イロモノガタリ

番外

かれんライド

※七割がた単なるエロ小説です。

 お話とは別の話。
 それはつまり脇道であり、脱線であって。
 本筋の展開とは別ではないのだけれど、同じ軸の上に存在しているのだけれども、大して語る必要のない話。
 メタ的に言えば、サイドストーリーのサイドストーリー。
 無駄話。
 ちょっとした行間の出来事である。
 こんなことを語ったところで、誰が得するわけでもないし、むしろ僕にとっては語るに落ちる式に落ちるだけ落ちぶれた夏休みの醜態、死にたいくらい痛い退廃を開陳して恥を晒す、いっそマゾヒスティックな告解以上の何物でもないのだけれど。
 イソップ童話の床屋よろしく、穴に向かって秘密を暴露するつもりで、ここに語ろうと思う。
 ここだけの話。僕が墓穴まで持っていく秘密である。
 失敗は失敗。
 しかして、黙ってさえいればみんな幸せなのだ。
 過ちとは過ぎたことなのだから。

*

 詳しい日付は伏す。
 ある日の夕方。
 僕は机に向かっていた。
 向かってはいたのだけれど、気はそぞろだった。
 あと幾らもすれば、いつもどおりノックなしにドアが開いて、我が愛すべき妹が照れくさそうな顔で入ってくるだろう。
 予感ではなく確信である。
 なぜって、それがこのところ毎日だからだ。
 当の僕はといえば、はっきり言って受験勉強の邪魔にしかならないその訪問を、半ば諦観めいた気分で待ちかまえていた。
 困りものなのは、そこにほんの僅かなりとも期待がなかったかと言えば、それが嘘になってしまうことだ。
 ぶっちゃけた話、妹たちが生意気で鬱陶しいなんて主張は嘘っぱちだ。
 ただの強がりのポーズに過ぎない。
 白状してしまえば、僕は生意気で鬱陶しい妹たちが大好きなのだ。
 正直、目に入れても痛くないくらい可愛く思っている。目に入れてたとえ痛くとも、滅茶苦茶可愛い。
 そんな妹に懐かれて、嬉しくないはずがない。
 願わくばもっと違った形であってほしかったのだけれど。
 拒むことができたのなら、まだ幸い。
「やっほー」
 最近の常として(蹴り開けられずに)ごく普通に開けられたドアから、火憐が這入ってきた。今にも鼻歌でも歌い出しかねない、上機嫌な様子である。
 何かいいことでもあったのか。
「勉強捗ってるか?」
「今まさにお前のせいで捗らない」
「にゃははー。わりーわりー」
 言いつつ悪びれた素振りもない火憐である。
「嫌味の通じない奴だな」
「そんなところが好きなんだろ? ん?」
 抜かりなく鍵をかけた火憐は、僕の座った椅子を引っ張ると、半回転させて自分の方へ向きなおらせた。
「悲しいかなそのとおりだよ馬鹿な妹よ……そんな自分の馬鹿さ加減もいい加減自覚してきたところだ」
 火憐はというと、照れくさそうな顔ではなかった。訂正すると、確かにそんな感じも含んではいたがもう大別すれば単なるにやけ顔だった。
 馬鹿な妹がどんどん馬鹿になっていく……責任を感じるぜ。
 僕は嘆息して、壁のごとく立ちふさがる火憐を見上げた。
「おいおい兄ちゃん、湿っぽい顔すんなよな、夏だぜ? 真夏だぜ? 元気出していこうぜ!」
 火憐はそう言って僕の頭をガシガシとかき回した。
 晴れやかな顔である。
 馬鹿なことをしにきたとは到底思われない。
 それもそのはず、この馬鹿は開き直り馬鹿なのだ。居直り強盗みたいなものである。
「夏に元気になるのはお前みたいなとびきりな馬鹿と小学生だけだ。ていうか火憐ちゃん、お前季節に係わらずいつだって元気だろうが。そんな奴と一緒にされちゃ堪らないよ。僕は幾ら馬鹿と言っても春夏秋冬元気なときもあるし元気じゃないときもあるんだ」
「そう馬鹿馬鹿言うなよ、傷つくだろ」
「嘘だろ」
「嘘だよ。あたしの鋼のハートに傷がつくわけないじゃん」
「かっこいい!?」
 さすがはあの妹の姉というべきか、あの猟奇的セルフカット以来、後頭部がこざっぱり男らしいヴェリーショートだった火憐の髪は、今では順調に伸びつづけた結果、地肌が透けないくらいの長さになっていた。ちょうど外ハネの癖が出はじめて、普段より二三本アホ毛増量中の火憐は、普段より五六倍馬鹿に見えたが。
 その馬鹿は、よいしょ、などと言いながら僕の膝に横座りに乗ってきた。片腕を肩に回してがっちりホールド。にへにへ笑って擦り寄ってくる。
「火憐ちゃん……」
「んー、なんだい兄ちゃん」
「暑くて重い……」
「そう言うなって、そんな言い方をするとこれまでの描写を読んだ人があたしのことを高見盛関似の妹だと勘違いしちゃうだろ」
「火憐ちゃんは逞しいなあ……」
「やめろよ、照れんだろ」
「それはいいのかよ!」
 フォローするまでもないけれど一応言明しておくと、火憐が暑くて重いのは、決して高い脂肪率を誇るからではない。暑いのは夏だからだし、重いのは火憐が兄である僕より身長も体重もあって、低脂肪で引き締まった身体をしているからである。マッチョなわけではないが、鞭のようにしなやかな四肢が常人より高密度であるのは言うまでもなく、筋肉が脂肪より重いのは、今更くだくだしく解説するようなことでもないだろう。
「すっげー可愛い、とも付け加えてくれよな」
「認めるにやぶさかじゃないが……お前段々神原に似てきたな」
「いやあ、褒めるなよ、恥ずかしいじゃねーか」
「本当に恥ずかしいよ!」
 困ったことに可愛いのは確かだ。妹なんか可愛くなくても可愛いのに、それが可愛いのだからより可愛い。
 馬鹿なことを考えてしまった。
 こんな思考回路がショートしたかのごとき行状を繰り返しているのだから、馬鹿なことも考えたくなるというものだけれど。
 つまりは逃避的に。
 限りなく不毛に。
 この日の火憐の訪問は今朝から数えて十数回に及ぶ。僕を起こしにきたり食事に呼びにきたのを除けば、全く無用の訪問である。
 僕が昼間の大部分を図書館で過ごしていることを考えれば、これが尋常な回数でないことが分かるだろう。僕が家にいる間に火憐がしていることといえば、ほとんど兄の部屋に出入りしているだけになってしまう。
 それでいて訪問の半数は何をするでもなく、ちょっと喋ったり、せいぜい軽く(暴力以外の)スキンシップをとる程度で出ていってしまうのだ(実を言うと時々暴力が混じる)。
 そわそわしているとしか言いようがない。
 なぜそわそわしているのかといえば、それはもう、明白であった。
「……みんなが寝るまで待つっていう約束だろ……ていうか、そもそも家に誰も居ないときって話だったじゃないか、最初は」
「んふー、やー、そうなんだけどさ」
 目を細めた火憐はとろけたような顔を僕の顔にすり寄せると、そっと唇を重ねてきた。
 ただの挨拶、と言い張れるのはここまで。
 そうは言っても、アウトだけど違う角度から見るとセーフに見えなくはないよねって結局それアウトじゃん、という程度の姑息な詭弁なのだけれど。
 まだそれは言いわけする気になれる範囲ギリギリ。
 これ以上進むと――
 などと考えているうちに、重なった唇は、食み合わされて徐々に湿っぽくなってくる。頭の中では警報が鳴り響いていたけれど、今更何の用もなさない。人を引っかけてからクラクションを鳴らしても手遅れなのと同じだ。
 歯茎に生暖かい感触を覚えたところで、僕はのろのろと火憐を押し返した。
「なんだよいいとこだろ」
