「妹好きなんてのは、実際に妹のいない奴の幻想だろ」
「そう。阿良々木君はシスコンではないと。実の妹を好きになったりはしないと」
「するか」
*
色イロモノ物ガタリ語
第一話
あららぎミステイク
実際に確信して断言したことを後々になって改めるのは難しいものだ。自分の意見を変えるだけならともかく、周囲を説得するのが難儀だ。自信満々に宣言しておきながら、やっぱり違いましただなんて、まずそれだけでは済まない。 しかもよりによって。 嘆息。 今だから白状するけど、とか時効の成立する問題ではないし、これは単なる独白、もしくは告解室での懺悔ととらえてほしいのだけれど。 思い出すだに、頭を抱えたくなる。 まさに痛恨。 致命傷である。 何がどう間違ったのか。たぶん用心が働いたがために。 すなわちドアを閉め施錠までしっかり行ったために。 暴走してしまったのだ。 バカだから。 神原に紹介するしないで火憐と勝負に臨み、神原先生のおそるべき陥穽に、陥れるつもりが自分まですっかり陥れられて、もうなすがままというか、車が急に止まれないように、むしろアクセルに重石でも括りつけたかのごとく、うっかり妹の歯を磨きながらうっかり押し倒し、うっかり「いいよ」なんて突っ込みどころ満載の言質を頂戴し。 僕はあろうことか。 「火憐ちゃん……」 正直なところもはや、謂わば譫妄状態というか熱に浮かされた譫言のように、いかにもいとおしげに妹の名を呼びながら。 僕はあろうことか。 火憐の後頭部から離した手を、彼女の胸に持っていき。 ふに。 触ってしまったのだった。 「兄ひゃ……」 甘えるような吐息がその歯ブラシの入ったままの口から漏れるものだから、潤んだ瞳で見つめてくるものだから、僕はぼうっとする靄のかかったような精神状態から逃れようとすらできず、後ろ暗いためかテンションは低いまま、それでもやっぱりキメたみたいにハイになっていた。 今となっては言いわけもできないけれど。 おそらくたぶん、そのときしっかりドアのロックされた僕の部屋は、高濃度の酸素で満たされでもしていたのだと思う。 高揚感に突き動かされるように、火憐を押し倒した姿勢を上に持ち上げる。 胸が燃えるように熱く。 頭の中は真っ白だった。 その、悪戯に「やーい。むにゅ」なんて接触するようなどうでもいい兄妹のスキンシップなんてものではない。 あくまで、ソフトに。 壊れものを押し包むかのようにそっと。 さすがにそれだけは本人のものであろうブラの上から、羽川の半分もないけれど、存外形のいいお胸を、僕は、もううっかりとしか言いようのない丁寧さで、優しく揉んでいた。 「んん……」 耳を疑う。 武闘派以外は、バカ、とか、凛々しい、くらいしか形容する術のないバカ凛々しい武闘派な火憐の口から、鼻にかかったような激甘ヴォイスが聞こえる。 なんだ。 なんだなんだ。 なんなんだ、もう。 どうしてこんなに可愛いのだろう。 僕の妹がこんなに可愛いわけがない、とか思っちゃうほど。 いや、僕に似ていると言った以上自画自賛ととられかねないけれど、それなりに整った顔をしているとは思っていた。 ただその端正さのベクトルは完全に格好よさに向けられていて、格闘能力や性格も手伝い、その名と一字違い同音異義の可憐さとは程遠い、否、全く無縁な女であったのに。 どこをどう思い出してもいつをいかに思い浮かべても、記憶の中からは長じるにつれ男前度を上げていく火憐の熱きポートレートしか探し出せないと言うのに。 燃える瞳は熱っぽい眼差しに。 筋肉の流麗なねじれは艶めかしい曲線に。 よく響く声は悩ましげな響きに。 火憐は、可憐に。 僕の目の前で、変貌を遂げていた。 火憐は僕の右手を掴み、口からもどかしげに歯ブラシを抜いた。 「……兄ちゃん」 僕を呼ぶその声は、今や兄への呼びかけなどではなく、それ以外に僕を呼び表す言葉を知らないがために発せられているようで、僕の耳にも妹の呼ぶ声として届くことはなかった。単にその声の調子だけが重要で、言葉はほとんど意味を失っている。 先ほど冷たい死の予感すら想起させた抱擁が今度は命そのものとして絡みついた。 引き寄せる力にも恐怖を覚えるほどのそれはない。 はたして火憐は僕を引き寄せて、まるで奪い返すように唇を捕らえた。 奪い返すといってもこの場合、取られたものを取り戻すと言うより、奪われたものと同価値のものを相手から新たに奪う行為だった。 ミント味。 それがまずまっさきに闖入してきた。歯磨きの途中で口をゆすいでいないのだから当たり前なのだけれど。 ファーストキスは古典的表現としてレモンとかそういう爽やかな味覚で例えられるなあとか、至極どうでもいいことが頭をよぎった。火憐とキスをするのは、彼女の発熱――囲い火蜂――を引き受ける「おまじない」として先日やらかしてしまっていたが、そんな相手が初ちゅーだなんだとどう騒ごうがノーカンなキスの風味など覚えているようなものではない。 ノーカンと言うなら記憶は朧気だけれどきっと子供のころに何度かしているような気もする。大きくなったらお兄ちゃんと結婚するー、だなんてお約束じみた台詞を無邪気に発していた時代のことだ。火憐の当時からの恐るべき大胆さを思えば、おそらくなんて前置きする必要もなくやらかしているだろう。 そもそも僕の方はカウントすべきキスは済んでいるから、別に妹の初ちゅーなどどうでもいいのだった。 「かれ」 頬に手を添えて一瞬口を離すが、三文字も発する間もなく、気分的には憐の字の立心扁まで言った辺りで、唇が磁石のように再び吸いついた。 さすがにこれは数に入ってしまうかもしれない……。 リンゴを握り潰せる火憐の手が僕の後頭部を押さえつけ、首を固定している。身の危険というより、驚きの方が大きかった。口を離したのもそのためだったが。 舌が侵入してきたのだ。 湿っぽい音を立てて、にゅるっと入ってきた下が歯列をなぞり、半ば強引に割り込んでくる。舌と舌の邂逅で、風味程度だったミントが甘い味を伴って口腔に広がった。 「んん……」 字にしてしまえば一緒だが今の呻きは僕だった。 押しつけるようにするより優しく触れるようなキスの方が気持ちいい。 しかし舌が入ってしまえば繊細な刺激はそれまでである。もとより身体の内側の粘膜というきわめて敏感な場所が、人にいじられるとどういう状態になるのかは分かりきっている。だから今僕達はこんな状態になっているのだ。 そこへきて、その上、舌である。舌同士だ。