こよみナイトメア
06
帰り道。帰路。家路。 とっぷりと日も暮れ、半袖ではやや肌寒ささえ覚える時間帯。 気温はさておいたとして、心情的には夜、街灯に照らされていると、ロクな目にあった試しがない記憶のせいか、僕が吸血鬼だった春休みにおいて夜間しか活動できなかったことをさっ引いても尚、不吉な据わりの悪さを感じる時間帯。 普通、危ない目に遭った場所や時間帯は避けるものなのかもしれない。夜がそうであれば、なるべく夜間で歩かないというように、何度も命の危機に瀕していれば尚更のことだ。 一体―― 僕は何度襲われた? 散々酷い目恐ろしい目にあわされてもこうして無警戒に平然と夜歩きしているのは、いい加減危機感に欠けるというか、忍野に言わせれば自ら進んで怪異に首を突っ込んでいるのとそう変わりないのかもしれない。 そうは言っても。 夜気に当たることのなんと心地いいことか。 僕のまだわずかに残った吸血鬼の部分がそう感じさせるのだろうか。条件反射的な夜闇に対する不信感では覆い隠せない魅力が、夜にはあった。 だからこうして今、自転車を押して歩いているわけで。 思い出の余韻も手伝ってか、この気持ちのよいそぞろ歩きがずっと終わらなければいい、そんな思いがどこかにあったのかもしれない。 果たして。 それは顕現する。 条件が上手く噛み合ったせいか。 はたまた―― 単にあるべき場所にあるだけなのか。 怪異。 どこにでもいて、どこにもいない。 僕はそれを感得してしまったのである。 いやがうえにも高まる鼓動が警戒よりいっそ期待の色をしていたことに、僕は気づいていたのだろうか。 このときは全く、そんなことに思い至る余裕は一切なかった。 それは僕に気づくことなく、ある意味では僕と同じく、そぞろ歩いているのだった。 しかし、僕とは違い―― そいつはおそらく。 永遠に。 「……はーちくじ」 むぎゅ。 「ぎゃあっ!」 元怪異。 現浮遊霊。 さまよえる小学生。 つまるところ八九寺真宵が、そこには居た。 僕はというとそいつ、永遠の小学五年生女児に背後から忍び寄り、壊れものを扱うような繊細さで、それでもしっかりと、極めてしっとりと抱き締めたものである。 ついでに耳に息を吹きかけたりして。 「どうしたんだいこんな時間に。子供が出歩いていい時間帯じゃないだろう?」 「わー! ひゃー! ぎゃー!」 「うん、いい声だ。咄嗟に大きな声が出せるのなら、いつ変質者に襲われても大丈夫だな」 いつ、とは今のことであり。 変質者、とはまさに僕だった。 暴れる八九寺の肘がいい感じに僕の鼻にヒットし、熱い抱擁は敢えなく幕切りと相成る。 が。 「ふしゃああああ!」 八九寺のビーストモードはいまだクライマックスだった。 健康そうな歯ではあるが、いかんせんそれが唸り声と共に噛み合わされている様は、さながら狂犬病というほかなかった。 「どうどう、落ち着け八九寺、ほらよく見ろ、ロリコンの変質者じゃないぞ、僕だ僕」 「ロリコンの変質者ではないですかっ!」 「すいません」 つい勢いで認めてしまったが、僕は断じてロリコンでも変質者でもないことをここに主張しておくことにして。 八九寺のレッドアラートは無事オールグリーンへ。 「誰かと思えばサンコンさんではありませんか」 「僕の名前をギニア出身二十二人兄弟の四男みたいに言うな。僕の名前はロリコン……じゃないよ!?」 「おおよそ合っていると思われますが、ここは一応私が噛んだということにしておきましょう」 「不快な申し出だ! 絶対わざとだろう!」 「がぶっ!」 「いてえ!」 「噛みました」 「物理的に噛む奴があるか!」 こいつ本気で噛むからなあ。 「それはさておき阿良々木さん、阿良々木さんこそこんな時間に何をしておられるのでしょう?」 「ああ、僕は戦場ヶ原のところからの帰りだよ。夕飯をご馳走になっていたらすっかり遅くなっちまって」 「なるほど、戦場ヶ原さんと乳繰りあっていたというわけですね」 「憶測だけで簡単に要約すんなや!」 確かに普段どおり一定時間勉強を見てもらってハイさようなら、というわけではなかったけれど。まるで僕が戦場ヶ原の家に戦場ヶ原とイチャイチャするために通っているような言い方をされるのは心外だ。 うっわ。 イチャイチャしてみたいなチキショー。 「お前こそどうしたんだよ八九寺。