 抗議する火憐と僕は鏡に写したように同じ動きで自分の口元を拭った。
「火憐ちゃん、ひょっとして僕を夕飯に呼びに来たんだろう?」
「えへへ、バレたか」
「お前……それだけの用事にこんな時間かけたら不審に思われるだろ」
「そんなこと言って、これは何ですかお兄さま」
「握るな!」
「動いた!?」
「握るって、何を?」
「…………」
 今のは二人分の沈黙であり、沈黙の前の台詞はドアの外から聞こえてきた。
 外、といっても、常識的にドアの向こう側から話しかけてきたのではない。
 やや篭もったような、反響混じりの声はちょうど、内部が空洞になった板の向こう側で顔が触れるくらい近くから声を出したときのそれに酷似していた。
 ていうか、そのまんまだった。
「大丈夫、最後以外は充分声をひそめていた。聞こえてないと思う」
 火憐が半笑いを張り付かせた顔で物問いたげな目線を送ってきたので、僕は口パクに近い音量で答えた。
「いつからそこに」
 僕がドアを開けると、凍てつくような目をした月火がドア枠ギリギリの位置に立っていた。
 物を詰め込みすぎた冷蔵庫を開けたような案配だった。
 ちょっとびびった。
 涼しいことこの上ない。
 盛夏の折にまったく結構な趣向だった。
「握って、動くものって?」
 何だろう。蛇かな、鰻かな。図らずもメタファー的回答を出しそうになった僕に、火憐が助け船を出す。
「そりゃお前、世の中に握るものって言ったらお寿司と人の弱み以外にはねえ!」
 そう言い切った。
 堂々と言い切った。
「ふざけんな!」
 ああ、やっぱ駄目か。
「お寿司は廻るだけだよ!?」
「そこかよ!」
 反射的につっこんでしまう僕はもはや涎を垂らす犬に等しかった。
 火憐と議論しても時間の無駄と判断したらしく(正しい判断である)、月火は僕に照準を合わせると一歩踏み込んできた。
 つまりドアを開けたポジションにいた僕の懐に入ってきたわけだ。
 満員電車みたいなポーズだった。
「お兄ちゃん」
 月火は平坦な声で呼びかけると、あろうことか僕の握りやすい場所を鷲掴みにしてきた。
 電車の中だったら迷惑防止条例に引っかかること請け合いだ。
「お兄ちゃん、随分と海綿体が充血しているみたいだね」
「そりゃ生きてりゃ大きくなったり小さくなったりするさ」
 僕は月火が口を開きかける前に先制した。
「まあ、待てよ月火ちゃん、お前何か誤解しているよ。お前が握っているそれは大小様々色とりどりな条件下で膨張収縮するんだ」
「そうだそうだ」
 火憐は無意味な合いの手を入れた。
 むしろこんなことを火憐にフォローされても、単に怪しさを募らせるだけなのだから、無意味どころかマイナスだった。
「例えば今のようにトイレを我慢しているときなどは得てしてそうなりやすいのさ」
「嘘くさ……」
「ほんとだって。嘘だと思うなら道ゆく男性百人に質問してみるといい。百パーセントの男がこの事実を認めるだろう」
「まるっきり変態じゃない!」
「兄の股間を鷲掴みにする妹が何を言うんだ」
「握り潰されたいの!?」
 月火は手に力を篭めた。
 が。
「残念だが月火ちゃん、そこを握られても実は大して痛くないんだ。筋肉じゃないからな」
「じゃあ内臓を潰す」
 ターゲット変更のために一瞬手が緩められた隙に、僕は慌てて後方へ跳びすさった。
「それは……! それだけはやめておこう月火ちゃん! 僕はお前のことを嫌いになりたくはない」
「何よ大袈裟な……」
「馬鹿! お前、男の急所がどんなに大変な急所か知らないのか!?」
 再びの火憐。
 まさにしゃしゃり出るといった体で、僕と月火との間に割り込んでくる。
「火憐ちゃんに馬鹿って言われると何だか傷つくよ」
「月火ちゃんにもそう思われていたなんて……同情するな」
「あれっ、矛先があたしに……いやいや、そうじゃねえ、月火ちゃん! 間違っても兄ちゃんの男の急所を狙ったらだめだぞ! 急所に受けた痛みは……いやさ、あれは痛みなんて安っぽい言葉じゃ言い表せねえほどの信じがたいダメージをもたらすんだぞ……」
「火憐ちゃんついてないじゃん」
「ついてなくても分かるんだよ! 魂でな!」
「かっけー!」
 今のは長男と次女の叫びであった。
 長女・阿良々木火憐。
 炎のような女である。
 その熱さから周囲に延焼を起こすこともしばしばだが、最近加速度的に増えてきた頭の悪い発言によって、相手を煙に巻くことすらできるようになったようである。
 火憐ももしかしたら何かしらの怪異だったらどうしよう。
 煙々羅とか。
「夕飯なんだろ? そろそろ下りようぜ」
 いつの間にか話題が火憐の格闘話にすり替えられてしばし、月火は胡散臭そうな視線を僕らに投げかけてはいたものの、このときは何とか誤魔化すことに成功したのだった。
 言うまでもないが僕はトイレに行くのを忘れなかった。

*

 重ね重ね呆れ果てるけれど。
 僕は電気を消して床に就き、まんじりともせず目を瞑っていた。
 確かに暑かったのだけれど、寝苦しいというほどでもない。
 ここらで訂正した方がいいだろう。
 僕は僕で、開き直っていたのである。
 火憐がやってくるのを対処不能で不可避な現実として諦め、受け入れてしまっていたのだ。
 うっすらと疑問を抱かないでもなかった。昼間は何とか大体押し返せていた誘惑に対し、日が暮れて以降はほとんど無防備になってしまっていたことに、である。
 反論の言葉は脳裏に渦巻くだけで口からは出てこず、僕はなすがままに、流れ流され、痺れたように動かない舌は絡めとられるのを待つばかりだった。
 思い返すだに、このとき異常を察知できなかったことを不思議に思うのだけれど。
 そのときですら今更、もう幾らしようが同じという投げやりな心境に陥っていたのも、否定しようがない事実ではあった。
 そういうわけで。
 丑三つ時にもほど近く、世間の寝静まった時間。
 それは足を忍ばせてやってくる。
 まだ夜目の利く視界には、その楽しげな表情、後ろめたさを孕んだ笑顔がくっきりと浮かんでいた。
「にしし」
 ベッドのスプリングを軋ませて、火憐は僕の上体に覆い被さってきた。
 毎晩毎晩、懲りも飽きもせず。
 愛おしげに鼻をすり寄せてくる火憐は、ブレーキも緊急停止装置も故障した新幹線だった。
 しかも倫を踏み外しているから、既に脱線しているのだ。
 言うなればもう何度も事故も起こしてしまっている。
 手がつけられない。
 手は、つけちゃったけど。
「まだあるよな?」
「何が」
「コンドーム」
「誠に遺憾ながらあるよ」
「ならいいのさ」
 躊躇いも恥じらいもなく、臆面も赤面もなく、火憐は当然のように唇を押しつけてきた。
 最初は軽く、段々柔らかく、長く、ゆっくりと。
 顎にずれたり、頬に飛んだり、瞼に落としたり。
 既に手慣れた様子で、ともすればかえって僕を弄ぶかのような余裕さえ窺わせる。
 どんな大冒険も初めの一歩から。
 あるいは。
 ダメ、絶対、的アレゴリーにおける、「一回だけだから」っていうあれ。
 もしくは、フィクションにありがちな自暴自棄になった殺人犯(えてして小物だが)の「一人も二人も一緒だ!」っていう状況。
 案外最後のが一番近いのかもしれない。
 今更。
 罪を重ねるというより恥の上塗り。
 黙っていれば全て平和裏に終わるのだけれど。
 いつ終わるのだろうか。
 ていうか、終わるの?