歯ブラシですら理性がぶっとんだのに、お互いの神経の集まった柔らかい部分が絡みあったときどういう感覚をもたらされるかは、火を見るより明らかである。 「んむ……ん……ん……っ……」 粘膜の擦れあう音に混じって、歯磨きのときのそれとは異なり明らかにあからさまに完全な喘ぎ声が火憐の咽喉から漏れ出す。 変な気分になるなという方が無理だ。 かつまた、液体が重力の働く方向へ、つまり上から下へ流れる原理で、火憐の咽喉が音を立てて蠕動する。僕の唾液が火憐のそれと交じりあって呑み込まれていくのだ。 自分の分泌物を飲まれる心境はいかばかりかといえば、このときまさに僕が味わっていたこんな心境であるとそのまんまなことを言わざるをえない。とても形容できるものでない快楽だった。強いて言えば眠っていた支配欲やら独占欲のようなものが揺り動かされるのである。 正直、それは肉体的にも精神的にもこの上ない愉悦だった。白状すると「いいよ」などと言われる前から僕の身体は臨戦態勢だったのだけれど。分かりきったことなので敢えてどこがとは言わないが。 僕の身体が反応しているのは、どこからどう見ても自分の妹。 全神経が感じとっているのは、どこからどう考えても禁断の果実である。 禁断に過ぎる。 ゆえに甘い。 ありとあらゆるタブーが坩堝にドロドロに溶け合って、加熱されて蒸気を噴き出していた。たとえ燃料がなくなっても汽車が惰性で進みつづける要領で、おまけに間断なく追加される燃料によって、行けるところまで突き進まざるをえない。 禁じられたものは必ず破られる。直江津高校の校則で染髪を禁じていないように、禁じさえしなければ破られることもなかったものも沢山あるだろうに、タブーのレッテルを貼って蓋をしてしまったことでそれがために耳目を集める結果となる。 規制されれば欲しくなる。 隠されれば見たくなる。 全裸より、半裸の方が断然エロいという理屈だ。禁断が狂おしく忘れがたい味をつける。解放されればその何物にも代えがたい禁断の味は失われてしまう。 詰まるところ、必要なのはギャップなのであって。 全ての価値は相対的なものなのだ。 そんなことを考えていたのかどうかははっきり言って全く覚えていないが、火憐の胸を触っていた僕の左手は徐々に下方へ移動していった。借り物でピタピタのサマーニットの裾から手を入れる。 滑らかな腹筋のうねりを這い上り、肋骨に沿って側面へ、背面へ回り込んでいくと、火憐も背中を軽く浮かせてそれに応える。ホックにたどり着き、意味もなく神原に延々レクチャーされたところに従って人差し指と親指を擦りあわせるようにすると、いとも簡単に金具が外れた。 「…んふ!? 技っ…」 僕の限りなく無駄で華麗なテクニックに火憐は一瞬素で驚いた。 技って。 僕はといえば全然そんなことはお構いなしに、カップの内側に手を滑り込ませた。 直接刺激を受け、火憐の身体が揺れる。瞬間的に舌を噛まれたが、綺麗に整った歯並びで僕の舌を食い千切ることだけは防いでくれたようだ。傷は塞がるけれど、切れてしまったらさすがの僕の回復力でも治らないかもしれない。 実の妹と絡みあっていて舌を食い千切られる。 嫌だなあ。 死んだ方がマシだ。 これが回想で本当によかった。むろん思い出すことすらしたくないのだけれども。 「……っ、んっ、んぁ……っ」 つまりは刹那の間を除けば僕らはぶっ通しでキスをしていた。僕は経験者だけれど、火憐はついこの間初ちゅー喪失を嘆いていたのだから当然舌を入れるのなんて初めてのはずだ。だから、知らなかっただろう。べろちゅーはものすごく気持ちがいいのだ。お互いの口を唾液でベトベトにしても一顧だにせず没頭できるような行為なのだ。もちろん好きあった相手とならばそれだけで前戯と呼べるくらい準備が整ってしまう。 だから初めての快楽に夢中になってしまう気持ちがよく分かる。夢見心地の体で僕の口に吸いつく火憐が堪らなくいとおしかった。 絶妙なタイミングで顎を制御してくれたので、火憐のむしろは甘噛みとなって劣情を刺激する結果となっていた。お返しとばかりに火憐の舌も優しく噛んでやり、直に触れた温かい胸を撫でる。 直ということは胸の先端のその敏感な部分にも直に触れるということだ。見たことはあるけれどさすがに触れたことのないそこは既に硬く尖って、指で転がすようにすると火憐の痙攣めいた動きに拍車がかかった。 これ以上の言葉にならない喘ぎ声の描写は控える。 恥ずかしいしそれに、一度大きな声を出しそうになった火憐が、それ以降口をついて出る一切の嬉しい悲鳴を抑えきったからだ。 根性のある女である。 その理由は言うまでもないが、ドアが閉まっているとはいえ同じ屋根の下に月火が住まっているからである。そもそもことの発端となった歯磨き一本勝負! の際、念のために鍵をかけたのはそのためだった。ここまでやらかすとは全く念頭になかったが、何となく本能的に、目撃されるのは致命的だと感じたのだろう。 案の定施錠は大正解だったわけだけれど。 よく考えたら大失敗だった。 「……ちょっ……そこは……っ……」 火憐は僕を押しのけようとしたりやっぱり引き留めたりと大忙しだった。 少し呼吸が苦しくなってきたので一旦口を離したが、それによってほとんど意味をなしていないのに異様に扇情的な言葉の切れ端が火憐の口から零れだしたため、やはりそれも失策だった。 ていうかもう失敗しかない。 ドツボだ。 ものすごい勢いで自分の墓穴を掘り進めている。 いっそ二人分の墓穴を掘っているのではないだろうか。そんなことは完璧に忘れ去り、僕は黙々と墓穴を掘りつづけたのだったが。 葬儀社にでも就職すればいいのだ。いや、土建屋さんか。 「火憐ちゃん……火憐ちゃん、可愛い、可愛いよマジで」 「ん……んへ、へへ、そおかな」 頬の赤みを増し、可愛く照れる火憐。さっきはただ噛んだだけだったが、今回は本当に意図して発音した。しかも大事なことなので二回言った。 やばすぎる。可愛すぎる。 何だ? この気持ち? 恋? 恋なのか? 僕は妹に、で始まる少女漫画のタイトルみたいになってしまうのか? でもあれ、義理の妹じゃなかったっけ。 そんなことは心底どうでもいいのだけれど。 ああ。 可愛いなあ。これからは火憐と書いてかわいいと読ませるべきだろう。よく間違われる可憐の字も今後は火憐の表記に置き換えるよう日本語学会に申請しよう。 僕は割と本気でそんなことを検討しつつ、頬ずりするように移動して、火憐の耳に口づけた。 「兄ちゃん……そこ、耳」 「知ってる」 うわあ。 