こんな時間に会うなんて珍しいじゃないか」 「まったくです。お陰様でロリコンの変質者に襲われる憂き目ですよ。かよわい少女が夜道を歩くものではないということをまざまざと思い知らされました。そのことに気づかせていただいたという点だけは阿良々木さんに感謝します。ありがとうございました」 「お前慇懃無礼って言葉知ってるか?」 「知っています。イン・ギンブレー。イギリス南部に位置するギンブレー村にはロリコンの全身を犬に噛ませる奇習があることから転じて、それぞれの土地柄の慣習に合わせるべきであるという意味の諺です。日本語で言えば郷に入っては郷に従えですね」 「ついには言葉の捏造が始まった!?」 「イン・ギンブレー! 犬にお噛まれになってください!」 「原義で使うな! 慣用句や諺を比喩じゃない意味で使うと危険だろうが! 釘を刺すとか! 鞭打つとか! あと僕はロリコンじゃない!」 口チャックとか、実際口をホチキスで綴じられた経験のある僕からすれば、実感がこもっているだけに痛々しいことこの上ない比喩だ。 思うにそんな危険極まりない恫喝行為を行ってきた相手と今や気のおけない恋人関係だというのだから、世の中分からないものである。 「それはそうとな。お前こんな時間に出歩いて、今回は僕だからよかったようなものの、本当に変質者に襲われたらどうする気なんだ?」 「ご心配には及びません。阿良々木さんでなければ即座に消えますから」 「ああ、そう」 あれ? それってなにか。 「阿良々木さんこそこんな時間に出歩いていては危ないですよ」 「いや、さすがに僕も男だからな。心配には及ばない」 「職務質問されてしまいます」 「僕が不審者!?」 「ボディチェックでもされてご覧なさい。そこかしこから言い逃れようのない決定的な証拠品が」 「僕が何を持ち歩いていると言うんだ!?」 「阿良々木さんがパーカーを愛用されているのは、いつでも顔を隠せるからだと聞き及びましたが」 「誰から聞き及ぶんだそんな情報!?」 「まあ護送されるときにも簡単に顔を隠せて便利かもしれませんね」 「それでも僕はやっていない!」 「うわー……悲痛ですねー。リアルですねー。どうかそんな醜態を晒すのは私が成仏してからにしていただきたいものです。そんな性犯罪者と関わりがあっただなんて思われたくないですし、モザイクと音声変換付きインタビューで『きっと魔が差したんです』なんてコメントしたくありませんからね」 「無罪の方向で庇ってくれよ!」 「誠に残念ですけれど、幾ら私と言えど実際に起こってしまったことを覆す力はありませんからね。アナスイ女に戻らずです」 「世界一巡しちゃったしなあ」 しかしこいつ、元ネタはともかくそれの原型が覆水盆に返らずだと伝わると本気で思っているのだろうか。 「アホの祭とも言いますね」 「致命的な響きのする催しだな……それは」 「踊る阿呆に見る阿呆……とはそのお祭の歌ではないのですか?」 「言葉どおりに捉えるとそれっぽいけどな」 嫌な祭だな。 バカの祭典みたいで。 「それで、八九寺。話は戻るけれど、こんな時間に何をしているんだ?」 「阿良々木さんこそ何のために生きているのですか?」 「重っ……!」 何だか今僕、ものすごく傷ついた。 小学生女子の言葉に深く傷つけられた。 自己同一性とか人生の意味とかに悩んじゃう思春期真っ盛りの男子高校生には残酷な質問だ。冷めた風を装っていたけれど、僕も案外うれし恥ずかし青春スーツ着用者だったのかもしれない。 「な、何を言うんだ八九寺君。僕の人生は恋人たる戦場ヶ原ひたぎ、この人のために存在すると言っても過言ではないんだぞ」 「げっ」 「げっとか言うな!」 「失礼、吐きました。オエッ」 「最低だ!」 でも。 我ながら何を口走ってしまったのだろう。 後から恥ずかしくなってきた。 「まあ、私とて答えのない人生の意味を捜し求めてさまよっているのですけれどね」 「えっ、だから成仏してなかったの?」 「新しい大貧民です」 「ポピュラーなトランプ遊びに続編があるとは知らなかったな」 「貧民ツー」 「秘密か……ちょっと苦しいな」 「そうです秘密です。紳士たろうとお思いなら少女の秘所に無理矢理分け入ろうとしないでください。強制猥褻容疑で告訴しますよ」 「そんな言い方したらまるで僕がお前のパンツに手を突っ込もうとしたみたいで人聞きが悪いじゃないか!」 