 あの日一回目の過ちから、僕らはつい二回、三回と半ば勢い、何となく雰囲気で回数と身体を重ねてしまっている。
 一回も二回も百回も、やっちゃったのには変わらない、動かしがたい事実で、とんでもない不実にも変わらないことなのだけれど。
 回数に係わらず一つの状況は、いつか確実に終わりを迎えねばならないのだ。
「よそ見してんなよ」
 顔の至近で低い声がして我にかえる。火憐が不服そうに僕を睨んでいた。
「感じわりーぜ……?」
「う……うん……ごめん」
 謝るべきところなのかはさておき、火憐の顔を見た僕は謝らざるをえなかった。
 火憐に睨まれたのが怖くて謝ったわけではない。
 そんなことは今までにはよくあったけれど(火憐に睨まれると兄の威厳を忘れるほど怖いのだ)。
 今の火憐は怖いどころか――
「悪かったよ」
 悲しげで切なげな、優しく包み込まなければたやすく砕けてしまいそうな繊細な表情を見せていた。
 女性にそういう顔をされるのはある意味怖いものだ。
 少なくとも僕に一切の非を認めさせるには充分な効果を持っていた。
「ちゃんと見てなよ、今はさ。他のこと考えてないで。そういうことされると……傷つく」
 傷はともかく僕に大ダメージを与えるには申し分ない一撃だった。
 あの火憐にそんな貌をさせるようになってしまったことの責任を負っていることにも、また胸が痛むのだが。
「分かってる……ちゃんと見てるよ」
 僕は火憐を引き寄せて優しく抱きしめた。
 真夏の夜の夢。
 夢だったらよかったのだけれど。
 比喩的には悪夢のようなものだろう。
「兄ちゃん……それはそれでちょっと」
「なんだよ、文句が多いぞ」
「いや、危ねーからさ。今一瞬恋に落ちるところだったぜ」
「……寸でのところだったな」
 その一線は確かに危険だ。
 その一線を越えずに一線を越えてしまうのも、中々理解に苦しむけれど。
「そっちも動きなよ」
「はいはい……」
「はいは一回」
「さいさい」
「お茶の子!?」
「火憐ちゃん……似てるのは顔だけにしとけよ。ツッコミ役までやってたらキャラが被っちゃうだろ」
「まあ、突っ込むのはいつだって兄ちゃんの方さ」
「笑えねえ……」
 苦笑いの口づけ。
 目が合って、お互いの目を閉じさせてもう一回。
 今一度はじゃれあうように軽く音を立てて、身体ごと引き寄せあう。
 上下の歯列の間から滑らかな舌が割って入り、誘いかけるようにこちらの舌をくすぐってくる。水っぽい音が頭の芯を麻痺させる。舌の付け根をなぞって先端まで往復し、動きを合わせて絡み合っていると、そのころにはあらゆる懸念はどこか隅の方に追いやられていた。
 あえて願われずとも、そのときは火憐しか見えていなかった。痺れのような感覚がそれ以外の世界を遮断して、狭窄した視野は、思考的な意味でも視線的な意味でも、もはや火憐のみをとらえていた。
 よそ見などしている余裕は、僕の方にもなかったのだ。
 できる限り大きな音を立てないように細心の注意を払っていたほかは。
 火憐の意外に細い手指が、少々乱暴に僕の髪をかきまぜる。反対の手は僕の投げ出された右手を捕まえ、指同士を交わらせて強く握りしめてきた。敏感な部位というものは男女問わず存外沢山あるもので、そういう雰囲気の中で触れられ、撫でられれば特別に快く感じるものらしい。それが心許した相手ならば尚更に快感はいや増すものだ。
 僕は空いた手を伸ばして、まだ少しチクチクする火憐の後頭部を撫でた。短めの髪の毛の下の滑らかな後頭部がちょうど手のひらに収まって、お互いの口を繋ぎとめた。
 感覚には個人差があるけれど、あるいは兄妹ならばそれも近いものがあるのかもしれない。今現在の一切の元凶たる例の罰ゲームの一件で、火憐がとりわけ口の中が弱いことは明らかになったが、それはつまり、ニアイコール的に兄である僕もまた、同じ弱点を持っている可能性を示唆していて、結局それは真実であったのだ。
 当然の結果としてキスの占める割合が増える。今のように本格的にコトを始めずとも、ちょっとした日常の空隙、二人きりの間隙を縫って、火憐は昼夜問わず唇を求めるようになっていた。月火に見られそうになったことも一度や二度ではなかったが、一度味をしめた火憐の貪欲さはとどまるところを知らなかった。
 さすがは阿良々木家の火薬庫といったところだろうか。普段そこに火を点けるのは月火の仕業なのだが、今回はうっかり僕が点けてしまったようだ。
 往々にしてその火は野火のごとく延焼するのだけれど、周囲に迷惑をかけていない分、かえって性質が悪い燃え方をしているのかもしれない。
 僕に迷惑がかかってくるという点では全くいつもどおりなのだけれど。
 その点もまた自業自得なので、僕からは何とも文句としては言いづらいところだった。
 少なくとも今は口が塞がっているわけで。
 前歯同士がかちかち音を立てる。僕の頭は上から押えつけられるように枕に沈んでおり、火憐に跨られた下半身も同様だった。
 視界いっぱいに火憐、両手いっぱいに火憐、鼻をくすぐるのは仄かに汗ばんだ火憐の匂いで、火憐の味も口いっぱいに広がっていた。
 全身余すところなく火憐尽くしだった。
 やや名残惜しかったけれど、少し身を捩って火憐の拘束から逃れる。
「火憐ちゃん、ちょっと苦しい」
「……兄ちゃん、潜水士の必須条件の一つは、素潜りで二分半息を止めていられることなんだぜ」
「僕が潜水士に見えるか!」
「見えねーな。あたしに溺れてるしな」
「上手いこと言いやがって……」
 困ったものだ。
「窒息でオチるときも気持ちいいのかな?」
「危険なのは火遊びだけで充分だよ!」
「なんだよ、言ってみただけじゃねーか」
「お前の大胆さは油断ならないからな……」
「ま、兄ちゃんの頼みじゃ断れねーしな。勘弁してやるぜ」
「そりゃどおも」
 火憐は僕の鼻先に軽くキスしてから、ちろりと舌を出して自分の唇を舐めた。
 ああ。
 火憐はなんてエロい子に育ってしまったことか。
 なんでってそれは僕のせいだった。
「火憐ちゃん……お前結構変わったよな……」
「何がさ兄ちゃん。あたしはあたしだぜ〜」
「何ていうか、女っぽくなった……?」
「前は男だったとでも言うのか!?」
「性別の話じゃねえよ! そこまで変わってたら今ごろ大騒ぎだろうが!」
「それもそうか」
「……そういうこと」
 男に跨って漫才をするのが女っぽいかといえば難しい問題だ。
 男に跨られるのは遠慮したいところだし。
「女っぽいかあ……ああ、そういや最近道場でも、急に女臭くなって組みにくくなったって言われたっけ」
「何だろうな、そういうのって、仕草とか雰囲気に出ちゃうもんなのかな」
「うーん……そーゆー自覚はねえけどなー……でも確かにエロいことが好きになったかも。これは関係あんのかね」
「少女から女性に変わったってことかもな……」
「なら兄ちゃんのせいだな」
「うぐっ!」
 そのひとことは数箇月前僕が無断で火憐のBIGプッチンプリンを食べたときに見舞われた正拳突きにも匹敵した。
「なんだよ。言っちゃまずかった?」
「火憐ちゃん……僕は僕なりに今の僕たちの関係を憂慮してるんだぜ……」
 僕が呻くと、火憐は柳眉を釣り上げて詰め寄ってきた。
「だーかーらー! 今はそういうのはナシだっつってんだろ! 分かんねえな……」
 火憐は不満げな顔で僕のTシャツを脱がせはじめた。
「今じゃなくても……考える時間は幾らでもあるさ」
「……分かったよ」
 お手上げ、というように両手を上げ、脱がされるに任せた。
「……火憐ちゃん?」
 僕はくぐもった声を出した。火憐はTシャツを完全に脱がさず、顎の下で襟首から裏返しにしたままで止めてしまったからだ。
 いわば腹踊りのポーズである。
 胸に火憐の指を感じる。
「兄ちゃん、人知れず筋トレとかしてたのか?」
「突然何だよ」
「いやさ、服の上からしか見てないけど、半年くらい前はこんなに筋肉質じゃなかった気がしてさ」
 指が胸骨の上でステップを踏み、大胸筋を滑って腹斜筋を経由し、肋骨のラインに沿って腹直筋にやってきた。片手が合流して十本になった指が、軽く割れた腹筋を撫でまわす。
 人知れずの部分は合っているような気はするけれど。
「たぶん火憐ちゃんとどつきあっているうちに鍛えられたんだろうよ」
「マジか」
 数秒の沈黙。
「火憐ちゃん……! 今はいいんだぞ! やめろよ! 今僕の身体を鍛えることに何の意味があるんだ!?」
「あれ、見えてないのによくあたしが拳を固めていることに気づいたな」
 僕は慌ててTシャツを着なおした。
 そこにはマウントポジションをとり、鍛えられた拳を固める恐ろしい格闘少女の姿があった。
「ひいっ」
 はからずも情けない声を上げながら身体を起こす。
「暴力はよくないよ、な、火憐ちゃん、意味もないぞ」
 そのまま火憐を抱き寄せ、背中を撫でる。
 どうどう。
「どつきあいよりもっといいことをしようじゃないか。ぶつかりあうことには変わりないよ」
「そこまで言うなら優しく突かれるのもやぶさかじゃないな」
 火憐は拳を緩め、僕の頭に顔を寄せた。