女の子の耳って、小さい。 新しい萌えを見つけた。ていうか火憐ちゃん、拳は硬いし肘も尖ってて鞭みたいに引き締まった身体だけど、なんだかんだ女の子だったんだな。全然分からなかったぜ。 幸いなことに空手の表書きもいかにか怪しげな火憐の道場でも、寝技まではカバーしていないらしい。この愛らしい耳が柔道家のそれみたいに潰れてみろ。僕は道場に殴りこみに行くからな。その際忍の力を借りることも一向に悪いとは思わない。 僕の火憐にちょっとでも傷をつけてみろ。悪の組織め。正義の鉄槌を下してくれる。 潰れた耳、かっこよくね? などと言い出しかねない火憐には藪蛇であろうことは明白なので、寝技をかけつつその話題はスルー。僕は舌で産毛を撫でるように火憐の耳を触れるか触れないかのところで舐めた。その間も胸への攻撃の手は休めない。 「あ、や、兄、ちゃん、それ……くすぐった……」 いやと言いつつ火憐の手はしっかりと僕の肩を掴んで固定している。かえってやめようにもやめられないし、彼女の熱い吐息も丁度僕の耳の辺りに吹きかかってくるのでおあいこである。 僕は左肘をつき、体重を支えていた右手を下ろしていった。上半身はほとんど火憐に預ける格好になったが、この程度の重さは苦にもしないだろう。 それどころかそれどころではないのだから。 右手はニットの編み目をたどり、腰骨を撫で、超ミニと化した借り物のミニスカートのプリーツを通りすぎ、素肌の脚に到達する。引き締まってはいるが女の子らしい曲線になりはじめた太腿は適度に柔らかく、うっとりするほど滑らかだった。 性的な意味を除けば突っ込み不在の度しがたい情況で、僕は遺憾なことに妹の太腿を撫でまわしてうっとりしていたのだった。 しかも撫でまわすにとどまらず、指先はくすぐるように内側へと伸ばされていく。 一方で、舌は火憐の耳の裏側をそぞろ歩いていた。唇は耳朶を食み、吐息を吹きつけ、表に戻ってきた舌先が耳の穴に挿し入る。震えるように身をよじる火憐は声を押し殺しながらも逃げようとはせず、僕の肩に痛いくらいに爪を立てて歯を食いしばっていた。 内腿の指が鼠蹊部をステップする段になって、火憐はそれまで閉じていた目を薄く開き、恥ずかしげに腰を浮かせた。自然と手が強く押しつけられるが、じれったい手つきは芯を捕らえようとはせず、弄ぶように長い脚の付け根をうろつく。 「……んっ」 耳を甘噛みされた火憐は鼻を鳴らし、片手を離して僕の右手を掴む。 目が合って、当たり前みたいにキスをする。 水音は直接頭蓋を振動させ、電子レンジのように脳を沸騰させた。 既に禁断とか、兄とか妹とか、そういう付加要素は全く念頭から消え去り、単純にお互いの存在に興奮し、闇雲に求め合っているのだった。 「……意地が悪い」 「今ごろ気づいたか」 僕の右手は火憐の導く先で気ままに蠢く。 「僕、実はエロエロなんだ」 自由な左手はニットの裾をじりじりとたくし上げる。サイズが合っていないので肌から剥がれるように少しずつしか脱げず、それだけで焦れったい。この場合焦らされているのは火憐の方だったが。 「なら、ちゃんと触れ、バカ」 こんな情況で拗ねたような上目遣いに欲情の高ぶらない男子が居るだろうか。 いや居ない。 絶対居ない。 堪えられるはずがない。 「エロエロだけれど、意地悪だからな」 僕は自分を好きな子を虐めたくなるようなタイプだとは思ってていなかったが、認識を改める必要がありそうだ。 焦れて焦れて、もどかしくて、切なげに甘える火憐を見るのが、楽しくて仕方がない。 可愛くてやる方ない。 いとおしくて詮方ない。 僕は上はまくり上げつつ、右手で火憐の要求に応える。それも三割くらい。 手のひらで下着越しに触れる。満遍ない圧力でやんわりと撫でさすり、特定の場所に力が入らないよう細心の注意を払う。 そう簡単にはいかない。 せいぜい高ぶらせておけばいいのだ。 火憐は小刻みに身体を震わせ、溜息に似た音のない声を断続的に漏らしはじめた。筋肉の痙攣とは違い、この震えは緊張と弛緩の繰り返しから発生している。与えられる快楽に耐えようと必死だが、抗いがたい力によって完敗するのを防ぐために小出しに何度も負けているのだ。 負けたらどうなるかと言えば、そのいつもは生意気ばかり飛び出す口から、月火がドアを叩き破って入ってくるような声を出してしまうのだろう。 大ピンチである。 そうなってしまったらもうお終いだ。 色々と。 それでも、その危険を冒してまで、健気な戦いを続けるのはつまり、終わってほしくないからだ。いつまでもこの快感を味わっていたい。一切の妨害、実際は救済であるところの野暮な介入なしに、行き着くところまで行ってしまいたい。そんな想いが火憐を突き動かしている。 その忍耐たるや被虐的なまでに強靭な火憐が、一度決意したらそれはもう、絶対に止められない。意識がなくなるまで、否死ぬまで我慢するだろう。だから僕の方が音を上げることがなければ、間違いなく疑いもなく何の仮借もなしに行き着くところまで至ってしまうだろう。 僕の方の可能性はまずなかった。 さっきから興奮するようなことしか目にも耳にも口にも入らない。気勢を殺がれる要素が何もないのだ。欲望の炎を煽り立てるのは扇ぐレヴェルを遥かに越えたサーキュレーターである。オンオフスウィッチは存在せず。ブレーカーが落ちない限り絶対に止まらない。 この場合のブレーカーは物理的な妨害か、僕の意識の喪失である。 詰まるところ――まずそんな可能性はないのだ。 火憐の、いや所有的な意味では月火のタートルネックがここにきて胸の上まで押し上げられた。ホックの外れたブラも一緒にずれて、火憐の(実は身長の割には成長が見られないことを気にしているらしい)控えめな乳房が零れ落ちる。 小さいということはないけれど、あくまで控えめである。微乳に分類されるほどでもない。謂わば普乳。小さいというほどのこともないのだけれど、僕の価値基準からいけば物足りない感じ。たゆんたゆんなおっぱい様の信奉者からしてみれば、存在しないに等しい、「あ、なんだ、あったの」っていう等級。次点にも及ばないランキング外の胸だった。 訂正する。 僕が巨乳好きであると言う説。 スマン、ありゃ嘘だった。 今この瞬間火憐のささやかな胸を目の前にして。 全ては消し飛んだ。 巨乳? くだらないね。でかけりゃいいってもんじゃないでしょ? 僕の今までの価値基準を全て崩壊させるような至上の胸が、そこにはあった。 