「うわー小学生相手に下ネタですか。さすがの私も引きます」 「お前が言い出したんだろう!」 やれやれ付き合いきれませんね、などと生意気なことを言い、 「では私はこの辺りで失礼させていただきます。もう遅いですから阿良々木さんも早くお帰りになった方がいいですよ」 「小学生に言われたくないな」 ではまたどこかで――八九寺真宵は踵を返した。 会話パートが神原より短いなんてどんな八九寺だよ、とも思ったのだけれど、そもそも夜に遭遇することなんてなかったから、今回はあくまでイレギュラーなのかもしれなかった。結局理由も告げずに去っていってしまった。半ば忘れかけているものの一応幽霊であることだし、目撃者はまだしも犯罪被害者になる可能性はさておいて、実際、まったく、一体全体どういった理由で、というか本来八九寺はなぜ迷い牛でなくなったあともいまだなおさまよっているのだろうか。 忍野が放置して去ったということは、別段問題はないのだろうけれど。 八九寺本人も口を噤んでいることではあるし。 僕が首を突っ込むような問題ではない。今は自分の頭の蝿を追えといった感じである。 今に限らず、専らいつだってそうなのだろうけれど。 さて。 ところで。 バイザウェイ。 問題は発生する。 もちろんそれは僕が帰宅し、妹たちとどうでもいい言い合いをし、一通りの寝支度を済ませて床に就いたあとのことである。 眠りに落ちた落ちないか。 認識できない境界線。 おそらくそれを越えた領域。 「やあ、また会えて嬉しいぞ、阿良々木先輩」 「……嬉しくなくはないんだけれど素直に喜んでいいものやら」 昨夜と寸分違わず、同じ場所。 同じ空間。 同じシチュエーション。 同じ顔。 「そうか? 私は素直に嬉しいぞ。阿良々木先輩にお会いできて嬉しくないなんてことはない。たとえ私が阿良々木先輩に会うことによって世界が滅亡するのだとしても、私はまずまっさきに阿良々木先輩とお会いできた僥倖に感謝するだろう」 「お前はお前で優先順位間違ってるよな……色々と」 何度見ても同じである。 神原の曰くラブホテル様の密閉空間。 ウォーターベッドの上にパーカーにジーンズで横たわった僕。 その僕の上にまたがったバスローブ姿の湯上り神原。 事前に「前回と同じところから再生しますか?」とダイアログが表示されていても一向不思議ではない、完全に昨夜の続きであった。 違いはといえば、眠りから覚めたあと、その時点から今現在知覚しているこの状況までの間の記憶が引き継がれていることだった。TVゲームをセーブ地点から再開するようなものだ。夢でも何でもこの現象がどう呼称されるかはともかく、睡眠をスイッチにして発生したこの仕掛けは、ますますもって非現実味を新たにしたのだった。 できたら起きている間に神原と状況を確認しておきたかったのだけれど、こうなってしまってはもう遅い。実地で確認していくしかないだろう。 「神原」 「ああ、そうだな。折角だから続きをしよう」 うっとり顔で迫ってくる神原の顔を力いっぱい押しのける。 「はいはいはいはい、いいから。そういう絡み要らないから」 「そんな! またとない機会ではないか! これを逃したら次は一体いつになるか分からないのだぞ!」 「そんな機会は永久に訪れない!」 神原は悲痛な声を上げた。 「きっと明後日くらいまで来ないぞ!」 「近っ!」 「そんなにお待たせしたら、阿良々木先輩は妹さんに手を出してしまうかもしれない!」 「妹に上げる手はあっても出す手などない!」 「私だってそんなとき羽川先輩に迫られたらついつい一夜の過ちを犯してしまうかもしれないではないか!」 「羽川がお前に迫るものか!」 押しあいへしあい。 既にマウントを取られている僕の方が圧倒的に不利ではあるが、ここを死守せねば戦場ヶ原に合わせる顔がない。長期的に見れば絶対神原にだって悪い。神原が気にしなくても僕が気にするのだ。 浮気以前に彼女の後輩と寝られるか! 「そんなに嫌がることはないだろう……! どうせ夢なんだから!」 ここまできて神原も若干キレ気味である。 「それはそれで問題なんだよ!」 僕は突っ張った腕の力を一瞬緩め、神原の腰が浮いたところを狙って右足を引き抜いた。その際妙に丈の短いバスローブがめくれたとかそういうことは見なかったことにしておいて、なるべくそっと腹に足をあてがって持ち上げ、ベッドの広い方へ転がす。 