 何だか暴力に屈したような気分だった。
 疲れるわ。
 僕は溜息を呑みこみ、火憐にそっとキスした。
「兄ちゃんって優しいよな……基本的に」
「褒められているようには感じないけど……」
 手を火憐の腰に回し、仰ぐような姿勢で首筋に口づける。触れるか触れないか程度に唇を這わせて焦らすようにすると、火憐は僅かに身を捩った。
「くすぐったい?」
「……ん……くすぐったいけどきもちい」
 火憐は僕の背筋を指でなぞった。
「もっとして」
 通常この姿勢でこの状況でこれに類することを言われて頭に血が上らない男は、たぶんいないだろう。若者なら尚のこと。
 つまるところ若い男である僕は簡単に乗せられてしまうわけだ。
 乗せられつつ、乗られている僕の取りうる行動といえば、たった一つだった。
 一つ一つに分割すれば無数の動作だけれど、総括すれば単一の行動。
 火憐の言葉を借りれば、「もっとし」たのだ。
 暗い部屋で年下の可愛い女の子に跨られて、抱き合ってうっとり顔でそんなことを言われて、言うとおりにしない法はない。
 やっぱり一つ致命的な要因があったけれど。
 罪悪感は重ねるうちに希釈されていく。
 身体も罪も重ね重ね。
 引き締まった腰を抱き寄せると、鼻先が弾力に押し返される。
 就寝時にもブラを着用する女性もいるらしい。
 しかしまあそれは火憐のことではなかった。
 寝巻きにしている着古したTシャツ越しに、何やら固く尖ったものを感じて、唇でそれをそっと食むと、頭上で色づいた吐息が漏れた。
 火憐の手は何やら夢中に僕の後頭部をまさぐっている。
「……気持ちいいんだ?」
「……ん……ちょっと弱いかも……そこ……」
 そう聞いてそこを攻めないのもある種、手ではあるけれど、あの、男勝りどころか女顔なだけで、本当は男なんじゃないかとしばしば思わせる火憐が素直に(ある意味男らしく)自ら弱点を認めたのだから、そこはお望みどおりにしてやろう。
「どうしてほしい?」
「……言わすのかよ」
 火憐のぼそぼそ声というのも珍しい。
 てっきり一定値(可聴域半径十メートル)以下の音量では声を出せないんだと思ってた。
「火憐ちゃんの希望を尊重してるんじゃないか」
 おそらく僕の顔はにやけて見られたものじゃないだろうけど、僕からは火憐の恥じらい顔が見えてもどうせ向こうからは見えないから構うものではない。
「……じゃ、舐めて」
「直に?」
「…………じかに」
 火憐は確かに恥ずかしそうだったけれども、期待したほどでもなかった。
 からかい甲斐のない奴だ。
 しかし、羞恥心が欠落しているのでは、とまで噂される厚顔無恥の火憐からこれだけの表情を引き出せたのだから、僕も案外大したものなのかもしれなかった。
 常日ごろ火憐にはこっちが恥ずかしい思いをさせられていただけあって、意趣返しというのではないけれど、それくらいでも思いのほか溜飲が下がる。
 などと思っていると火憐が僕の上でもじもじしだした。
 この辺で許してやるかね。
 僕は腰に廻していた手をTシャツの裾に潜り込ませて、優しく撫で上げながらたくし上げていった。
 腹直筋の滑らかな線から肋骨を跨いで、やや控えめな曲線の終端に突き当たる。
 その膨らみを下からそっと包み込むようにして反対の手でTシャツをめくると、ツンと上を向いた生意気おっぱいと対面する。
 巨乳ではないが、形がよい。
 美乳である。
 手のひらサイズ。
 僕のストライクゾーンを広げた罪深いおっぱいである。
「なんだよ、そんなに見んなよ」
 火憐が抗議する。
 どうもまじまじと見つめていたらしい。
 気づかなかったな。
「火憐ちゃん」
「……んだよ」
 僕は火憐の胸にそっと口を寄せた。
「綺麗だよ」
「えっ」
 不意打ちを喰らわせておいて、今かと待ち構えていた乳首を口に含む。
「……ッ……ぁん」
 声にならない声を上げ、火憐がしがみついてきた。
 意地悪く焦らされたあとでも咄嗟に大きな声を出さない辺りは、流石というべきか、根性の問題だろうか。
 下の方の僕自身は全く根性なしに、一層窮屈そうにしている。
 セックスは脳でするもの(猟奇的な意味ではなく)と言うけれど、まったく、もっともだと思う。
 触っても舐めても、触り心地がよかったりはするけれども、基本的にこちら側は物理的な快感を得ることはないはずなのに、それでも気持ちいいのはやはりそうすることに興奮を覚えるからだろう。
 当然、相手を想う感情が強ければ尚更。
 神原先生に言わせるなら、レズのタチはしてあげるだけで気持ちいいのだそうな。
 至極もっともだ。
 相手の感じている様子を見るのは、気持ちがいいものだ。
 火憐の手が背中を下って、僕のTシャツを脱がしにかかる。
「ちょ……んん……一回やめろよ、脱がせ……脱がせらんない……ッ……」
 半分脱がされたまま、口は離さない。
 それどころかより丁寧に舐めつづけ、しまいに軽く歯を立てる。
「おらっ!」
「いてっ!」
 頭突きが降ってきた。
 目の前に星が散る。
「噛み千切ったらどうするんだよ!」
「それはそれで?」
「マゾすぎんだろ!」
 そうだよな。
 火憐はこういう奴だよ。
「ほれ、ばんざい」
 今度は大人しく脱がされる。
 僕のTシャツを脱がすと、火憐は自分の半脱ぎだったそれも脱いだ。
 月明かりに浮かぶ逆光のシルエットが美しい。ちょっと目を凝らせば、夜目が利く僕にはその姿が昼間のごとく見えるのだけれど、よく見えないのも雰囲気があっていい。見えなくてもそもそも知っている身体だ。余りはっきり見えると、見ても触っても何も感じなかったことを思い出してしまいそうだった。
 そっちの方がよかったのかもしれないけれど。
 火憐は両肩に手をかけ、僕をベッドに押し返した。
「兄ちゃんって……優しいけど意地悪だよな」
「可愛げがあるレベルだろ」
 少なくともミリ秒単位の躊躇もなく兄に暴力を振るえる妹よりは可愛げはあると思う。
 思うにそんな妹らですら可愛いと思える僕って、重度のシスコンにもほどがあるんじゃなかろうか。
「まあ兄ちゃんは可愛いけどさ……格好いいしな。うちらが困ってるとすぐ助けに来てくれるし」
 そう言って、我らが火憐は暫し思案顔。
「兄ちゃんっていい兄ちゃんだよなあ」
「そんな言葉をお前の口から聞けるとは思ってなかったし、おっぱい丸出しで僕を押し倒しながら聞かされるとはもっと思わなかったよ」
「そういや出しっぱだったっけ」
「自分で脱いだだろ!」
「まあいいや、だったら揉んでいいぜ。翼さんには負けるけど、神原先生も認める自慢のおっぱいだ」
「言われずとも揉んでやるわ!」
 頭の悪い応酬をして、僕は火憐の胸を優しく揉んだ。
 あのときここに手を伸ばさなければ、全ては安穏であったものを。
 柔らかいな!
 けしからん!
「ていうか神原の野郎……先輩の妹を何て目で見ていやがる」
「あたしも兄ちゃんのことは言えないけど、兄ちゃんはもっとそう言う権利はねーだろ……」
「何を言うんだ。変態の魔手迫る妹の心配をしてどこがいけない!」
「うんうん、確かにあたしも複雑な心境だぜ」
 兄ちゃんの妹でよかったとは思ってるけどな――火憐は僕の胸に頭を乗せて、そう呟いた。乳首が腹に触れてこそばゆい。
「なあ兄ちゃんよ」
「なんだ火憐ちゃん」
「あたし、別に兄ちゃんに恋愛感情があってこんなことしてるんじゃねーって言ったけどさ」
「微妙なところだよな……」
「でもさ……でも、やっぱさ、こんなことできるの、兄ちゃんにだけなんだぜ」
 火憐の表情は伏せられて見えなかったけれど、その声はいまだ嘗て聞いたことのない類の声だった。
 それが火憐の口から発せられることになるだなんて、想像だにしないような。
 躊躇い。
 安堵。
 遠慮がちな甘え
 そんなようなものが綯い交ぜになった、何やら嬉しそうな声。
 手持ち無沙汰な手が僕の胸の上に楕円を描いている。
「それは……まあ」
 僕は火憐の頭を撫でた。
「そうじゃなかったら心配になるな……ある意味」
 そうじゃなかった場合なんて考えたくはないけれど、火憐が僕の腕の中で、僕だけに行為を求めてくるということは、そうじゃなかった場合に比べれば、どんなにましかも分からない。
 絞首刑かギロチンか、くらいの違いだけれど。
 誰でもよくてどこでもいいとなったら手の施しようがない。
「何てゆーかさあ。ただ、気持ちいいからっていうのもあるんだけど、やっぱそれだけじゃねーんだ。兄ちゃんじゃなきゃ、ダメなんだ。兄ちゃんにだったら、どんなに恥ずかしいところ見せても全然平気だし、遠慮とかないし、他の人とはやっぱちょっとできねえんだよなあ」
 火憐は僕を見上げる。見下されたり見下げられたりしていたのが嘘のようだ。今はその上に身を捧げられているというのだから驚愕のひと言である。
 それは酷く濃密な視線だった。
 一面には妹が兄を慕う目だ。受容され許容されることを前提にした、際限のない甘えを映している。お互いへの好意を確信している間柄であるならば、心地いい馴れ合いになりうるものだった。
 そして、また、その目は雌性の色だった。激しく情欲をぶちまけたがっている獣臭い目であって、同時に心焦がれる少女の側面を持っているのだ。