しなやかな胸筋に支えられて、いかにも生意気にツンと上を向いた、その癖淡雪のように白い、なよやかで、それでいてほどよい弾性を持った――それは至高のおっぱいだった。 賓乳である。 「じろじろ見んなよ……ちっちゃくて悪かったな」 僕の沈黙を否定的に捉えたらしく、ちょっとむくれる火憐。 「違うよ、見蕩れてたんだ。こんなに素晴らしいおっぱいは見たことも聞いたこともない」 「おっぱいって聞こえんの?」 「聞こえる!」 というか火憐の胸は別に初めて見たわけではないけれど。見方が変われば見え方もこんなにまで変わるものか。僕はいたく感動し、押し戴くようにその胸にそっと手を添えた。右手も研修のため一時休業、左胸まで出張してくる。 端的に言えば両手で揉みしだいたのだった。言うまでもなく細心の注意を払い、この上ない優しさで丁寧に。仰向けだから多少は流れてしまっているけれど、火憐の胸はちょうど僕の手のひらにすっぽり居心地よく収まるサイズだった。両手の全神経から喜びの声が上がっている。火憐様大フィーバーである。 その胸にそっと顔を寄せて、まずは胸骨の上の辺りにキスする。それだけで火憐の身体はビクッと揺れたが、構わず胸の脂肪の上を横断して脇へ向かい、肋骨を階段のように舌で上り下りする。左手を下ろし、火憐のくびれた腰に沿え、身体ごとゆっくりと舌を這い進めていく。 火憐は次の刺激を予想して身体を強張らせたが、ぎりぎりのところをかすめて何度か往復するのみで、直には触れない。火憐の手が促すように僕の後頭部に触れるが、敢えて舌は胸筋をなぞる方向へ進路をとる。 左手は再び動き出して火憐の身体を遡上し、胸の上で止まったタートルネックを更に片側だけたくし上げる。 「あ、え……舐めんの……そんなとこ?」 僕は肯定する代わりに露わになった右腋に舌を這わせた。 「うあ……くすぐった……ん……」 複数の筋肉からなる構築的なフォルムを僕は陶然と愛撫する。こういうことをすると腋フェチだとか匂いフェチだとかと誤解を与えるかもしれないが、全然そういうことはなく、単に芸術品を愛するように美しいものを愛でているだけだ。女性の身体のラインというものはそれだけで一級の芸術なのだけれど、適度に鍛えられた火憐の肢体は余すところなく美の祭典だった。腋も無論例外ではない。 何度も口づけて、時々胸に戻りかけてまた引き返す。腋は皮膚の薄い場所だが、そこまで決定的に敏感であるわけではない。火憐はひどくはがゆく感じているはずだ。僕の身体の下に組み敷かれて、もじもじと脚を動かしている。 一方でやわやわと左胸を揉んでいた右手が動き、脱げかけの服を時間をかけて脱がしはじめる。タートルネックの首のところで少し手間取ったが、少し勢いをつけて再び火憐の顔が現れる。ゴムが緩んだらしくポニーテイルは崩れかけ、ほつれた髪が僅かに汗ばんだ頬に幾すじか張りついて何とも色っぽい。 上半身はブラが引っかかっただけになった火憐の顔に向きなおって軽くキスをし、点描するように舐っていた耳とは逆の側面へ下りていく。耳の下、顎の終端からうなじまで満遍なく口づけて、今度は舌で首すじを下りはじめる。長い首を通ってやってきた鎖骨を舌で押すように強めに舐める。軽く歯を立て、痕をつけない程度に吸う。 「……兄ちゃん」 火憐がタップするように僕の肩を叩く。 「もう、や、だめだよ……限界」 「限界? 何がどのように限界なんだ?」 僕は意地悪く片頬を持ち上げて笑った。自分がこんなに陰険にネチネチした責め方をする男だとは思わなかった。意外だったけれど、滅茶苦茶楽しかった。 正直、興奮する。 砂山を崩すように核心に向かい、届きそうになるとフェイント。基本的にはその繰り返しだったが、火憐の反応がまた一々愛らしいのだ。 愛くるしい。 超可愛い。 自称キレイ系小学生をしてこの上ない肉食系と評されるほどの僕だけれど、究極的に僕が求めているのはこれなのかもしれない。 すなわち。 女の子の恥じらい。 思うに、僕は今まで色々な性癖を披瀝してきたけれども、最も顕著にして深層心理に隠されていたのは、恥らう乙女に手のつけられないほどのときめきを感じる性癖なのかもしれなかった。 だってもうさっきからきゅんきゅんしっぱなしなのだ。 「こんにゃろ!」 僕がどんな顔をしていたのかは知らないが、いずれにしてもこの野郎と罵られるに値する度しがたい表情であったに違いない。 火憐は万力のような両手で僕の顔を挟み込んで、強引に相対した。 「焦らすな……っつってんだよ……!」 潤んだ目で、顔を真っ赤にして、羞恥と欲求不満に震えて、火憐は声を絞り出した。 その姿が余りにも可愛らしく、またぞろ意地悪心を起こした僕は何気なく指で火憐の乳首をきゅっと押した。 「んあッ!」 不意を突かれた火憐の口から大きすぎる声が溢れる。二人してわたわたと火憐の口を塞ぐが、覆水は盆には返らない。出てしまったものは取り消しようがなかった。 「…………」 「…………」 僕と火憐は折り重なって息を殺し、耳をそばだてた。 五秒、十秒と尋常ならざる長さの時間が過ぎ去り、顔を見合わせて大きく息をつく。 「……ば、か、や、ろ……!」 火憐は肉も千切れよとばかりに僕の頬をつねった。 「ギブギブギブギブ……!」 幸いと言うべきだろうか。聞こえなかったのか、聞こえたとしても余り色気のある声でもなかったせいかもしれないが、月火の声もドアをノックする音も一向に聞こえてこなかった。火憐の手をぺちぺちとタップしながら、僕は胸を撫で下ろした。 どちらが幸いだったのかもう分かったものではない。このままともかくこの場は楽しく禁断過ぎる一線を越えてしまうのと、半裸で絡みあう姿を目撃され家族会議に突入しつつも一線を越えずに済むのとを天秤にかけたところ、天秤自体が壊れるという体たらく。 荷が勝ちすぎていたようだ。 「ったくよー」 火憐はやっと手を離し、僕は力なく彼女の胸に顔を落とす。挟まるほどにふくよかではないが、とにかく温かいし何だかいい匂いはするし素晴らしく居心地のいい胸だった。つねられた頬の痛みも消し飛ぶようだ。 「ほら」 「ホラーは苦手だな……」 「ぶつよ」 「ごめんなさい」 ハプニングは起きたもののお互い完全に頭が冷えたわけでもなく。試合続行の意気は上々、火憐の顔は先ほどまでの脳までとろけそうなそれからは少し回復していたものの、それでも頬は紅潮し、悩ましげな表情はどちらかといえばイケメンな顔立ちを女の貌に上書きしたままであった。 