エロキョン」 早口でまくしたてられた台詞はどこか日本語が間違っていたような気もするが。 いや、そこじゃあない。朝比奈さんが「そ、そんなキョンくん……」といいながら、胸を押さえて顔を真っ赤にしていらっしゃるじゃないか。そんなこと口に出して朝比奈さんを恥らわせるお前の方がよほど変態だ。 しかしよく見ると、そのおかんばせは古泉の六千倍は素敵な困り笑いをしていらっしゃる。てっきり潰れたゴキブリを見つけたような目で睨まれるかと思ったのだが。すみませんねえいつもいつもハルヒがご迷惑をおかけして。俺は朝比奈さんに向かって肩をすくめた。 と思ったら万力のような力で耳を引っ張るハルヒ。 「ちょっ、痛えマジで痛いって!」 「大人しいみくるちゃんをいいくるめようだなんてそうはいかないわよ! ねえ有希! あんたも見てたでしょ!?」 長門は本から目を上げて、と思いきや既に閉じた本を膝の上に置いて俺を見ていた。 「……彼はこの一時間だけで合計四十二回、時間にして三分十七秒にわたって朝比奈みくるの胸を見ていた」 どうして後ろに居た長門が俺の視線の行方を知っているのか。というかなぜ集計しているのか。問いただしたいところだが、長門の俺を見る目がどこか冷たい。 「……えっち」 「ぐっ……!」 「ほら見なさい! 何だか分かんないけど有希がそういうからには確かだわ! さあ白状しなさい! 今なら一週間団員全員の命令に絶対服従だけで許してあげるわよ!」 ハルヒ、なんでそんなに嬉しそうなんだお前は。というかその条件では現状と大して変わらないのではないだろうか。薮蛇でもっと凄い罰を思いつかれると困るから口には出さないが。 だが俺にもいいたいことがある。 「何よ、認めるわけ?」 ああそうさ。確かに俺の視線は失礼ながら朝比奈さんのお胸付近を幾度となく逍遥してしまった、しかしそれは男として仕方のないことなんだ。際立って特別なものがあればつい目がいってしまうだろう? ましてやそれが魅力的な異性で、素晴らしいプロポーションをお持ちだったら、男なら少なからず誰だって目がいってしまうものなのさ。いや重ね重ねすみませんね朝比奈さん。 「……わたしはいいんです。そういうのは慣れてますし……別にキョン君だったら」 「え、それはどういう――」 「つまり巨乳は見ずにはいられないっていいたいわけ? バカ丸出しねキョン! 痴漢だってもっとマシな弁解するわよ!」 見も蓋もないいい方をするなよ、というかさり気ない朝比奈さんの爆弾発言はスルーか。華麗にスルーなのか。ハルヒはじっとりした視線で俺を睨めつけてから、ちらっと目を逸らした。 「でもそうね……あたしは民主的だからあんたにもチャンスをあげる。同じ男性としての意見を古泉君に訊いてみましょう。どう古泉君? あなたはそんなこと思わないわよね!?」 お前の一体どこにほんのひとカケラでも民主的な要素があるんだ。そして意見を訊くとかいいながら最後の台詞は何だ。そんなことをいったら古泉の野郎が爽やかスマイルで同意するに決まってるだろ。俺は一週間のパシリを覚悟して、諦観に満ちた視線を古泉へ送った。 「お言葉を返すようですが、僕は彼の意見に同意します」 俺は耳を疑った。こいつがハルヒに言葉を返すとは。 「へえ! 意外ね。どういうこと?」 「特別なものに注目してしまうのは当然……という彼の主張に対して、ということですよ。人間は誰しもが、悪いものにせよよいものにせよ、取り立てて周囲とは違っているものに視線を奪われてしまうものです。これには僕個人の主観が入ってしまうかもしれませんが、この場合朝比奈さんは間違いなく後者に相当すると思われます。それに不躾ないい方をお許し願いたいのですが、彼女が素晴らしいスタイルをお持ちであるということは疑いようのない事実です。目立つものには視線を送ってしまうのは、男性に限らず人間という好奇心旺盛な動物の本能といっても過言ではありません。それが素晴らしいものであれば尚更のことです。 話を変えれば我がSOS団の活動目的の一つである『不思議なものを探す』というところの『不思議なもの』というのも、当然普通ではない、特別なものであるわけでしょう? 『特別なもの』に注目せずにはいられないという男性の……いえ彼の性質は、ある意味不思議なものを見つけるのに役立つ、極めて有益な能力であるといえるかもしれませんよ」 よく喋ると思ってはいたが、どうしてこう前々から考えてきたようにスラスラと長台詞を語れるのかね。