「いや、兄ちゃん、分かってんだぜ、あたしだって、ほんとは何にも考えてないわけじゃない。ほんとは、よくないって思うんだ。こんなこと、兄妹でしたらって」
 火憐は目を細める。
「けどさあ……やめらんないんだよ、兄ちゃんが欲しくってたまんねー。兄ちゃんに優しくされたくって、昼も夜も、甘えたくって、ちゅーしたくてどうしようもねーんだ」
 どうしたらいいんだよ――火憐は手を伸ばして僕の頬に手を添わせた。
「変だよな、なんかこれ、まるでこれじゃ、あたし兄ちゃんのこと好きになっちゃったみたいじゃん。いや、好きだけどさ。好きとかそーゆーのと違くて」
 火憐は身体をずり上げて、僕の顔を覗き込むようにした。
「じゃあ、あれか、火憐ちゃん。お前の基準に従って考えると、お前、僕の子を産みたいと思うか?」
「そりゃねーよ」
 ちょっと嫌そうな顔になって、火憐。
「さすがにねーだろ。いやいやいやいや、そんな不義の子は産めねーよ。不義どころじゃねえ、本人ごと周りが全部不幸になるじゃん。あたしはパパもママも月火ちゃんも兄ちゃんもみんな幸せじゃなきゃやだよ」
「まあ僕らが言っても説得力のない発言だけれど……」
 少なくとも半裸で絡みあっている兄妹が言う台詞ではあるまい。
 いや、半裸で絡みあう事態だったら以前もままあったけれど(それには暴力が伴っていたので)。
「だったら、とりあえず火憐ちゃん基準で言うなら、その心配は無用なんじゃないか。別にお前は僕に恋してしまったわけじゃない。僕だってお前を恋人にしたいとは一向に思わないよ」
 強いて言うなら肉体的恋愛。
 神原流に言うならセックスフレンド。
 あああ。
 言葉にすると何て嫌な響きなんだろう。
 いやいや、ひと口にそうは言っても、色々な関係が世の中にはあるのだろうけれど、僕らとて全く肉体だけの関係かと問われれば、そうとは言い切れないものがあるのだ。
 確かに火憐は、僕だから「いいよ」などと血迷い言を口にしたのだ。
 確かに僕は、火憐だから許されるままにコトを致してしまったのだ。
 他の誰かでは絶対こうはなりえなかった。
 だからといって、禁断で悲劇的な許されざる愛に溺れているのでも、今度は一緒に鳥に生まれ変わろうなんて来世へダイヴしてしまうような暗い窓の女のお話でもない。
 カテゴライズするのは難しい。
 仮に、簡単にこうしておこう。
 兄妹以上恋人未満。
 この場合の以上未満はどちらにも漸近しない。
 ちょっと似ているかもしれないけれど、全然違うものだ。
 その隙間に存在するもやもやしたものなのだ。
「そんならいっか」
 火憐は暫く唸っていたが、数拍置いて何やら大きく頷いた。
 一転して晴れやかである。
「とりあえず続きしよ。な」
 いそいそと擬態語をくっつけて。
 火憐は待ちかねたように口づけてきた。
 たぶん考えるのが面倒になっただけなのだと思う。
 突っ込んでる余裕もなかった。
「馬鹿だな、突っ込むのはこれからだろ」
「お前が馬鹿とか言うな」
 超弩級の馬鹿だった。
 でも、それ以上の馬鹿は僕だった。
 遺憾な話である。
「さて、どうしてやろっかなー」
 三分後、舌が痺れるほどのキスを僕に見舞った火憐は、楽しげに僕を見下ろしていた。
 僕はある意味ぐったりだったけれど。
 許してもらえそうにはなかった。
 火憐は鼻歌交じりに身体の前後を入れ替えた。
「おっ! うっひょー……こりゃすげえ」
「色気のない声を出して僕の興を殺ごうとしたって、そうはいかないぜ」
「削ぐっていうか摩るって感じで……」
「まあより効果的だな」
 僕は胸の上に来た火憐の尻を撫でた。
 小尻さん。
「へえ、結構可愛いパンツも持ってるんだ……ってまさかこれ月火ちゃんのじゃないだろうな」
「ちげーよ。月火ちゃんは白しか持ってねーし」
 尻と喋っているかのようだった。
 ちなみにその尻を包んでいるのはグレー系チェックのヒップハング。下着は割とカラフルな火憐にしては珍しく、ともすれば暗くなりがちなカラーリングにも係わらず、全く素体を損なっていないのは、やはりスタイルのよさの賜物なのだろう。
 羨ましいっていうか、悔しい。
「そうはいってもユニクロで五百九十円だったんだけどな」
「くっ……! 僕のなんか三枚で九百九十円だぜ……!」
「ふーん、外側は三百……円くらい。なら内側やいかに!」
 単純極まりない割り算を省略した火憐にショックを受けていると、僕のパンツが下げられはじめた。
「む……これは、引っかかっちゃって……おお、ええっ! こんな角度って……え、どこまでどこまで!?」
「いや、折れちゃうからその辺でやめて」
「兄ちゃん、挑戦のない人生なんて死んでるも同然だぜ」
「当然手が出るぞ」
 火憐の危険な勝負魂に火が点く前に、僕は先んじて火憐の尻を叩いた。
 強く。
「ゃんっ!」
「思いのほか可愛いな!」
「ああ、咄嗟に可愛い悲鳴が出せるように練習してたからな!」
「痛いことしてんじゃねえ!」
「なんだよ嬉しい癖にさー」
 引っかかっていたのは単に遊んでいただけらしく、パンツはすんなりと脱がされてどこかへ放られてしまった。
 先に全裸になると負けた気分になるのはなぜだろう。
「神原先生は脱いだもん勝ちだって言ってたけどな」
「その辺はあいつの一人勝ちだよ」
 神原にはありがちな台詞だ。
「銜えたもん勝ちだとも言ってたかなー……」
「処女の言葉を鵜呑みにすんな」
 火憐の背中が丸まって、局部に温かい感触がした。柔らかい唇が押しつけられている。
 同時に手はその更に下方にぶら下がったものを愛撫している。刺激を受けた皮膚が収縮するのが分かった。
「まあ神原先生の作戦がなければ、あたしもまだ処女だったんだけどな」
「ずっと神原のターンなんだな……」
 闇の中に莞爾と笑う神原の顔が透けて見えた。
 さあ阿良々木先輩、阿良々木先輩の超絶技巧で火憐ちゃんを昇天させるんだ!
 そんな幻聴が聞こえた。
 幻覚の中でさえ唆す奴だった。
 今度会ったら嫌がらせをしてやろう。
 でもどうしたら嫌がらせになるんだろう。
 眼球を舐めさせろと言っても嬉々として差し出してくるに違いない。
「火憐ちゃん、突然だけれど、眼球を舐めさせてくれない?」
「ええー」
 火憐の手が一瞬止まった。
「あとでな。今はやだ」
「いいんだ」
 懐の広い奴だった。
 ただのマゾなのか。
「今はあたしが舐める番だぜ」
 点の刺激が面に変わる。より柔らかく湿った感触が這いだした。
 背中がぞくぞくする。
 やられっぱなしも癪なので、とりあえず目の前の尻を鷲づかみにしてみた。
「ぁ、あいううんあお」
「喋るか舐めるかどっちかにしろ」
「あお」
 後者らしかった。
 一度舌を引っ込めてから喋るという考えには至らなかったのだろうか。
「あ、そっか」
 ある意味では突っ込む気も起きなかったので、僕は尻を掴んだ親指を下方へ移動させていった。
 火憐の尻は、何と言っても女の子らしく脂肪がついて丸みは帯びているけれど、それでいて適度に引き締まって、惚れ惚れするような曲線を形作っていた。
 美尻さんでもあったのだ。
 まじまじと見たことはなかったし、身体のラインが出るような服を全然着ないから、今まで気がつかなかったけれど。
 これはけしからん。
 などと考えつつ、優しく揉むようにしているのはその柔らかい部分ではなく、むしろ付け根の方だった。
 念のため弁明しておくと、後ろの方ではない。
 興味はなくはないけれどまだちょっとレベルが高い。
 だって僕、変態とかじゃないし。
「いや、兄ちゃんは変態だ。なぜならエッチだからだ! HはHENTAIの頭文字だ!」
 って神原先生が言ってた、と、火憐。
 火憐の馬鹿が酷くなったのは確実に神原のせいだ。
 むう。
 憂慮すべき事態だ。
「そんな……とこ、優しく、揉んでくるのは……ん……へんたい……」
「そんなこと言うなよ。興奮するだろ」
 すみません。
 変態です。
 変態なので、僕は下着のラインに沿って内腿を揉んでやった。手を返して、掬い上げるように鼠蹊部をなぞり、内側から外側へ揉み解していく。
 指の動きに合わせて、火憐の身体の向こうで、口と手の動きがしばしば中断する。
 声には出さないけれど、どういう状態にあるのかは推して知るべし。
 ていうか、下着の状態が全てを物語っていた。
「……兄ちゃん……兄ちゃん、なあ……あー、兄ちゃんあのさ」
 火憐は肩越しにこちらを振り返った。
 とろんとした目つき。
 湿った唇。
 熱い吐息。
 言わば出来上がっているのだった。
「今日はちょっと、そりゃあもうしつっこく責めてやろうと思ってたんだけどさ」
 その名残か、指先はまだそわそわといじっている。
「けど?」
「いいや。やっぱ」
 火憐は体勢を戻し、軽くキスしてきた。
「いれたい」
「なんと」
 根性の鬼・忍耐の権化・阿良々木火憐とも思えぬ発言だった。
「だって我慢できねーし」
 そう言うと火憐はパンツを脱いだ。
 焦らしとかムードとかとは一切無縁な、あっさりとした脱ぎようだった。