案外に二人とも冷静に――というか熱に浮かされたような状態ではなくなっていたのだけれど、罪悪感がかえって暗い悦びをもたらす悪循環において、共犯者の心境が、結局やはりなすすべもなく急きたてられる。 「ああ、悪い、悪かったよ。つい楽しくて焦らしすぎた」 僕が身体を起こすと火憐は首を伸ばして唇を合わせてきた。ファーストがどうとかそういう価値観は今更意味をなさなくなってしまったらしい。 唇が離れると、僕は再び火憐の身体に取りかかった。このときばかりは火憐の身体を隈なく満遍なく余すところなく愛し慈しむのが僕の義務のようにすら思えていたのだ。 お叱りを受けたあとだ。目下ストレートにピンポイントな場所に向かう。緊張の面持ちを見せる火憐に微笑み、百回でも降らせたいキスの雨を二三回に留めて、本人と同じく緊張に竦んでいるその部分を優しく口に含んだ。 火憐の身体が軽く跳ねる。さすがに心の準備が整っていたため、声を出すには至らなかったが、散々焦らされてきただけに自然と反応も大きくなるらしい。 吸いながら舌先で、あるいは舌全体を使い、力加減を変えながら緩急をつけて撫で上げると、火憐の身体は面白いように反応した。 身を捩り。 弓なりに反らし。 力いっぱいシーツを握りしめる。 途中からは万一にも声が漏れないように自分の口を押さえ、僕に後ろ暗ささえ感じさせるほどの悲痛とも言えるくらいの涙目で(実際後ろ暗いけれど)、いやいやをするように首を振り、咽喉の奥で堪えようのないくぐもった音を鳴らす。 唾液の糸を引いて口を離し、右側に移動する。同じやり方では芸がないので、今度はいきなり激しく吸い上げ、音を立てて舌で弾き、軽く歯を立てさえする。 火憐の反応は、それは見ものだった。 涙目どころかもう決壊していて、顔をぐしゃぐしゃにしながらも手で口を塞いだまま、空いた手は僕の頭を掴み、やたらと長い脚が僕の腿の辺りを強く挟む。 仮に撮影でもしていたらこの表情だけをネタに一生強請れる程合いだった。むろんそんなことをしなくても今この瞬間そんな顔が見られたというだけで大満足できたのだけれども。 口は離さないまま、左手は唾液まみれになっている右の先端を転がし、右手が改めて下腹部へ伸びていく。めくれたスカートに侵入した右手は下着のラインを何度かなぞって、そのうちに端から肉質の違う柔らかい感触を伝えはじめる。周辺部もかなり湿り気を帯びて、借り物の下着が張りついているのが分かる。 「火憐ちゃん……火憐ちゃん、火憐ちゃん」 頭の芯が再加熱していく。修辞的に言えば真っ白になるのも時間の問題だった。 口も左手も離して、左手は火憐の口を塞いだ左手を外し、口は極めて丁寧に口を塞ぎなおす。ごく自然に舌が絡みあい、微かに歯と歯が触れる。 中指が下着越しに谷合を下っていく。不思議と柔らかいその部分はおそらく布の上からでも目視できるくらいに濡れていた。火憐は僕の舌を強く吸い、背中に回した手をぎゅっと引き寄せた。指の往復に合わせて遠慮がちに腰が揺れる。 どうすんだこれ。月火ちゃんのパンツだぞ。せめて他は汚さないようにしないと、とは言うものの僕から見れば全然汚くなんてないし、むしろ神聖なのだけれど。保存しておきたいくらい。 嘘ですそんなこと思ってません。 さすがに。 「スカート脱がすから」 宣告しつつホックを外し、腰を持ち上げさせながら最後のレンタル衣料を取り除いてベッドの下に落とす。これでもう火憐はあられもない下着姿だ。上下が揃っていないのはこの際見逃してやろう。上はもう取れかけているし。でも脱がすなら下からか。もうフォローのしようなんてないけれど月火のパンツだと二重にやばいよなあ。 などと無駄な心配をしつつも視線は火憐の裸身に釘づけである。 鞭のように引き締まった体躯。 感想としては、格好いい。 こんなに格好いいのに、触ると柔らかかったり。 口づけるといじましい表情を見せるのだ。 やばすぎる。 萌えるよ畜生! 「火憐ちゃん火憐ちゃん……」 再び譫言のごとく呟くその名の何と甘美なことか。 火憐の傍らに身体を沿わせるようにすると、横からずらすようにして指を差し入れる。既にパンツのことは念頭から忘れ去られていた。 また背中に腕が回され、あたかもどこかへ落ちてしまうことを恐れるようにきつくしがみつく。落ちていると言えば、まあとっくに落ちてしまっていたけれど。 指先は潤ったその部分を滑るように動いて粘性の高い液体をかき混ぜる。わざと大袈裟に指を動かして音を立てると、火憐の顔が羞恥に染まった。恨みがましい目が僕を見て、パーカーのフードをぐいぐい引っ張って抗議する。 ダメです。 やめません。 ていうか何だその抗議の仕方は。お前本当に火憐ちゃんか。 随分と可愛らしいじゃあないか。 「凄いびしょびしょに濡」 言いさした言葉は唇で塞がれた。さしあたって言葉責めを封じることくらいはできるわけだが、物理的には全くなす術はないようだ。 無力な火憐、萌え。 引きつづき指は蠢いて、人差し指と薬指が押し広げるように動き、中指がじわじわと沈んでいく。なんなく第一、第二関節までが収まるが、一旦手を止めて様子をうかがう。火憐は困ったような顔で目を逸らし、取り繕うように僕のパーカーのジッパーを下ろした。そういえば僕、人のことは脱がすだけ脱がせて自分は全く脱いでいなかった。 と言っても片手が塞がっているから、今は脱ごうにも脱げないのだけれど。 痛がったりはしていなさそうだったので、僕は慎重に中指を動かしはじめた。出し入れしたり、内壁に押しつけて感触を楽しんでいるうちに、指はほとんど根元まで消えてしまう。 ついに。 火憐は両手で顔を覆った。 うわ。 うわあ。 うひょー。 間抜けな感嘆詞も飛び出すというもの。花のごとく恥らう火憐。乙女っぽい火憐。どれをとっても筆舌に尽くしがたい光景だった。 ゆっくり指を抜いて、下着を下ろす。顔は隠していても火憐はそれに合わせてちゃんと腰を浮かせた。 さあ脱がせた。 脱いじゃった。 糸を引くどころか指の間に膜をはるほどの粘液を火憐が見ていない隙にこっそり舐めとる。濃度は高いがこれという味がするというより、まったりとした、とのみ言い表せるような味だった。直接舐めたら酸味やら何やらが混在するえもいわれぬ味がするのだろうけれど。 手が自由になったのでついでにパーカーを脱ぐ。気づかないうちに結構な汗をかいていたようで、肌に触れる空気が心地いい。 「火憐ちゃん」 「あんだよ」 「舐めていい?」 