長門有希の咽頭

 昼休み。俺は弁当を持って文芸部の部室に向かっていた。ここのところハルヒの思いつきに振り回されて少々寝不足なため、静かなところへ移動して弁当を食い、暫く仮眠を摂ろうという算段だ。仮眠に適した環境の整った場所といえば、校内では文芸部部室をおいて他にはあるまい。昼休みの部室は、放課後の主に約一名の自称団長他称神を発信源とする、良くいえば「賑やかさ」の充満した部室ととても同じ場所とは思えない。つまり静かなのさ。
 昼休みに朝比奈さんの着替えを目撃するチャンス――いや失言だった。朝比奈さんが部室で着替えている可能性はまずないといっていいので、ノックはせずに部室へ入る。するとそこには、半ば予想していたことだが我らが部室の付属物、寡黙なる文学少女長門有希が鎮座ましまし、水色の背表紙の文庫本のページを手繰っていた。
「よう」
 俺が挨拶すると、長門は活字から目を上げてわずかに首を動かした。
 はて。俺は昼休みが始まってすぐに教室を出て、少しでも多く睡眠時間を確保するために割合速いペース、例えるなら学校の始業時間に間に合わないということはないが、油断すると若干遅刻してしまう可能性が存在するときくらいの早歩きで部室に向かったはずだ。しかしこの情報統合思念体の(中略)インターフェースはまるで三年前からそこに座っていたかのように読書に没頭している。瞬間移動でもしたとしか思えない。
 まさか授業に出ていないのではあるまいな? たとえ訊ねても自分が理解できる解答が返ってくるとは思えない疑問を抱きつつも、俺は座って弁当を開けた。とそこでもう一つの疑問が浮かぶ。
「長門はもう昼飯食ったのか?」
 長門はぱたんと本を閉じて首だけをこちらに向け、
「……まだ」
 と一言いうと、長机に本を置き、鞄から何やら黄色い箱を取り出した。よもやこの情報(中略)インターフェースは手に持った一本あたり一〇〇キロカロリーでカロリー計算も簡単な、チョコレート味のバランス栄養食を昼食と主張するつもりなのだろうか。
 俺が憐れみのこもった困惑の表情を浮かべていると、長門は「これがそうだ」といわんばかりに(勿論いわないのだが)黄色い箱を胸の前に掲げ、俺の目をじっと見つめた。
 あのな、長門。俺はいったはずだ。昼「飯」を食ったのかと。飯とは本来米飯だ。お米さまだ。百歩譲って他の文化圏での主食とされる小麦粉製品、イモ類等の炭水化物を飯の範疇に含んでやるにしても、そんな機械で成型され一本あたりの熱量まで計算された、「ダイエット中だけど身体に悪いからちゃんと栄養は摂らなくっちゃね!」とでものたまう体重を気にする世の女性が好んで昼食にしそうな、あるいは登山中に遭難した場合に取り敢えずカロリーを摂取できるように鞄に忍ばせておく、携帯食品などを偉大なるお米さまの仲間入りさせるわけにはいかんのだよ。そんなものは非常食だ。
 というようなことを大体原稿用紙一行分ほどにまとめて伝えたところ、長門は箱に視線を落とし、それからまた俺の目を見た。
「……朝食と夕食を加算すれば私と同年代の女性が摂取すべき標準的熱量には充分」
 そういって長門は箱を空けて内袋を破り、スティック状のそれを食べはじめた。
「いや、そうじゃなくて精神的な豊かさというものがだな……」
 だめだ。暫く忘れていた眠気が、急激に思考を巡らせたことによってまたぞろ鎌首をもたげはじめた。説得する気力が沸かない。今はとっとと食って寝て、帰り道にでも人類の食文化について一席ぶってやろう。
「お茶を淹れるけど、お前も飲むか? そんな乾き物食うのに飲み物がないと咽喉につかえるぞ」
「……飲む」
 俺が立ち上がってすぐに背後で、字にすれば「ぐふっ」とでもいうような形容しがたい音がした。いや正確には声か。
「やっぱりつかえただろ?」
 振り返ると、二本目とおぼしきスティックを持った長門は口を押さえて固まっていた。
「…………へいき」
 心なしか涙目に見えるのは気のせいなんでしょうかね、長門さん?
「……気の、せ、い……有機生、命体の……けほっ、脳は騙、され、やすい……視覚情報を……うっ」
 なぜそんなに無理して説明する必要があるのかは分からないのだが。お湯がまだ沸いていないので、俺はむせながら尚も説明を続けようとする長門に水を飲ませた。背中を軽く叩いてやると、どうやら飲み込めたらしく、可愛らしい咳払いを一つした。
「大丈夫か?」
「……なにが?」
 負けず嫌いな奴だ。またむせる可能性を考えているのか、長門は食べかけの二本目をじっと見つめている。俺は苦笑して背中をさすってやった。何というか、庇護欲じゃないが世話を焼きたくなるんだよ。多分妹が居るせいだろう。
 すると今度は心なし、顔が赤くなっているようだった。そりゃああれだけむせたのだから当然だろう。しかし敢えて口には出さず、お茶を淹れに戻る。さっきの続きで「有機生命体の脳は騙されやすいため、視覚情報を正確に把握することができない。見間違い」とでもいうに違いないからな。
 お茶を淹れていると、今度はさっきより控えめな声がした。またむせたのかと振り返ると、食べかけの三本目を持って口を押さえ、何かを期待するような目で俺を見る長門の姿。

 その日以来、なぜか長門はパサパサした咽喉につかえそうなものばかりを好んで食べるようになり、そして必ず咽喉に詰まらせてむせ、俺が背中をさすってやるという一連の流れを繰り返すようになった。長門も学習していないわけではないのだろうが、どうも時々こいつの考えていることが分からなくなる。
「ちょっとエロキョン! 有希になにしてんのよ!」
 とハルヒはハルヒで、俺が長門の背中をさすってやるたびに同じ台詞を繰り返すのだが、近くで大事な友人がむせているのに放っておくわけにはいくまい。
 しかし長門よ、どうしていつもそんな近くに座ってるんだ?

初めて書いた長門SS。長門スレに投下したがGJレスが一つついたのみ。
でも
Shu's quis blogさんに載せていただきました。
2007/09/14