体重の軽い神原だからできたことだ。これが、下手をしたら僕より重い上に空手を嗜む火憐が相手だったらまず不可能だっただろう。 まあ火憐にマウントを取られた時点でサンドバッグ確定だろうけれど。 再び押し倒される前に身体を起こし、ベッドの縁に移動する。さすがの神原も僕をベッドから突き落としたりはしないだろう。 振り落とされた神原は恨めしげにこちらを見ている。 「落ち着け。ステイだ神原。ステイ」 「なるほど、調きょ……」 「そういうプレイじゃねえよ!」 「ではどんなプレイなのだ?」 「お前とは一切性的な意味ではプレイしない!」 「ではプレイのプの字を最後尾に持ってきて……」 「言葉遊びもしない!」 「言葉遊びくらいしてくれてもいいだろうに」 「それはまあいいけれど」 結局ベッドからシングルソファに場所を移し、やっとひと息。 「本題に入る」 「寝台に入りたいな……」 「うるさい。いいからともかく一度ストップ。ふざけないで話を聞け。いいな?」 「ううー……んんんー……うん」 神原は不服そうだったが、状況の整理を始める。 「まず一つ、これは現実ではない」 「そのようだが……」 こんなゴキゲンな現実があって堪るか。 「次に、これは前回の続きから始まった」 「……確かに、起きている間は覚えていなかったけれど、昨日終わったところから始まったな。阿良々木先輩が謝って、一度終わって、今日気づいたらその続きだった」 「つまり内容は続いていて、それ以降の記憶も引き継がれているというわけだ。ここだけの独立した記憶でなしに。お前の場合は覚えていなかったけれど、僕はここで見聞きしたことを起きている間も覚えていた」 「そうだったな。それで今朝阿良々木先輩は私に色々と訊いてきたというわけか」 「そうだ。確信には至らなかったけれど、お前が僕と同じ夢……まあ夢としておこうか。同じ夢を見ている可能性が生じてきた。夢の中でお前が喋っていたことが現実にも一致していたからな」 「ああ、枕の下に写真を敷いている話か。むろん今日も敷いているぞ」 誇らしげに語る神原。またどうでもいい話を聞いてしまった。 いや。 案外それが原因だったりして。 「神原、それ、その写真、いつから敷いているんだ?」 「ん? そうだな、左腕の件が片づいた後だったか……それくらいだな。最初は神棚に奉じようとしたのだが、御祖母ちゃんに怒られてしまったのでやめたのだ」 「怒るよ!」 罰も当たりそうだ。仮に僕が命の恩人だとしても崇めすぎだろう。神扱いかよ。 「……まあいい。で、これまでにこういう夢を見たことがあったか?」 「その質問が阿良々木先輩や戦場ヶ原先輩の出てきた夢を見たことがあるか、というものであれば、たぶんある、としかお答えしようがない。無念ながらほとんど覚えていないのでな。けれど、こんな風に理路整然と会話を交わしたという記憶は全くないな」 と真面目な顔で、神原。夢だとしたらどうか三分以上持続してもらいたいものだ。 「ということはつまり、私が阿良々木先輩の写真を枕の下に敷いているがゆえに、このような夢を見ているのかもしれないと、阿良々木先輩はそう仰りたいのかな?」 「ああ。僕らに理解しえる原因があるとして、一番分かりやすいのはそこかなと思って」 「ううん……それは考えにくいのではないかなあ。写真を敷いてからもう一箇月以上経つんだ。どうして今更になってこのようなあからさまな効果となって現れるのだろう?」 「それを言われるとどうも根拠としては薄弱なんだよなあ……」 だからといって、他に心当たりがあるわけでもなく。怪異のオーソリティ、忍野メメがこの町を去ってしまった今、僕達にこれ以上究明の手段はないのだ。 しかし忍野がこの町を訪れたのは、放浪生活を送っている理由は、怪異譚の蒐集・調査であって、この町を去ったのもまた同様の理由、即ちこの町で得られるものがなくなってしまったからだ。〈怪異殺し〉、真名を失う前の忍の到来で崩れかけていた、言わばバランスのようなものを、僕と神原に御札を貼らせることで取り戻したことも当然理由の一つなのだろう。 忍野によってこの町の均衡は保全された。つまり、誰かが藪蛇な真似をしなければ再びそれが崩れ、専門家の介入が必要なほどの事態に陥ることはないと判断した、ということだ。 