「……やだ」 「まあそう言わずに」 「やだ」 僕が勝手に始めないように、顔を覆っていた手を外して中に着ていたタンクトップを掴む。何か言いよどむ様子の火憐は目を泳がせ、あー、とか、うう、とか散々躊躇う。 「……あの……あのさ、もう……」 ちらりと、流し目。 「…………してよ」 何をかいわんや。 火憐はとうとう。 決定的に。 求めてきたのだった。 「……………………はい」 脈拍が一段と速くなる。数十分ばかり前からそれはもう牛蒡抜きに踏み越えてきた一線一線また一線。それで最後かどうかは分からないけれど、いずれにせよ決定的な一つのラインを。 禁断のラインを。 踏み越えよとのお達しである。 筆者のポリシーに反するほどの三点リーダを羅列し、僕はそれを許諾した。 粘つく唾液を呑み、不安げに見つめる火憐を見つめ返しながらタンクトップを脱いでベルトを外す。ジッパーを下げる音が妙に大きく響く。 ジーンズを脱ぎ捨てたところで、停止する。 「火憐ちゃん」 「あんだよ」 「やめていい?」 「やだ」 問題発生。 「あの……そう、あれだ、このままするわけにはいかないだろ」 「なんでだよ」 「ひ……避妊しないと、ね」 「うぐ」 火憐の顔が歪んだ。バカでもさすがに事の重大さに気づいたらしい。既に事は重大どころか重体なのだけれど、それに輪をかけてデンジャラスな問題。百歩や一万歩譲ってコトを致すとしても、それだけはしなきゃだめだろっていう問題だ。 「持ってねえの?」 「ないな」 唐突に襲いくる安堵。 勝った。 僕の理性の勝利である。 辛勝ではあるが。 国土の大半を焼け野原にした上での勝利ではあるけれど。 核の脅威は去った。 「うう……」 火憐は胸を隠すようにして身体を丸めた。ケンカで負けてもこんな顔はしないだろうというほど悔しそうな顔だった。エイリアンとのファーストコンタクトの折には「これが人類の悔しいときの顔ですよ」と紹介できるくらいのどこからどうみても苦渋に満ちた表情である。 「……は……はは、まさか、ほら、そういうわけにもいかないし。いやあ、翌々考えてみればそうだよ、僕がそんなもん持っているわけが、わけが……」 あれ。 何かが引っかかる。つい最近の記憶が何か重石でもつけられたように浮かび上がってこない。 何だこの感覚。 何かを忘れているような。 最近何かあったっけ。 ああ、あったとも。忘れようもない。戦場ヶ原と共に貝木と対決したあと。 その夜。 「なんだっての」 半べその火憐が問う。 あ。 「持ってたー!」 何だ、どうして? 何で持ってるの? そんな一生童貞宣言されたとはいえさすがにそれはないだろうとか思っていた矢先彼女なんかできちゃってこれって結構望みあるんじゃねなんて期待していたけれど事情があってしばらくお預け食らっている僕がそんなものなぜ持っている!? 鮮烈な記憶が蘇る。 あれは、戦場ヶ原の家を出た、玄関先でのワンシーン。 「あなたが持っていて頂戴」 戦場ヶ原は小さな何ともいえないサイズの箱を僕に差し出した。 口にするのも躊躇われるただ一つの目的に用いられるものである。 薬局で売っている。 「あ、ああ……そういやこれって、お前が買ったのか?」 僕は選択の余地はないので受け取りつつ、気恥ずかしさからか愚にもつかない質問をした。 「いえ、恥ずかしいからお父さんに買ってきてもらったわ」 「正気か!?」 「嘘よ。ほら、私って背が高くて……阿良々木君より背が高くて大人っぽい美人じゃない?」 「言いなおした意味も分からないしその自画自賛も強烈すぎるよ」 「意味はないわ、阿良々木君の人生みたいにね。後半は単なる事実よ。阿良々木君はただバカみたいに頷いていればいいの」 「僕全否定!?」 「何よ。大袈裟ね。人生なんて意味がないのが当たり前じゃない。意味がないなりに楽しむものでしょう」 「僕はお前と出会えたことに人生の意味を見出していたのに……」 「……あら、そう。素敵なことを言ってくれるのね。そういうところ、好きよ」 「また不意打ちだな……」 「で、話は戻るけれど、背が高くて大人っぽい佳人である私は、薬局で堂々と買ったわ。自分でね」 「美しさがランクアップしている!?」 「袋は結構ですって、シールだけで持って帰ったわ」 「袋に入れてもらおうよ!」 「だって、こんな小さな箱一つに袋をもらうのは資源の無駄でしょう?」 「正論だ!」 回想内回想終わり。 「ああああ」 名状しがたい思いでぎこちなくベッドを離れ、どこに仕舞ったものか迷った挙句鞄に入れっぱなしの箱を取り出す。 あったよ。 ありましたよ。 使えるかこんなもん! 「なんだ。あるじゃん」 ケロッとした顔の火憐。だったらしようよ。とでも言い出さんばかりである。むしろそう顔に書いてある。 「…………」 うっそりと火憐と避妊具を見比べる。 成立しない。 全く結びつかない。 そもそも同列で語るものではない。 「あ? ちょっと待てよ」 火憐は僕のげんなり顔を見咎めた。 「何だよ、マジで言ってんの? ここまでしといて、散々いたぶってすっぽんぽんにした癖に、やめるとか言うわけ?」 「だってほら、よく考えたら兄妹だし?」 「関係ねー」 「関係あるよ!」 ベッドのスプリングが悲鳴を上げた。 火憐が飛び立ったのである。 瞬間移動と見まがう非常識な速度で、瞬きする間もなく火憐は僕に詰め寄っていた。 「舐めんなよ兄ちゃん」 「確かに舐めたけれど……」 「うっせえ!」 火憐はちょっと照れたが、すぐに気を取りなおす。 「ここまでしちまったらもうしてもしなくても同じだろバカ! ここまで……マジで、ここまでしといて、ハイ終わりって、ハイそうですかとか、言えっかアホ! 死ぬほど恥ずかしい目にあって辱められて……そ、その色んなことされて!? やんなかったら一方的な大損じゃねーか!? 兄ちゃんはそれでいーかもしんねーけど」 もう取り返しはつかねーの――下方に鋭く斬りこむような視線が、仁王立ちの火憐の、僕より五センチほど上から睨みつけてくる。 恐ろしい。 開きなおりやがった。 恐ろしさで竦んでいるうちにどこをどうされたものか、景色が一転し、僕はベッドに放られていた。迂闊にも手に箱を持ったまま。 「よくもまあ可愛い妹を散々いじめてくれたよなあ」 「ま、待て火憐ちゃん、話せば分かる」 「こっちが教えてやらあ、身体にな!」 押し倒された、というか組み敷かれて、抵抗も虚しく火憐の顔が近づく。僕は必死に首をひねった。目を、顔を、意識を、目一杯逸らした。 しかし、やはりそれは無駄な抵抗だった。 