「ほら、糸引いちゃった……分かってんだろ」
 火憐は僕の下腹部に跨り、やたら長い脚を広げて性器を見せつけてきた。
 そこは僅かな光源を吸い込んで光り、滴るほどに濡れそぼっていた。
「ほら、こんなん」
 火憐はそのまま広げた指を上下させはじめた。
「おい、おい……ちょっと火憐ちゃん……火憐ちゃん」
 水っぽい音。
 つまりは僕に乗ったまま見せつけるように自慰を始めた格好だ。
 激しい運動をしているせいか、擦り切れたように短い陰毛がささやかにしか生えていないため、そことそこの様子はつぶさに見てとることができた。火憐の長い指が自分自身をいやらしく捏ね回す、その粘膜の動き、押し広げられた襞の一つ一つ、水気の多い光沢が、僕をえもいわれぬ心地にさせる。
「兄ちゃん……いいだろ……はやく」
 熱っぽい表情でそんなことを言われて、僕はどうにかなりそうだった。
 ところで、世に、据え膳食わぬは、なんて言うけれど、男だってのべつ幕なし誰でも彼でもというわけではない。お仕事でやってるところにお客さんとして行くのならともかく、やはりそこに至るにはそれなりの前提が必要なのだ。
 それは好意だったり、欲望だったり諸所事情はあるし、やれれば誰でもいいなんて手合いも少なからずいるだろうとはいえ、つまるところ、自分がしたいと思う相手としかしたくないというのが男の本音であるはずだ。
 精神的、肉体的を問わず、どんなに些細でも、やはり何もない、何とも思わない相手には何も感じないのだ。
 その点から鑑みるに。
 我々の間にはそれがあるのだろう。
 僕は火憐が好きだし、火憐も僕が好きなのだ。
 それがどんな類のものであれ、お互いに意味合いが異なっていたとしても、こうなってしまった合意には、致命的な最小公約数が存在していたのだ。
 愛を交わすとはよく言ったものだ。
 これは恋じゃないけれど。
 愛はあるような気はする。
 一体何なのだろう。
 分からん。
「分からないけれど、まあまずそこに直れ」
 僕は火憐を持ち上げて仰向けに寝かせた。胸を隠すようにした腕がかえって乳房を寄せて強調している。
 脚はもう臆面もない感じでおっぴろげだったけれど。
「はーやーくー」
「大人しくしてなさい」
「へーい」
 僕は机の抽斗の秘密の場所から必要欠くべからざるものを取り出してきた。
「つけてやろっか?」
「結構だ」
 取り出してきておいて、枕元に置いてしまったのを見て、火憐が怪訝そうな顔をする。
「まさか途中からつけるとかじゃないよな。だめだぞそんなの」
「お前の性教育水準の高さに安心したよ。もちろん違うさ」
「じゃあなん」
 みなまで言わせず、僕は火憐の腿にキスした。
「ええ……まだなのかよ……」
「悪い、こっちはこっちで我慢できない」
 腿から、付け根の方へ下りてゆき、膝まで引き返してまた戻る。
 何だこの脚の長さ。
 膝から戻るのにやたら遠いぞ。
「じゃあ、僕も舐めるから」
「えっ、まじで、そんなとこ」
 テンプレ的な反応を示す火憐には構わず、僕はそっとその鼠蹊部に舌を這わせ、砂山を切り崩すように、徐々に徐々に中心へ寄せていった。張りつめた筋に軽く歯を立てると、火憐は身震いをした。
 おもむろに、肌から粘膜部分へ舌を滑りこませる。
「っ……なっ……!」
「名?」
 名なのか菜なのか、火憐は自ら口を塞いでしまったので中々聞き取りにくかったが、下半身は恥じらいもなく大開脚のままだったから、たぶん続けて構わないのだろう。もっとも名でも菜でも、その後に続く言葉が拒絶を表すそれになるとは思えないけれど。
 舌に力を入れず、襞の外側を丁寧に往復したあと、充血した部分を軽くノックしてやる。
「〜〜〜〜っ!!」
 火憐は口に手を宛てたまま、いやいやをするように首を振っていた。
 こちらの目線に気付くと、恨みがましい目で僕を睨みつける。
 普段なら火憐に睨まれようものならば恐怖に縮み上がりそうなものだけれど、なぜだか不思議と、その視線は怖くも何ともなかった。
 おそらくきっと、それの表しているのが拒絶ではないからだろう。威嚇や警告でもないのは、その無抵抗からも明らかで、恨みがましい目には幾らか期待を帯びた諦観すら垣間見えた。
 僕には期待に答える義務があるのだ。
 今思いついただけなんだけど。
 ともかく。
 添えるだけだった手で、鍛えようのない柔らかな部分を押し広げる。
 粘つく糸を引いて広がった襞の間に、やや尖らせた舌を差し入れていく。
 遠くに甘味を覗かせた、やや塩気のある液体が舌に纏わりつくのを、掬い上げて呑み込む。咽喉に絡むような感覚が何やらもどかしく、今度はそこに口をつけて、溢れる液体を吸い上げると、自分の唾液なのだか、何だか分からない、渾然と酸味が口に広がった。
 舌を押し下げてその先端に力を加え、沈んでいく方向にそろそろと差し入れる。締め付けるような力に押し返されて舌が攣りそうになるのを堪えて、より深く押し込んでいった先は、熱せられたように熱く、舌がピリピリするくらいの酸味がした。
 火憐は仰け反った姿勢で顔を隠し、身体を痙攣するように震わせ、快感の波に耐えているようだった。
「信じらんねえ……」
 呟くような声が聞こえる。
「やらしすぎ。エロすぎ。どうしよ、なんだってこんな……ん……」
 きもちいよ――火憐の火は延焼している。信じられない思いをしているのはこっちだった。その火憐の信じがたい台詞の畳みかけが、僕を煽り立てた。
 半ば埋まった舌先を動かし、柔らかく引っかけるようにして前後に出し入れする。染み出してくる液体を全て呑みこみ、口全体で愛撫する様は、ほとんどディープキスさながらだった。
 ちなみによく誤用されているようだが、フレンチキスはディープキスと同義である。
 これ豆知識な。
「……あんまし音……立てんな……馬鹿」
「あ、ごめん」
 気がつかなかったが、夢中になっているうちに結構派手な水音を立てていたらしい。
「犬みてえ」
 にやつく火憐の頬は発熱したようにぽっと赤く染まっている。
「ステイはできないけどな」
「不貞は働いてるよな」
「最低だ……」
「到底許されないな。バレたら」
「バレない間は楽しくやろうや……」
「じゃあそろそろ楽しくヤろうぜ」
「それはそれでまだ許さん」
 ちょっと言葉遊びをしていたら、何だか話がブルーな方向に流れてしまった。
 実のところそっちが正しい方向だったのだけれど。
 僕たちは未だ彷徨する。
「も、もおいいって……ぁう」
 中指と人差し指を唾液で濡らし、入口の辺りで摺り足する。
 一方口では、皮を捲って硬くなった部分を軽く吸う。
 摺り足がステップに変わる。中指が先行し、続いて人差し指がそれを追って熱い襞の中に潜ってゆく。先ほど舌を入れたときよりもっと慎重に、優しく内壁を撫でながら奥へ進むと、また別の入口に突き当たる。
 舌先を踊らせながら、指は粘膜の中を泳いでいる。周りの内壁とは感触の違うその場所の外周に沿って指を動かしていると、火憐の悲鳴じみた吐息が聞こえてきた。浅く速く、きっと熱い、その吐息に急かされるように、舌を平たくして面で擦りつける。
「……兄ちゃん、なあ、あの……もう……あ、なんか……」
 指を少し引き、手前側をくすぐるように二本の指を交互に動かし、舌は緩急をつけて、強く弱く擦り上げ、不意に舌先だけを強く押しつける。
 火憐は左右に身を捩り、声ならぬ声を上げて歯を食いしばっていたが。
 突然。
「あ、やだ、あっ、なあーっ!」
 色気のない悲鳴とともに、僕の頭頂部に踵を落としてきた。
 要するに踵落としだった。
「わ……うわー、びっくりした……」
「……おぅ……ぼ、僕以上にびっくりした人間が存在するものか!」
 びっくりさせられるにもほどがある。
 文頭で噛んだのは直前に舌を噛み千切りそうになったからだ。粘膜でなかったらたぶんもっと治るのに時間がかかったと思う。
 つまり余人なら救急車騒ぎだった。
 こえー!
 脳揺れたよ!
 こいつ今後僕以外とまともにセックスできるのか。
 心配になってきた。
「兄ちゃんがやめねえからだろ」
「む、確かにしつこくしたのは認めるが、お前も別に強く拒まなかったじゃないか」
「いっちゃった」
 僕の抗議は流し、火憐は翻然、はにかみ笑い。
 うれしはずかし。
「いかされちったよ」
「あ、そう」
 なんて奴だ。
 お陰さまで、妹をいかせた感慨に浸るような目には遭わずに済んだけれど。
 二重に危なかった。
「にゃは。わりーわりー」
 ちっとも悪くなさそうに火憐は笑う。
 起き上がると、ひっくり返った僕に再び覆いかぶさってきた。
「お返ししてやろう」
 そう言って火憐は僕の頭頂部に軽くキスしてきた。
「気持ちよくしてやるから、怒んなよ」
「痛みの分量を考えるとよほどのことをしてくれるんだろうな?」
「ああ、もちろん。豚のような悲鳴を上げさせてやるよ」
「いつからSキャラになったんだ!?」
「Sは清楚のSだよ」
「月火ちゃんのパンツよりかけ離れてるよ!」
 男子の前で平気で着替える清楚があるか!
 燃え尽きてしまえ!
 元素に還れ!