もしこの『夢』が何某かの怪異で、それを引き起こした張本人以外にも累を及ぼすような類の怪異だとしたら。 それも、神原が枕の下に写真を敷いていることが原因の怪異なのだとしたら、それは遡れば忍野の滞在中から始まっているのだから、一応はクライアントであった神原に係わりあることを幾らなんでも捨て置くようなことはしなかっただろうと思うのだ。 忍野といえどそこまで感知できないのだとしたら、この考えはそこまでなのだけれど。 思えば春休みの一件以外は、全て僕が持ち込んだ案件だった。世界中の怪異を解決して回っているわけでもなし、忍野からしてみればそんなミクロな物事はどうでもいい部類に当てはまるのかもしれない。しきりと自己責任を言及する奴だったし。 堂々巡りだ。証明できないことで証明を求めようとしている。 結論。 結果。 リザルト。 帰着するところは―― 原因不明。 「まあ、落ち着いて考えてみよう、阿良々木先輩」 「お前にそれを言われる日が来るとは……」 「仮に写真が原因だとするぞ。そうだとして、今この時点で立てられる対策は何もないじゃないか」 「言っちゃあそうなんだけれど」 神原の言うとおり、写真が原因であると確かめることは、蓋を開けてみないと分からない。目が覚めてから写真を敷かない状態で再び眠ってみるまでは確かめることすらできないのだ。 「今ここでできる対策を考えよう」 「建設的だな」 「前回目が覚めたときの状況を思い出してほしい」 「うん」 「謝ってくれ」 「何を!?」 「いや、つまりだ。見通しが立たない以上あらゆることを試してみるべきだと思うのだ。だからあのときの状況を再現してみようと思う」 「ああ、なるほど。えっとじゃあ……ごめん」 テーブル越しに向かい合い、特に理由もなく謝るのは、どうにも収まりが悪い。 そしてまた何も起きないのだから、僕としては余計に謝りたくなってくる。 「何も起きないな。言葉だけではダメか。よし、阿良々木先輩、ベッドに横たわってみてくれ」 「嫌な予感がひしひしとするけれど分かったよ」 手の打ちようがない今、神原の提案に従っておくしかなさそうだった。 ベッドに横たわると、神原が覆いかぶさってくる。 「もう少し袷がはだけていたような気がしないか?」 「しないよ」 どうにかならないのだろうかこの体勢。あらゆる属性を除いた上での男心としては大歓迎なのだけれど。 神原は嬉しそうだし。 「さあ、どうぞ」 「………ごめん」 「何も起きないな」 「言うが早いか諦めんなや! まあ実際何も起きてないけど!」 「むふふふ」 神原は企み顔で指を絡ませ僕を磔にした。 「かくなる上は脱出の成功には私との性交が不可欠であると!」 「なぜ予感に従わなかった自分ー!」 自分の深層心理が垣間見えるようで恐ろしい。 いや、もちろん本心では神原との予想どおりのじゃれ合いも嫌ってはいない、という意味で。 他意はない。 押しおいへしあい。 多少呼吸と着衣は乱れたものの、抵抗は実を結んだ。 でも何だろう。 この汚され感。 「お前もいい加減諦めろよ……」 「諦めの悪さが私という存在を形成しているのだ」 「アスリートだもんな……」 納得。 「しかし、阿良々木先輩のお気持ちはよく分かった」 「分かってくれたか」 「私としたことがうっかりしていて……阿良々木先輩もシャワーを浴びてきてくださって結構だぞ」 「そこかよ! ……と思ったけど。いいな、それ」 「ああ、いいだろう? 私としては別に洗ってなくても構わないのだが、思うさま洗ってきていただいて構わない。何だったら背中を流そう。のみならず全身隈なく洗って差し上げよう。この私が!」 「お前との関係を水に流してしまいたい……」 僕はベッドから降りた。靴が見当たらないが、念のため備えつけのスリッパは使わずにおく。 壁の奥の通路を覗くと、右側にドアが一つ、突き当たりにもう一つ。手前側のドアは半ば開いており、奥にユニットバスが見えている。ドアは開けっぱなし電気は点けっぱなし。まず間違いなく神原の仕業だろう。 突き当たりのドアは廊下に通じているらしく、手前のやや低くなった床は三和土のようだ。神原のスニーカーが脱ぎ散らかしてあった。僕の靴は見当たらない。 ユニットバスの手前の脱衣所に置かれた籠の中に神原のジャージが突っ込んである。 結構。 「神原、服を着るんだ。外に出るぞ」 |
2009/12/16(F)