正面に来た耳に、火憐はそっと囁きかけた。 「……恥ずかしかったんだからな」 耳元に吐息を感じ、肌が粟立つ。 「……でも……きもちかったから……」 兄ちゃんにもしたげる――ひどく優しく、火憐は笑った。背中がぞくぞくするような感覚。胸の中でまるで何か危険物の入った袋でも破れたかのように熱いものが広がっていく。 手遅れなのも、取り返しがつかないのも、僕の身体の方だった。 たったひと言でスウィッチが入っていた。 チョロすぎる。 全国の淑女たちに告ぐ。 阿良々木暦に命じたくば、ただ二つのことをすべし。 一、普段は素っ気ない態度等で、できるだけ意識させないようにする。 二、ここぞというときに甘えた態度で囁きかける。 以上。 ちなみに一は省略可能だ! 「んふふふふ、ふっふーん」 僕の手をとり指を絡めて頭の上に縫いとめておいて、楽しげに見下ろす火憐。 きっと僕も上にいるときはこんな顔をしていたのだろう。 火憐は再び顔をぐっと近づけた。いつの間にかほどけた髪が胸の上に落ちかかる。これといって真面目に手入れをしているようにも見えないが、若いというだけで、ただそれだけで美しい髪の感触は、人を総毛立たせるに充分すぎるものがあった。 鼻先がこすれあい、そっと、何度も唇が重ねられる。 要するに火憐は自分がされたことをやり返してやればいいのである。火憐は直感的で僕の何倍も勘の鋭い女だ。コツを飲みこむのも実に早い。普通に考えれば僕は自分がしたこと以上に弄ばれる可能性が高いのだ。 しかして、胸中。 絶望よりも、期待が膨らんでいくのは否めない。 既に身体の一部は膨らむ余地もなく窮屈そうに唯一残った布地を押し上げている。 この上では何をされたって気持ちいいばかりだ。 八方塞。 絶体絶命。 嘆息。 その溜息すら飲みこんで、火憐は僕の唇を啄ばんだ。身体が沈み込んで密着し、熱を伝えあう。帰宅を知らせるように歯をノックされて、抗いようもなく僕は火憐の舌を迎え入れた。ピントの合わない視界いっぱいに、悩ましげな眉と陶然と細められた目が映りこんでいる。恋人つなぎの手と手がきつく握りあう。 「分かった、分かったよ。しよう。しましょう。したいです。だからちょっとどいてくれ」 火憐はニコニコしながら答えた。 「断る」 断られた。 「まーそれは当然として、あたしがまだ全然やり返せてないじゃん」 「いや、いいって」 「よくねー。全ッ然よくないね!」 そもそも四の五の言わせる気もなく、右耳の下辺りに吸いかれる。 「……痕つけんなよな」 「へいへい」 音を立てて口づけ、ちろちろと舌先だけで首すじをたどる。右手の指先はその反対側をくすぐるように触れて、焦らすように高ぶらせていく。とても初めてとは思えない慣れた手つきだった。一度されただけでここまで容易く応用できるのだったら、経験を積んだ先を考えると末恐ろしくなる。バカだバカだとは思っていたけれど、根本的に頭脳がお粗末なわけではないのだ。むしろ、応用力、咄嗟の機転、勘の鋭さは生来の頭のよさに起因するのだろう。 今こんなときに発揮してどうするんだ。 されっぱなしでつい余計なことを考えているうちに、左手がゆっくりとではあるが着実に身体を撫で下っていた。ボクサーブリーフのゴムの辺りで躊躇うような動きを見せ、結局布の上から柔らかく触れる。 「……硬っ」 端的な感想だった。僕は火憐の悪戯っぽい目つきから顔を背けた。 「こんなんなっちゃうんだ……ふーん……実の妹にねー……」 「……な、何とでも、言え」 極めて優しく撫でさすられて、僕はまさに、「悔しい! でも(以下略)」という状態で、火憐の上手下手の問題とは関係なく、焦らし焦らされたっぷり高められたあとでは、いやがうえにも敏感にもなろうもの。文字通り火憐の手のひらの上、主導権も他の何かも完全に握られてしまっていた。 けれども。 楽しげな火憐には申しわけないが、鎖骨を甘噛みされた段階で、もう僕は我慢の限界だった。火憐の肩に手をかけ、ベッドの上に引っくりかえす。押し倒したときのように案外すんなりと上下は入れ替わった。体勢を入れ替える際の火憐の協力はさておいても、このときの僕の手際のよさときたら特筆に価するものだった。いつパンツを下ろしたのか分からないくらい。 箱から個包装のそれを取り出し、いわゆるギザギザのついた袋とはイメージの違う使い捨てコンタクトのようなブリスターパックを開け、興味深げに見守る火憐の前でそれを装着する。 「な、なんかさ、その」 「なんだよ」 覆いかぶさるように寸前まで迫ると、火憐も首に手を回してきた。 「す、すげーな……っていうか、なんかその……緊張してきた」 僕は急にもじもじしだした火憐の頬にキスした。 「力抜いてた方がいいよ。たぶん」 「おっけー……あ、そっか、兄ちゃん経験……うぁ……っ」 変に合図するとかえって心の準備が緊張を呼ぶと思い、話の途中で何気なく侵入する。 沈む。 熱くぬめる感触。 きつく掴まれる肩。 紅潮した頬。 涙目。 「いっ……うわ、何、何だこれ、に、兄ちゃ」 混乱した切れ切れな言葉と共に内部が痙攣的に蠢く。 僕は火憐の唇を塞いで、そのままじわじわと奥まで這入っていく。 「んん」 火憐の長い脚が腰に絡みつく。 痛いのか、気持ちいいのか、まあ大概痛いのだろうけれど、痛みだけではない混在した無数の感覚が火憐のハンサム寄りの顔を歪ませる。 正直なところ。 最高に可愛い。 「火憐ちゃん」 手ぐしで梳くように汗ばんだ頭を撫でてやると、火憐ははにかんだような笑みを零した。密着した身体から鼓動が伝わる。温かくて優しい気持ちが湧き上がって胸を満たす。至福とも言っていいほどの充足感の背景では、まあ、二重の意味でやっちまっていたのだけれど、当然そんなような胸のしこりは忘却の彼方。どこかにはあったけれど盲点に入りこんで露ほども感じられなかった。 「いいよ……動いて」 「痛くない?」 「ちょっと……でもだいじょぶ」 お許しを得て、僕は少し腰を引いた。心地よい摩擦抵抗を感じながら折り返して復路。 焦らずゆっくり、まずはシンプルに往復する。ベッドが軋むほどの勢いもなく、その一部で火憐の全てを味わうように穏やかな動きを繰り返していると、徐々にではあるが火憐の吐息が弾みはじめる。 僕には一生分からない感覚だけれど、体内に侵入される心境とはいかばかりか。日々食事やら歯磨きやらで触れられる口とは違って、自らでさえ任意にしない限りは触れようもない粘膜に、他者が侵入してくるなんて想像もできない。 