「んじゃ言いなおそう」
 額に、次に目蓋に優しい口づけが降ってきた。
「一晩中いかせつづけてやるよ」
「腎虚にする気か!?」
「謙虚だなあ。兄ちゃんなら一晩や二晩平気だって」
「何の根拠があって平気だって分かるんだよ!」
「勘さ!」
「勘弁してください……」
 僕は心の中で土下座した。身体は仰向けだけれど、心意気は伝わるはずだと信じて。
「わぁーったよしゃーねーな」
 哀願が効を奏し、火憐は僕に豚のような悲鳴を上げさせるのは思いとどまってくれたらしい。
 止めなければ本当に一晩中搾り取られたのかと考えると、肝が冷える。
 冷えるっていうか縮む。
「あれ? さっきよりちっちゃい」
「お前が恐ろしいことを言うからだよ!」
 火憐は不満そうに口を尖らせた。
 くっ……!
 可愛いじゃねえか!
「ていうか踵落としなんかされて勃ちっぱなしの奴なんかいねーよ」
「そうなん? 兄ちゃんは痛みを与えれば与えるほどに興奮するっていうのが専らの噂……」
「神原だな!? 神原が出所なんだな!?」
 神原は然るべき施設に入所させた方がいいな。
 世のため人のため。
 ていうか火憐の将来のため。
「なあんだ。兄ちゃんは痛くされても感じないのか。ちぇー。つまんねーの」
「がっかりしてんじゃねえ!」
 こいつ僕をどうする気だったんだ?
「困ったな。ならどうやって兄ちゃんを気持ちよくしてあげられんだろ?」
「痛くするの一択だったの!?」
 決めた。
 次に神原に会ったら、眼球を舐めてやる。
 あいつがどんなに喜ぼうが構わない。
 犯された気分になるまで眼球を舐めてやる。
「そういや兄ちゃん、あたしの眼球を舐めたいんだっけ?」
「え、ああ、今はいいよ。今は火憐ちゃんのターンだろ。それに眼球を舐めたいっていう欲望は実は性欲よりときめきに近い感情なんだ」
「へえー……なんかよく分かんないけど、気持ち悪いな」
 やばい。
 妹に気持ち悪がられた。
 傷つく。
「よし、だったらあたしが兄ちゃんの眼球を舐めるよ」
「えっ」
 火憐はぐっと顔を近づけ、僕の右目に向かって舌を伸ばしてきた。
 思わず目を閉じるも、火憐は構わず口をつけて舌をねじ込んできた。
 まだ人体にべろちゅーできる箇所があったなんて……!
 神秘だな!
「んー……別にときめかないわ」
 散々人の眼球を舐め廻しておいて、ひと言。
 何てことをするんだ。
 唾液で右目が霞んじゃって全然見えないぞ。
「やっぱちゅーは口と口でするもんだわ」
 うんうん。
 と。
 何やら偉そうにする火憐(全裸)。
 何やら可愛い。
「舌出しなよ。さっき噛んだろ?」
「え、ああ」
 思わず言いなりに舌を出す。
「あむっ」
 出すなり、もぐら叩きのごとき反射速度で火憐が食いついてきた。
 幸いにして歯は立てていなかったが。
 ヘッドバットみたいな速度で頭を落としてきたにも係わらず、それでいて鼻先すらぶつけずに舌だけを狙ってくるとは、尋常の神経ではない。
 こいつの通ってる道場、ほんとは虎眼流なんじゃないか。
「あえ、かえんひゃ……」
 舌を吸われたままなので、うっかり火焔呼ばわりしてしまった。宜なるかな。言いえて妙である。
 火憐は絶妙な力で僕の舌を吸い上げ、舐めはじめた。ちょうどアイスを舐めるような力加減だった。僕の舌が甘いとも思えないが。さっきまで味わっていたもののことを鑑みるに、いっそ酸っぱいのではないだろうか。
 うっとり顔で舌を吸う火憐の様子からすると、不味いものではなさそうだけれど。
 そのまま暫く、吸われつづける。
 どの道僕は吸われる運命にあるらしい。吸われるのみならず、どっかの陰陽師には座られたのだけれど。
 折りたたまれて。
 火憐の手が下方へ偵察に赴く。
「ん、元気になってきたな」
「……おかげさんで」
 漸く僕の舌を解放すると、火憐は満足げに微笑んだ。
 そろそろいいか。
 僕は枕元に手を伸ばした。
「あ、まだだめな」
「まだ!?」
 火憐はあくまで楽しげだった。
 正直僕もちょっと楽しいのは否めない。
 二人のこの陽気さが、辛うじて事態の悲劇化を食い止めているような気もする。
 ぐだぐだである。
 普段のじゃれあいの延長だと錯覚してしまうほどに。
 火憐は僕の頬にキスすると、次に耳に狙いを定めた。
 そっと息を吹きかけて耳朶をくすぐり、顎の終端から下って首すじに歯を立てたり、鎖骨を舐めたりして顔の位置を下げていく。
 僕の胸板にキスを落とした火憐は、にやついてこちらを見上げた。
「ちょっと、やってみたかったんだよな」
 半ば予想はできたいたことだったが。
 火憐は僕の乳首を口に含んだ。
 意趣返しという奴だろう。
「なんかおもしれえかも」
 吸って舐めて、舌先で転がして甘噛みする。
「か、火憐ちゃん、それちょっと、くすぐったいぞ……かも……?」
 初めての感覚だ。何やらぞわぞわする。
 経験の浅さを白状することになるが、実のところそこを攻められるのは初めてなのだ。
 正確を期すなら、一度神原に挨拶代わりに摘まれたことはあったのだけれど(学校で)、直に、それも舌で舐められるとなると、全く未知だった。
「む……うう」
「気持ちいい?」
「そう……なのかも」
「この様子だときもちーんだろーな」
 気づくと火憐の手はまた股間に置かれていた。
 剥き出しの局部をまさぐる手はやや汗ばんで、摩擦係数を高めている。
「あとさ、これもやってみたかった」
「好きにして……」
 されるがまま。
 もはや火憐の独壇場だった。
 火憐はそれを軽くしごきながら自分の股間に導いた。
 当然ながら入れるためではなかった。
 温かく湿った感触。湿ったというか、滑ったというか。
「ん……」
 滑る。
 レールの上をスライドするように、火憐の腰が前後に動いていた。単なる直線ではなく弧を描くような動きが、充血したそれを擦りあげる。
 こういう行為には特定の名称はあるのだけれど、今まで主義として使ってこなかったので、今回も言葉を濁すこととする。もう少し透明度を上げて言うなら、主糸月几又に近い行為だった。
「素の上の部分は主じゃなくて垂の略だぞ」
「しのび文字だと思ってくれ。あと地の文を読むんじゃない」
「はっきり言えばいいのに。素ま」
「今更だがここは健全サイトなんだよ!」
「んだよー、そんなの今時中学生だって知ってるぜー。さっき兄ちゃんがしてた○○○も○○○○○○○っていう正式名称すら知ってるし」
「なあ、そろそろいいだろ、つけてもいいだろ」
「まだ」
 火憐は自分の乗っかったそれを更に押しつけるように引き寄せ、ぐいと腰を突き出した。
「だってこれ……あたしも気持ちいいし……」
「…………」
 恥ずかしながら僕に答える余裕もなかった。
 突っ込むこともできない、抜き差しならぬ状況。
 上手いこと考えてんじゃねえ。自分。
「……あ……当たるんだよな……んはは……は……はぁ」
 気がつくと僕は、あたかも下になっている女性のごとく、腕を上げて両手を額の下で重ねるポーズをとっていた。
 なんだこの乙女ポーズ。
「兄ちゃん……腰、動いてんじゃん……きもちーんだな」
 火憐は勝ち誇った顔で僕を見下ろした。
「すいません」
 なぜか謝る僕。
「どおしよっかな……許してやろうか」
「お許し下さい」
 命ぜられたわけでもないのに敬語である。
 何だこの汚れ感。
 ていうか弄ばれ感。
 今更ながら面目とか体面とか面子とかツラ関係の言葉は全滅だった。
「大丈夫、兄ちゃんはイケメンさ」
「確かにこのままだとイケそうだが」
「ええー……じゃ、そっちを許さないことにする」
 動きを止めた火憐は、少し名残惜しそうに腰を離した。僕と火憐の間にできた橋が、月明かりだか何だか、外の光を受けて光っている。
「許さねーけど、そろそろコトをしよう」
「そうだな。そろそろ事切れるところだったよ」
 僕が手に持ったままだったパッケージを奪い、跨って膝立ちの火憐は興味津々といった面持ちでそれを開封し、中身を摘み上げた。
「つけてやるよ」
「さっきと語尾が違うぞ」
「つけさせろ」
「はい」
 怖い妹だよ。
 まったく。
「えっとー、ここに空気が入らないようにしてー、先っちょに被せてー、毛を巻き込まないようにくるくるーっと。ほらできた」
「お礼を言うところなんだろうか……」
「礼には及ばねえよ」
「行為に及ぶんだな!」
「この期に及んで何言ってんだよ」
 ほら、入れんぞ、と火憐は男らしく宣言し、ゴムならぬポリウレタンの薄膜(0・02ミリ)に覆われた局部を導いた。
 場所を探っているのか先端が擦れるような感覚のあと、一気に腰が落としこまれる。
「ん……っ……」
「ゆっくりやればいいものを……どんだけマゾなんだよ」
「否定はしねえ……んん……入るときはすんなりだけど、やっぱちょっとじんじんするな」
 火憐は少しだけ眼を潤ませて、軽く下唇を噛んだ。外部からの痛みには慣れていても、体内や内臓までは、鍛えられない部分であることも手伝ってか、まだ耐性ができていないようだ。
「まあでも、結構慣れてきたわ」
 微笑んで身体を密着させてくる火憐。高まった鼓動が汗ばんだ皮膚越しに伝わってくる。
 僕は火憐の後頭部を撫でた。
「痛かったら動かなくていいんだからな」
「へへ……じゃあぎゅってしてよ」
 別に頭を撫でたからというわけではないけれど、僕はその言葉に従った。
 片手を腰に、片手を首の後ろ辺りに廻して、抱きしめる。
「なんかいいよなー、こういうの。落ち着くっていうか」
「恋に落ちるんじゃないぞ」
「憩いの時だよ」
 落ち着くというか、安心する。
 そう言いつつその実、繋がっている部分が脈動しているのが、押えつけられているだけによく分かった。そこだけは全く落ち着いてなどいなかった。
「おっ、やべっ、寝るとこだった!」
「よだれを垂らすな!」
 肩が冷たいと思ったよ!