話の内容は俺のいったこととそう変わらない気もするんだが。しかしまあ古泉から助け舟が出されるとは思ってもみなかった。ハルヒも顎に手を宛てて考え込んでいるようだ。ところでそろそろ俺の耳を放してくれないか。 「特別……ね、確かにみくるちゃんを連れてきたもの目立って可愛かったからだし、古泉君も変な時期に転校してきて目立ってたから連れてきたんだし。一理あるかも。不思議なものは特別……キョンが今まで不思議なものを見つけた実績がないのが気になるところだけど。 じゃあいいわ。今回は不問に付してあげる。全員にジュース奢りで」 そりゃあ助かるがそういうのは不問に付すっていわないんじゃないのか? 「いいことキョン! これからはその目を不思議なものを探すことだけに使いなさい! みくるちゃんのおっぱいも特別かもしれないけど、どうやったらあんなに大きくなるのかっていう謎以外には取り立てて不思議なものじゃないわ。巨乳ならみくるちゃんに限った話じゃないんだし……だからいいわねキョン! そんなのに注目する必要はないの! これからはみくるちゃんをいやらしい目で見るごとにマイナス五点だから!」 へいへい。どっかのバカが考えた、恣意的解釈大推奨な法案みたいなお前の人の視線に対する解釈基準は気になるところだが。せいぜい目の焦点をずらしておくよ。 「ぼーっとしてちゃ意味ないのよ。みくるちゃん以外は刮目して見なさい!」 そりゃ無理だろ。ほら朝比奈さんも苦笑していらっしゃる。 平日なのに五百数十円ほど俺の財布が軽くなり、そのお陰か残りの時間は平和的に過ごして解散、とあいなった。 「借りを作っちまったな」 隣を歩く古泉に声をかけると、ゼロ円スマイルがいつもと違った、面映そうな微笑に変わった。 「何をいってるんです。友人として当然のことですよ」 「古泉……」 何なんだ今日は。不覚にもグッときてしまったではないか。ハルヒの専横から守られたことが一度もないせいだろうか。桜花に乗っていたら味方の大艦隊が援護射撃してくれたくらいの感動だ。まあ結局ハルヒの前に撃墜されるのだが。 「……なあ、駅の近くに新しくラーメン屋ができたらしいんだが、行ってみないか。奢るからさ」 古泉はハトが豆鉄砲の集中砲火を喰らったみたいな顔をしたが、やがて嬉しそうに、 「そ、それは是非……喜んでお供しますよ」 と笑った。偶には男同士水入らずというのもいいかもしれませんね、と若干気になることをいったのはさて置く。何だか動揺しているようだが、もしかしたらこいつ友達が居ないのかもしれん。中一から『組織』で活動しているようだしな。 「……ラーメン」 古泉の反対側からぼそっと声がした。いつの間にか後ろを歩いていた長門が俺の横まで来ていたようだ。お前も行きたいか? 「行ってもいい?」 俺はいいが、古泉はどうだ? 「お断りする理由はありませんよ。余り見られない組み合わせですし、興味深いですね」 確かにな。じゃあ三人で行ってみるか。 「ちょっと後ろ! 何こそこそ話してるの?」 天網恢恢疎にして漏らさずとはこのことか。ハルヒに見つかっちまったようだ。なんてったって神様だからな。どう出るかと古泉を窺うと、いつの間にやら普段のニヤケ面に戻っている。 「いえ、駅前に新しくできたラーメン屋に行こうかと話していたところです。涼宮さんたちもいかがです?」 少し意外な顔を見たから期待したんだがな、いつもどおりの反応だ。まあ本人がよければ別にいいんだが。 「ああアレね、あたしも聞いたわ。小腹も減ってきたし、じゃあ皆で行ってみましょ!」 やれやれ。これじゃ結局いつものSOS団だ。厭ってわけじゃないがな。 ラーメン屋では、朝比奈さんがレンゲにミニラーメンを作っている姿を微笑ましく見ているとハルヒにどつかれたり、長門が「開店記念チャレンジメニュー」の十人前ラーメンを頼んだりと色々あったのだが、特筆すべきことは会計の段だった。俺が古泉の分も払おうとして遠慮されたり、伝票の取り合いをしているとハルヒがどうして古泉にだけ奢るのか問いただしたりと騒がしくしているうちに、朝比奈さんが全員分の会計を済ませてしまったのだ。 「みくるちゃんが払うことないのに。割勘でいいわよ」 すると朝比奈さんは天使みたいに「うふふ」と笑って答えた。 「たまには先輩らしいこともしなくっちゃね」 おしまい |
2007/11/30