でもたぶん、手順さえ誤らなければ、その相手を許容して迎え入れるならば、それは髪を洗われたりマッサージを受けたりするような外部的な刺激からは比較にならない快楽になりうるだろう。それに伴う痛みは不快なそれではなく、至高の快感への前哨として期待を高める前菜に過ぎない。 火憐の咽喉をついて出る無声音の喘ぎがそれを証明している。 僕の背中をしっかり抱きしめた腕も。 顔にすり寄せてくる頬も。 おもむろに動きはじめる腰も。 全てが快楽の証左だった。 「な、なんつーかさ、なんてゆうか、あのさ、あの」 切れ切れに呟く火憐。 「ちょい痛いんだけど……なんか、じんじんするみたいな、何だろ、でも」 そこから先はごにょごにょと言葉にならず、火憐は縋りつくように僕の肩に顔をうずめた。その姿勢のまま、ぬあー、とか、うおー、とか緊張感のないかすれ声を出して僕の頬を緩ませる。 「……火憐ちゃん」 「……あによ」 兄よ、ではなく何よだと思われる。 「いや、なんか呼びたくて」 「……バカじゃねー……」 言いつつバカにしたような顔で、それでも少し身体を離してキスしてくる火憐。 「まあ、それはそうとな」 「うん」 「限界っぽい」 「え? 早くね? ……あいやそうでもねーか」 火憐は首をひねって時計を見た。 「信じらんねーくらい時間が経っている」 「同感だ」 「まだしたいんだけど」 「物理的に無理です」 火憐は唇を尖らせるが、そんなことを言っても、それを止めるのは液体を加熱しながら沸騰するなと言うようなものだ。 ひと言も感想は述べなかったが、実のところ死ぬほど気持ちよかったのだ。感想を言う余裕もないくらいに。だから逆にここまで持ったことが奇跡的だと言える。 「こういうのって、一緒にイクもんなんじゃねえの?」 「知らねえよ。何だよその幻想」 「あたしイッたことないんだけど」 「……またの機会ということで」 火憐は上目遣いに僕を見た。 「……また、すんの?」 「…………かもね」 お詫びのキスを受け取って、火憐は「ったくよー」などと僕の伸びてきた襟足をぐいぐい引っ張る。 「じゃあ仕方ねーな」 「ないですか」 「いいよ」 「ありがとう」 「いってよし!」 「あからさまな蛇足だ! しかも古っ!」 突っ込みつつ突っ込むという笑えない情況ではあったものの、互いの名を呼び合いながら絶叫と共に果てるような超ハイテンションな笑えるフィニッシュとは幸か不幸かまるっきり無縁に、至って平和裏に。 つつがなく。 しめやかに。 事の終わりを迎えたのであった。 「お兄ちゃーん、火憐ちゃーん、居るんでしょー」 ノックが。 気だるげな事後のひと時を打ち破った。 見計らったようなタイミングで僕の部屋のドアを叩いたのは誰あろう月火。 「何で鍵かけてんの? プチムカつく!」 蹴りが一発。直前の普通な感じの質問からキレるまでのスパンが短すぎる。というか脈絡がない。怒りの発生原因が謎だ。間の何かをすっ飛ばしている。 僕と火憐は蒼ざめて顔を見合わせる。 「と! 取り込み中だ!」 とりあえず答えておき、僕はベッドを飛び降りてパンツを穿く。 散らばった月火の服を見てコンマ一秒で決断、避妊具の箱と共に鞄の中に突っ込む。 「どどどどど」 「ジョジョか!」 箪笥を開け、当たり障りのないTシャツと短パン、パンツを引っ張り出してうろたえる火憐に投げつける。 「着ろ! 早く!」 押し殺した声で命じ、僕も素早く服を着る。 「何よ取り込み中って! 怪しい! ドア壊すよ!」 「どんだけ短気だよ!」 時間稼ぎに突っ込んでおいて、火憐を見ると、さすがに体育会系は着替えが早く、既に服は着て髪を結びにかかっている。同じ服なのに僕が着るよりやたらと格好よくて一瞬嫉妬する。 「火憐ちゃん! 火憐ちゃん!」 先ほどとは打って変わって焦燥に満ちた声で妹の名を呼ぶ。 「僕を殴れ!」 「ええっ!? いいけどそんなことしてる場合じゃ……」 「そういうプレイじゃねえよ! 何とか誤魔化すから二三発殴れ! そのあとは僕に合わせぐはっ!」 言い終わるのも待たず、既に殴っている。 直感で動く女である。 しかも見蕩れるほどに綺麗なワンツーである。空手じゃねえし。 更に回転肘打ちで追撃してくる始末。 歯が折れなかったのは幸いだけれど、口の中が鉄臭い。何だってこいつは瞬間的に何の躊躇いもなく本気で兄を殴れるんだ。 僕はよろめきつつドアを開けた。 「ちょっと何……って何で流血!?」 ドアの向こうには丁度椅子を振りかぶる月火の姿があった。 危ねえ。 僕の妹たち危険すぎる。 「取り込み中だと言っただろう」 痛くて泣きそうだったけれど僕は精一杯兄の威厳を振り絞った。 「火憐ちゃん、場所を変えよう。ここだと邪魔が入る」 「はぁん。表へ出ろ……って奴ね、いい度胸じゃねーか。受けて立つ!」 見事と言わざるをえない迫真の演技で火憐はボキボキと指を鳴らした。 本気でちょっとビビった。 「そういうわけだ。あばよ。月火ちゃん。生きて帰れたらまた会おう」 「あばよ」 余り洒落にならないたとえだが一心同体とばかりに完璧な連携を見せ、僕たちはそそくさと我が家をあとにしたのだった。 「妹の処女なんざいるか!」 僕は確かにそう言ったはずなのだけれど。 阿良々木暦高三の夏。 間違い。 過ち。 失敗。 どんなに言葉を尽くしても。 どうしようもない痛恨のミステイクだった。 |
09/10/31-11/11
「偽物語(下)」のハイライト、歯磨きプレイより。初めて書いたエロが近親相姦でした。うは。
*おまけ
「力作なのだ」 神原は堂々たる笑顔で主張した。 「特にこの、阿良々木先輩の回想という形式にしたところにこだわりがある。行為に没頭する阿良々木先輩と、語り手である阿良々木先輩、同時に二人の人格が存在することによって、阿良々木先輩の持ち味である鋭い突っ込みを損なうことなく暴走させることに成功したのだ」 オチもついてるしな――腕を組み、目を閉じて感慨深げに頷く神原。 手書きである。 利き手の左手とはいえ神原の金釘流で原稿用紙に書き連ねられた四百字詰め六十六枚、字数にして二万字を超える力作。 もとい、エロ小説。 「…………」 僕はそれを神原の目の前で読み通すことを強いられ、そして結局読み終えてしまった。 神原の書いた、僕と妹の禁断でドエロな近親相姦小説を。 僕は。 無造作に原稿の束を放ると。 無言で神原を平手打ちにしたのだった。 「あぁン!」 神原は幸福そうに畳に転がった。 |
幻の妄想オチ