「寝るなら服を着て、ドアの鍵を開けてから寝ろよ。でないと明日の朝阿良々木家が崩壊するからな」
「油断ならねえな」
 火憐は身体を起こし、両手で自分の頬をぺしぺし叩いた。
「うし、寝ないようにあたしは動く!」
 宣言するなり、火憐は両手を僕の頭の横に置き、ゆっくり動きはじめた。
 初めは火憐も身体ごと動いて上下に抜き差しするような動きしかできなかったのが、今では腰だけを動かして、絞り上げるような前後運動をするまでになっていた。
 僕も乗られているばかりではなく、火憐の腰に手を添えて、自ら動きはじめる。何度か動いてタイミングを合わせると、肉体も精神も繋がりはより深く、ストロークの距離は伸びるが、シンクロ感が心の距離を縮めるのだった。
 一体感が身体を突き動かす。
 通じ合っているような気分。
 息が合っているような気持ち。
 そんな勘違い。
「……兄ちゃん」
「……なんだ」
 火憐は腕立て伏せの要領で身体を近づけてきた。僕の鼻を舌先でぺろっと舐め、位置をずらして口づけてくる。
 動きながらのことである。とても繊細とは言えない。
 けれども、とても優しいキスだった。
 侵入してきた火憐の舌は僕のそれをくすぐるように動き、僕は流れ込んでくる唾液を、まるでそれが甘露であるかのごとく嚥下した。少なくともそれは、僕の脳を酔わせるには充分な効力を持っていた。
 舌を抜き、僕の耳に口を寄せる火憐。
「いつでもいっていいぜ」
 熱い息が耳をくすぐる。
 僕は手を下げて火憐の尻を掴み、こちらに引き寄せた。
「あ……それ……奥に」
「お前も、何回いったっていいよ」
 慣れっこになりつつあったけれど、火憐が恨みがましく僕を見返した。
「やだよ、次いったら、今度はたぶん声出しちまう」
「……声出せるなら、いきたいってこと?」
「……ばか」
 火憐は僕の肩に顔を埋めた。
「……あほ」
「そんな分かりきったこと、言われなくても分かっているよ」
 分かっているだけじゃどうしようもないよなあ。
 急に無力感に襲われる。
 そもそも襲われているに等しい格好ではあったけれども。
 しばし無言のまま、抱き合ったまま、繋がったまま。おそらく同じ心持ちの相手と、茫漠とした、ある種虚ろな、その癖充足した空気を共有していた。
 何だろうこれ。
 これは何だ?
 僕は何をやっているんだ?
 この状況はもう説明するには及ばない。けれどこの僕の心象風景は一体いかなるものか。僕と火憐は一体何を共有しているのだろう。頭の芯の方で目覚めかけた冷たい意識が、浮かされたような熱で混濁していく。何かが僕を妨げている。
 しかしこれは。
 いや、でも奥底の方では気づいている。
 知っているのだ。
 説明のしようがない瞬間。
 言明もしようがない時間。
 判明したどうしようもない実感。
 やばい。
 怖い。
 怖いぞ。
 本気で怖くなってきた。
「なに、ぼーっとしてんだよ」
「んん」
 頬をつねられる。
「眠くなってきたのかよ。んー、やー、兄ちゃんみたいな夜型人間はまだまだ眠くなんてならないはずだ」
「お前こそさっき瞬間的に寝てただろう」
「寝てねーし。あたしも最近宵っ張りだからなー」
「憂慮すべきことが増えたな」
「どうしよっか。体位変えてみるか? でもそうするとタイトルと違っちまうか」
「メタなこと言ってんじゃねえよ!」
「まー、だいじょーぶだいじょーぶ。寝かせねえし、あたしも寝ねえ!」
 身体を重ねたまま、火憐は運動を再開した。今度はあくまでゆっくり、僅かな水音めいた摩擦以外はスプリングも軋まないくらいの速度で、いとおしむような動きを見せる。
 最前まで考えていたことが脳裏から薄れていく。何か重要なことを置き去りにしてきたように胃の辺りに重みを感じるが、やがてそれすら失われてゆく。言葉は紡がれる前に霧散し、火憐の唾液の甘さに溶け合って消えていった。
「火憐ちゃん」
「いっちゃう?」
「……ああ」
 今のがいらえだったのか嘆息だったのか、自分でも判然としない。
 どちらでもあったのかもしれない。
 一つの事実は結果が証明するけれど、もう一つはどうだろうか。少なくともそう聞こえてしまったのなら、この上更に火憐に責められかねない。
 どちらであっても、齎されるものは案外同じだったりするのだけれど。
「……あ、硬くなっ……ん……んふふふ……へへ……出たな。すげービクビクしてる」
 火憐は僕が果てていく過程を嬉しそうに実況した。その間余韻を味わって止めていた動きを再開し、何度か速度を緩めながら腰を往復させた。
 僕の方を見ながら根元を押さえ、そっと抜き出す。
「外してやろっか」
「いや、自分でやるよ」
 僕はティッシュの箱を掴んで火憐に差し出した。
 火憐はそれを受け取らず、にやにやしている。
「なんだよ」
「拭いて」
「…………」
 僕は火憐に観察されながら自分の方の後始末を済ませると、くすぐったそうに忍び笑いを漏らす火憐の、はしたなく開けっぴろげた脚の付け根を拭ってやった。
 口を結んだ避妊具と使用済みのティッシュを纏めてビニール袋に入れ、厳重に固結びした上でひとまず机に仕舞う。明日朝イチでゴミ箱のゴミと一緒にして捨てに行くのである。
「あー、やったやった」
「事後史上最も雰囲気のない台詞の一つだな!」
「んにゃー? じゃあ何だよ。『いっぱい出たね』とかそういうことを」
「ボキャブラリーはお前の教養の程度を明らかにするぞ……」
「なんだようっせーなー」
 火憐は服を着なおし(といってもTシャツとパンツのみだが)、同じく寝巻きに戻った僕に絡まってきた。
 先日は首に巻きついた腕には身の危険を覚えたものだったが。
 別種の危険を感じる。
 危険といえば何もかも危険ではあったけれども。
「部屋に戻らねえのかよ」
「今ごろ戻ったって変だし……あーあ、やったあと男が冷たいってのはホントだなー、兄ちゃんも所詮男か……」
「どっからどう見ても男だよ!」
 出て行く気のなさそうな火憐は僕の上でごろごろしはじめた。
 ごろごろ、といっても咽喉を鳴らしているわけではない。
 火憐はツリ目だが猫系ではないのだ。
 同じ食肉目でも、熊である。
 戦闘力的な意味で。
 ごろごろ、というのはつまり、僕の傍らから肘を使って横回転、僕の身体を乗り越え、反転してまた戻ってくるという限りなく無意味な往復運動であった。
「痛い、痛いよ火憐ちゃん、肘とか色々刺さるから。僕が悪かったから大人しく寝なさい」
「へっへー」
 へにゃへにゃした顔の火憐は僕から下り、自ら僕の腕で枕を作って、横から抱きつくようにして添い寝してきた。
 言い換えれば腕枕である。
「そんじゃーおやすみ」
「ああ、おやすみ」
 心地よい疲労感で全身が重かった。
 格別冷たくなったとは思わないけれど、一度出してしまうと一挙に冷静に立ち戻るのが雄の本能なのであって、それ以降の気遣いは偏に心の余裕と相手への想い次第である。
 その点、僕はそれなりにやっていたように思った。
 冷静な脳内はもう、言わずもがな。
 火憐を責められない僕は、つまり。
「……おやすみ」
 僕は重みを増す目蓋の下から、白みかけている空を睨んだ。
 何があっても普通に夜は明けるのだ。
 何という真理だ。
 甚だ恨めしい。

2010/08/30

『色物語』本編の行間。
何だかよく分からんがやたら長いのです。